右腕の骨
夜、カサがガタウをたずねる。
「戦士長。入っていいですか」
そう声をかけるとすぐに
「入れ」
返事が返ってくる。
カサは戸幕を上げ、中に滑り込むとすぐにガタウの前に座って言う。
「僕をもう一度、戦士にしてください」
声にある張りに、ガタウは気がついている。
今までのカサではない。
その瞳に、強い炎が宿っている。
「本気か」
「はい」
「辛くはないのか」
しばらく考え、
「それでも」
視線はチリとも揺らがない。
「もう後戻りはできんぞ」
カサは真っ直ぐにガタウを見、
「はい」
強い意思を感じさせる眼。
しばしカサを睨み、ひるむ様子がないと見ると、ガタウはついに言う。
「骨を出すがいい。槍先の作り方を教える」
「はい!」
――迷いを脱したか。
カサはまた一つ、熱い砂漠の風に耐えた。
それは、心が戦士として完成するということだ。
ガタウが取り出したのは、薬液の並々と入った壺だった。
「人の骨というのは、思うよりも脆く、壊れやすい。肉から離れて時間の経ったものは、なおさらだ。それで、骨をまずこの薬に漬ける」
壺の中を見せ、
「お前のその骨も、ずっとここに漬けていた。肉を骨からはずして、綺麗にするのに時間が掛かったが」
説明にこみ上げるかゆみを、カサはこらえる。
「この薬に漬けておくと骨が強くなる。骨というのは外側は硬いが、中は脆い。だがこの薬は、その中を強くする」
なるほど。
カサは詳しく理解しないまま、壺の中を覗き込む。
透明な液体が、その奥から小さく水面を覗かせる。
臭いがきつく、眼に沁みた。
「先ず両端を切り落とす。そこは弱くて使い物にならん」
「はい」
素直に答えるが、躊躇が先に立つ。
仮にも自らの骨を切り落とそうというのだ、躊躇いがあってもおかしくはない。
やがて、意を決して短刀の刃を当てる。
ガタウから渡されたその短刀は、コブイェックの牙から削りだした物だ。
底意地の悪い冗談にも思えるが、もちろんガタウに他意はない。
骨を膝に挟んでゴリゴリと作業する。
なんとか不器用に切り落とすと、断面をのぞく。
骨髄は通常、乾いた血に似た褐色をしているが、カサの切った骨の中身は、紫に近い半透明に結晶していた。
薬が骨髄の構造を、変質させたのだ。
カサが今切り落としたのは失った右腕前腕の二本の骨のうち、細い尺骨という部位、それも手首側の間接だった。
すぐに反対に取り掛かる。
先ほどよりも手馴れてきたが、肘側は骨端の間接部、骨頭の部分が丸く太い。
削り落とすのにはかなりの苦労を要した。
カサの息はもう上がっている。
片腕で全てをこなすのは大仕事なのだが、ガタウは手伝う気配も見せない。
「この骨が、お前だけの槍先になる。お前は自分独りでこの作業を終えねばならない」
「はい」
カサはひたすらひたむきだ。
両端を削り終えると、槍先の造形と研磨に入る。
薬液に濡らしながら、骨の端に角度をつけてゆく。
ミシリ。
力の掛かり方が悪かったのだろう、その一部が欠け損じる。
「あっ」
うろたえるカサにガタウは
「気にするなそこは後で削る所だ」
そして付け加える。
「作業を急ぐな。少しづつ削りだし、進めてゆけ」
「はい」
カサはさっきより慎重な手つきで骨を削ってゆく。
「こまめに薬液に浸すのを忘れるな」
「はい」
先端に角度をつけてから、周辺を滑らかに落として行く。
やがて出来上がった代物は、槍先というには不恰好な代物だった。
コブイェックの牙と比べて倍ほどもあり、ヒョロリとしていて、変なねじれと曲がりがある。
先ほど欠けた場所は、不自然な窪みとなって残っていた。
カサが心配そうにガタウを見るが、ガタウは気にしたふうでもない。
「それを槍につけろ」
言われるままにする。
革紐で唐杉の槍身に縛りつけると、先端が妙に長く、思った通り、収まりが悪い。
「長くはないですか?」
「使う内、削れて短くなる。槍の先を大きめに割っておけ」
そう言って今まで寄りもずいぶんと長い革紐を出し、
「槍身の割れた所が弱くなる。それできつめに縛っておけ。捩れや曲がりを無理に直そうとするな。槍先の方が割れてしまうぞ」
カサは従う。
やがて出来た槍は、やはり不恰好ながら、少しはましに思えるものとなった。
「使う度に欠けたり折れたりする。今は長く思えるが、やがてこうなる」
そう言って出して来たのは、ガタウ自身の槍だった。
黒々とした先端。
その鋭さにカサは圧倒されてしまったが、何よりも驚いたのは、その言葉の方だった。
――だれかが言っていた。大戦士長の槍先は、獣の牙なんかじゃないって。
艶のない、闇を吸い込んだ様な先端。数え切れないほどの狩りに摩滅し、鍛えられたためか、その長さはカサがつけていたコブイェックの牙の半分程度だった。
――あれは、本当に大戦士長自身の骨だったんだ。
カサは突きつけられた先端を見て、ゴクリとつばを飲んだ。
自然に手が伸びる。
「触るな」
ガタウの制止は、強いものだった。
びっくりして手を引っ込めるカサ。
「す、すみません」
萎縮してしまうカサに、ガタウはばつが悪そうに言う。
「他の戦士の槍先に触ってはならん。槍先は、戦士にとって神聖な物だ。戦士の魂は、槍先に導かれて精霊になるのだ」
どこかで聞いた気もする。
「これからは気を付けよ」
「はい」
薬液の壺におのれの槍先を浸し、
「今日はここ迄だ。もう一つの骨は持って帰るが良い。明日の夜にでも独りで槍先を作ってみろ」
「はい」
「その時にまた薬が要るだろう。その壺を持ってゆけ。口に油紙を張っておくのを忘れるな」
「はい」
カサが壺を持って立ち上がり、戸幕を上げたところで、
「じきに邑人達が帰ってくるだろう。その時に薬が貰える所に連れて行ってやろう」
ガタウが横になりながら言う。
「はい」
カサは返事する。
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