調剤
カサが息荒く駆け込んで来たとき、ガタウは槍の手入れをしていた。
「入れとは言っておらんぞ」
承諾も取らず天幕に飛びこんで来たのである。
だが必死のカサには、ガタウの叱責などまるで聞こえていない。
「大戦士長! 助けてください!」
ただならぬ様子。
「何だ」
「ラシェの、その、知り合いのお母さんが、死にそうなんです!」
「薬を調合してもらえ」
素っ気ない。こういう男である。
「どこでですか!」
「巫女たちの……」
言いかけて気づく。
祭りの夜である。
巫女たちは見習いも含めて皆そちらに手一杯、医療行為と言っても祈祷と調薬であるが、いずれも巫女の仕事であり、彼女たちが出払った今、調薬に割り振る手はない。
――諦めろ。
そう言いかけるが、必死にすがるカサにしばし考え、
「付いて来い」
立ち上がり、天幕から出てカサを先導する。
遠くから囃子の音が届く。
祭りで人のいない天幕の間を抜け、着いたのは巫女のセイリカ(大天幕)、その広場と反対の入り口であった。
「ここは、だって、」
祭りの最中に入ってはいけない場所じゃないんですか、というカサの言葉を待たず、
「待っておれ」
ガタウがセイリカに入ってゆく。
カサは一人残されて、もどかしい時間をただ待つ。
やがて、
「入れ」
の声がかかり、おそるおそる戸幕を上げる。
中央に人が居た。
ガタウともう一人。
――大巫女様だ……!
最も年老いた巫女、マンテウと呼ばれる、御歳幾つかも判らぬほどの老婆である。
カサは怖くなった。
マンテウと言えば、実質的に邑の最高権力者。ガタウや邑長よりも上の階級の人間である。
その大巫女が、
「……に……こ……」
聞こえないが、こっちへ来いと言っているようである。
畏れつつも近寄り、ガタウの後ろに立つ。
「何をしている。もっとマンテウの側に寄れ」
ガタウに叱られ、恐々とそばに寄る。
近くで見ると、カサが見たこともないほど年老いたマンテウは、人ならざる雰囲気を持ち、まるで砂漠の精霊そのものである。
顔は皺に
「……の……い……」
その大巫女が、何か言う。
「ハ、ハイ?!」
「症状を言え」
ガタウが代わりに訊く。
「は、はい。も、物が食べられなくて、ずっと悪かったんだけど、もう何も口を通らないって」
大巫女がまた訊く。
「……だ……」
「何歳だ?」
「え、え、ぼ、僕の母親ぐらい、だと思います」
マンテウはしばし考え、ガタウに命じて薬草や乾燥させた仙人掌を取ってこさせる。
あのガタウが、誰かに命じられて動く様子に、カサは当惑する。
マンテウは当たり前のごとくそれらの品々を受け取り、集めさせた物一つ一つの分量を慎重に測り、
緩やかな動き。
薬草をすりつぶす棒が坩堝の底をこする音と、天幕外の祭囃子が入り混じる。
その手が止まり、坩堝に水が加えられる。
マンテウが手招きでカサを呼ぶ。
いざり寄り、顔を近づける。
うっすら開いたマンテウの瞳が、綺麗な金色をしているのに、カサは驚く。
「……もっと、よく、顔を……」
しわがれた声。
カサはさらに顔を近づける。
その顔を、マンテウが両手で包む。
突然の動きにカサは身を引きそうになったが、我慢してされるに任せる。
その瞳の色に、既視感。
マンテウはカサをまじまじと見て、
「……良い、眼を、している……」
嬉しそうに言う。
「……ガタウの、言う事を、良く、聞くがいい……」
とても優しい声。
なぜこの老婆がマンテウなのか、カサにも解った気がする。
そして、その手から逃れようとした自分を恥じた。
やがて坩堝は煮詰まり、マンテウは震える手で、中の薬湯を小さな椀に移してカサに渡す。
「――持って行け」
ガタウが急かす。
「ありがとうございます! 本当に!」
カサは何度も礼を言い、足早に出ていった。
残された二人は、カサの居たほうをじっと見つめる。
「……良き、若者じゃ……」
マンテウが、満足げに言う。
「まだまだ子供だ」
ガタウが戒めると、
「……お前の、若い頃に、良く似ておるわ……」
そう言って、切れ切れに笑う。
珍しく苦い表情をするガタウの横で、大巫女は久しぶりに機嫌が良い。
老いも行きつく所までゆき、人生の終わりに近づき、若かりし日の心地よい陽光を、また感じる事ができた。
――あの子は、良き戦士になる。
そして、やがて邑を率いる男になるのだろう。
その日をこの目で見れるのだろうか。
つい先程の事ですら朧げに霞む老いさらばえた意識の中で、大巫女は夢見るように頼りない現実を、見つめつづける。
膝を抱えて待つラシェのもとに、カサが駆け戻ってきた。
差し出した手に小さな椀。
「これを……!」
緑色の、粘りのある薬湯。
ラシェがカサを不思議そうに見ると、
「大戦士長の頼みで、大巫女様が作ってくれたんだ、これなら、何とかなるんじゃないかって……!」
息を切らせて言うカサの眼は、輝いている。
「あ、ありがとう……」
受けとるラシェは、なぜかぎこちない。
一人待っている間に、カサを頼った身勝手さに、じわじわと
「早く行って!」
カサに急かされ、ラシェは母のもとへと向かう。
が、その足は、すぐに止まる。
「……カサ?」
ためらいながら振りかえり、
「なに?」
カサの誠実さに、ラシェは罪悪感とともに、計り知れない感謝をおぼえる。
「ご、ごめんね」
謝ると驚いた顔で、
「いいよ」
カサは本当に気にしていない。
ラシェは勇気をふりしぼり、
「あ……あの……」
ためらい、
「……ありがとう」
礼を言うのが、謝る事よりも難しいのはなぜであろう。
だが、ありがとうの一言で、ラシェの心が軽くなる。
カサは笑い、
「お母さんと弟が待ってる。早く行ってあげて」
「うん」
ラシェもやっと笑う。
その
――ありがとう、カサ、ありがとう……!
まだ温かい椀が、手にじんわりとしみる。
ラシェは走る。
母の
天頂には満月。
祭りの夜空には、二人が初めて出合った時と同じ月が出ている。
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