彷徨

 朝が来た。

 カサは起きない。

 目は覚めている。とうの昔に覚めているのに、起き上がらない。

 ガタウも、呼びに来ない。

 結局一睡もできなかった。

 一晩中掻きつづけたところが、赤くただれている。

 横になったまま、眼を落とし、疼く右腕を見る。

 右腕など無い。

――もう行かないと……。

 起き上がろうとして、やめる。

――そうだ。もう行かなくても、いいんだっけ。

 疼いている。

 右腕ではない、身体の深いところが何かを欲している。

 左手を見る。

 爪の間に、はがれた皮膚がつまっている。

 親指の先でこそげると、白い塊がボロボロと落ちる。

「フ」

 カサが笑う。

 自嘲だ。

 フ、フ、と断続的な笑いは、そのまま嗚咽に変わる。

――どうして僕だけが?

 その問いかけにも、飽きた。

 どうしてカサだけが?

 理由などあろうはずがない。

 ただカサだけが、こうなのだ。

 砂漠に砂が有るように、その上に空が有るように、その間に風が有るように。

 昼には太陽が昇り、夜には星が浮かぶように、ガタウに左腕が無いように、カサには右腕が無いのだ。

 ウォギから出る。

 地には砂が有り、天には空が有り、カサの周りには風が有る。

 身体の力を抜いて、その風に身をまかせる。左手には、二本の骨。かつてカサの右腕だった骨がある。

 カサは歩き出す。

 ゆっくり、ゆっくり。

 一歩、また一歩。

 じわじわのぼる太陽が、足元に強い影を落とす。

 地平は広々とし、その果ては知れない。

 今この世界に、カサだけが有った。

 天と地と、風のほかに、カサだけが有った。

 孤独。

 心地よかった。

 目を閉じると少し寂しくもあり、目を開ければ燦々と輝く太陽が、悲しくもある。

 だからカサは、歩いた。今この手の中にある孤独を、ゆっくりと味わうために。

――槍を、打ちたい。

 そう思った。なぜだろう。自分はもう、戦士ではないのに。

――槍を、打とう。

 カサは歩く。

 いつも通うその場へ、地面に立てた杭に、砂袋がくくり付けてあるその場所へ、そこに行けば槍を使える、その槍で、砂袋を突くのだ。

 そして、そこでガタウが待っていた。

 余りにも当たり前のような顔で待っているので、カサは何も考えられなかった。

「どうしてここに、いるんですか?」

 長い間立ちすくんだ末、ようやく言ったのがそれだ。

 ガタウは何も答えない。

「僕を、待っていたんですか?」

 ガタウは何も答えない。

「僕はもう、戦士じゃないんでしょう?」

 ガタウは言う。

「ならば、何故ここに来た」

 問いかけを、問いかけで返される。

――なぜだろう。

 判らない。あえて言うならば、ここしか来る所が無かったのだ。

「その意味が判れば、また来い」

 ガタウが去る。

 その足取りはやはり、断固として揺るぎない。

 カサは一人残され、考える。

――なぜ僕は、ここに来たんだろう。

 答えは出ない。

 転がる槍を拾い上げ、かまえる。

「フッ」

 ドシンッ。

 槍をつたう振動が、何かをカサに伝えてくる。

 空虚だったカサの心が、それで少しまぎれた。

 つづけて打つ。

 二つ、三つ、四つ。

 幾つ打っただろう、疲れ切って汗まみれになって倒れる。

 いつの間にか高くなった太陽が、仰向けのカサを真上からのぞき込む。

 息が荒い。喉が渇き、腹が減った。

 右腕が無いなんて現実は、もの凄くくだらない出来事に感じられた。

「フ」

 カサが笑う。

――なんだ、かんたんな事じゃないか。

 寂しさの中に、一抹の晴れやかさがある笑い。

――体の痛みで、心の苦しみなんて圧しのければいいんだ。

「フ、フフフ。フッフッフッフ」

 笑いは段々と大きくなってゆき、やがて身を折るほど激しくなる。

 もうその笑いが、嗚咽に変わる事はなかった。

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