夏営地パラバィ

 やがて冬季が終わり、邑人たちが夏営地に帰ってくる。車を押し、家畜を引き連れ、荷物を下ろしては各々の天幕を建ててゆく。貧弱な土壌の冬営地では、食料を節約せねばならないため、彼等の頬は一様に少しこけている。それでも、雨は振らないが地下水が豊富で獲物の多い夏営地に帰ってきて、その顔はどれも安堵している。

 カサとガタウは相変わらず訓練をつづけていた。

 邑人たちが帰ってきてしばらくは、物見高い者たちが遠巻きに見物に来ていたが、それもやがて居なくなる。

 それ以外に、少し変化もある。砂の入った革袋を撃つのは変わらないが、くくり付けた石輪が更に小さくなっている。

 人差し指と親指で作ったほどの、小さな飾り石の穴、かろうじて槍先が通る大きさである。

 傍目には判らないだろうが、槍の突きこみ方も少し違う。

 午前中は力任せに強く撃つ。

 そこまでは今までと変わらないが、午後からの訓練でその小さな石輪の中をくくりつけて、その穴をそっと確かめるように打つ。

 最初は弱く、徐々に強く。

 ガリン。

 嫌な音がする。

「あ……」

 カサが眉をしかめる。今までより小さな石輪は薄くもろく、端をかすめただけですぐに割れてしまう。

 強く撃つのは簡単だが、正確に一箇所を撃つとなると、途端に難しくなる。

――今日はこれでいくつ目だろうか。

 砕けた石を取り外し、落胆する。

 これまでに、かなりの石輪を割っている。

 革袋の下には、今までに割った細かい翡翠の砕片が無数に散っている。

 どれも綺麗な緑や青や赤、それに塗料を流したような天然の模様が付いている。

 小さくとも高価であろう品々。だがガタウはそれを装飾として用いず、このような無粋なやり方で消費する。

一度、尋ねたことがある。

「どうして、こんなに高い物をつかうんですか?」

「他に何か良い物が有れば、そちらを使う」

 つまり、丁度よいものが他に無いからだ、と言うのである。

 この部族に貨幣という制度は無いが、大戦士長といえば、かなりの地位である。

 狩りごとに受けとる牙や毛皮の割り当てもかなり多いはずで、時おり砂漠を渡る商人と物々交換をすれば、それなりの贅沢はできるだろう。

 だが、カサはガタウのバライーを思い出す。

 不必要な物が、何も無い天幕内。

 きっとガタウは、贅沢というものに価値を見い出していないのだろう。

 この石輪も、今までの物も、ただ槍の修練に使えるというだけで手に入れたに違いない。

 色彩豊かな装飾など、ガタウの人生には必要ないのだ。

 だから、カサが物をいくつ壊しても気にした様子もない。

 ガタウの意識はそれよりも、カサの身体の使い方に集中している。

 それでもつづけて失敗すると、

「腰が高い」

 だの

「もっとよく見ろ」

 だのとうるさいが、財貨を惜しんでいるわけではない。

 やがて日が落ち、カサがウォギに帰ると、天幕の前でヨッカが待っていた。

「カサ」

 嬉しそうに、顔の前に小さな鍋をかざす。

 坩堝のような深い鍋。香ばしい匂いがした。

 キュルっとカサの腹が鳴った。

「今日はなに?」

「ローロー、カラギ(食糧管理階級)のとこでカサの分も貰ってきた」

 ローローは、根菜と干し肉の煮物である。カサの好物だった。

「おいしそうだ。入ろう」

「うん」

 二人はウォギに入る。

 熾き火を起こし、片手で器用に油皿へと火を移す。

 明かりが点るとすぐにローローをほお張る。

 少し冷めていたが、それでも空腹に滋味が沁みた。

「おいしい!」

「そっか。ほら、肉、多めに入れてもらっておいたから」

「うん」

 ローローを忙しなく詰め込むカサを、ヨッカは戸惑いまじりの眼で見る。

 しばらく見ないうちに、カサは見違えるほど逞しくなっていた。

 背はそれほど変わらないものの、筋肉が太くなり、表情や態度にも以前のような弱々しさが消えてている。

 ヨッカの眼にその変化は、大人に近づいたとい見えている。

 何があったのだろう、冬営地にカサの姿が無いのには気がついていた。

 大人たちの噂話から、大戦士長と一緒にいるらしいことは聞いていた。

 カサに聞いて驚いた、ひと冬を、夏営地で過ごしたと言うではないか。

「ヒルデウールが来るんじゃないの?」

と聞くと、

「大変だった」

と言う。

 余りに平然と言うので、ヨッカはどうにも実感がわかない。

 それでも色々な話を聞いて、

「おもしろそうだなあ」

ヨッカが言うと、

「大変だよ。あんなのは、もうしたくない」

暗い顔で言う。

 だけどカサに聞いたそれらの話を大人にすると、だれもが仕方なさそうに笑ったり、

「嘘をつくんじゃない」

と怒ったりする。

 カサが嘘をつくはずないとヨッカは思っているので、どうして誰も信じてくれないのか不思議だった。

「おいしかった」

 瞬く間にローローを平らげたカサが、後ろに手をついてくつろぐ。

 こんなときに見せる顔は、以前のカサと変わらない。

 それでヨッカも少し安心する。

「これも食べるか?」

 赤花の干した実を出す。

「うん」

 二人でほお張る。熟した甘みが、口の中を爽やかにする。

「次の狩りにも、行くのか?」

「わからないけど、たぶん」

「そっか」

 二人は黙り込む。

 こんな沈黙は、カサが戦士になる以前にはなかった。

 日ごろ見るものが変わってしまったからだろう、共通の話題が見つからないのだ。

「じゃあ行くよ」

「うん」

 ヨッカが立ち上がり、カサが見送る。

 暗い夜空の下を歩きながら、ヨッカはカサのことをまだ気遣っている。

――カサがいい戦士になれればいいのに。

 そうすれば、今みたいな暗い顔をせずにすむ。

 そう簡単にいかない事は、ヨッカにも何となく分かる。

 戦士といえば、成人後に割り当てられる職種の中で、最も厳しいものと言われている。

 それゆえ戦士は部族の民すべてから、恐れ、敬われているのだ。

 ヨッカの眼にも、真っ赤なショオをまとう戦士たちは、みな特別な雰囲気をまとって見える。

 カサも早くそうなればいいのに、とヨッカは思う。

 無理だと言う者たちがいる。

 カサと一緒に成人した、ヨッカたちより三年上の少年たち、トナゴやウハサン、ラヴォフといった者たちだ。

「カサが逃げ出したから、狩りが駄目になった。カサがヤムナを殺したようなものだ」

 カサを責めるそんな言葉を、ヨッカは信じていない。

 彼らはカサに、嫉妬しているのだ。

 他の者より早く成人し、大戦士長に可愛がられているカサが、羨ましいのだと思っている。

 この前、その話をカサにしたら、

「ふうん」

 なんでも無いふうに見せていたが、表情は暗かった。

 だからそれ以上ヨッカも聞かなかった。

 もしもカサが駄目な人間ならば、あの大戦士長がカサに付っきりになるはずがない。

 ヨッカは、ガタウとは違う視点からカサを理解する、たった一人の邑人であった。

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