希望

 巫女たちを両脇に従え、大巫女は奇妙に体をゆすっていた。

 ふっ………、ふっ………。

 断続的に息を漏らしている。

 笑っているのだと気づく者は、ガタウのみ。

 大巫女が笑っている。

 それも、なんとも可笑しげに笑っているのだ。

 これほど可笑しかったのは、いつ以来だろうか。

 大巫女はゆっくりと息を継ぎ、そして、切れ切れに、言葉をつむぐ。

「……サルコリは……」

――ゴクリ。

 誰もが息を呑む。

「……昔、この邑には、無かった……」

「……なっ何を!」

 邑人が息をのむ。

「……邑に、サルコリが、出来たのは……」

 フウウウウ……、長く息を継ぎ、

「……今より、五百年前だ……」

 気の遠くなる、想像すら及ばない時の地平のはるか彼方。

 もしかしてこの老婆はその頃から生きていたのだろうか、と誰かが身震いする。

「……その頃、にも、飢饉が、あり、邑で、多くの罪人が……」

 長い沈黙。

 少し寝ていたようだ。

 いったいどこまで話しただろうと、この年老いた巫女はばらけた思考をさぐる。

「……邑は、彼らを、追放したが、その内、の……何人かが、邑の、近くに、集落を……」

 息が荒い。

 しゃべりすぎで草臥れたのだ。

 こんなに長く言葉をつむぐのは、いつ以来であろうか。

「……集落を、作り……」

「や、やめよ大巫女! それ以上は言うな!」

 カバリが慌てて制止する。

「だからサルコリは穢れているではないか! なぜならば奴らは、罪人の子孫なのだから!」

 声高らかに言い放つが、態度はどこか作り物めいている。

「黙れカバリ」

「何……っ」

「大巫女がまだ、話している」

 ガタウが凝視すると、その剣呑さにカバリは声を呑む。

――黙らぬのなら、黙らせる。

 底なしの穴に例えられるその目は、言外にそう語っている。

――今までのやぶにらみは、ただ視線を送っていたに過ぎなかった。

 そう知ったカバリの背に、汗がどっと吹き出る。

「……やがてサルコリは、罪人と、隠遁者の、住む所と……」

 そのあたりの事情はみな知っている。

 サルコリが穢れただの怠け者だのと言われる所以だ。

 だがそんなことを言うために、わざわざマンテウが口を開いたわけがない。

 カバリのうろたえ様を見ると、この後何か重大なことを言うはずだ。

――マンテウは、何を明かす気なのだろう。

「……だがその昔、この邑も……」

 マンテウは、肩で息を始めている。

「やめよ、やめてくれ大巫女……」

 カバリが細い声で懇願する。

 ラシェが聞き入る。

 自分たちがいったい何者なのか。

 なぜこんな扱いを受けていたのか。

「……このベネス、の、住人も……罪人たちの、作った集落……別の邑の、サルコリの、末裔……であると……」

 ああ……!

 カバリが悲嘆する。

「……ベネスの唄に、残って、いる……」

 ざわめき。

――なんだと……!

 この告白には、さしもの戦士たちにも動揺が走る。

 サルコリが罪人の血を引いているのは当然だ。

 だから彼らは穢れているのだ、そう誰もが信じてきた。

 なのに、マンテウは自分たちこそ罪人の血筋と口にした。

――それでは、我々もサルコリと変わらないではないか!

 怒りの混じった焦り。

 憎しみのこもった苛立ち。

 嫌悪の転じた絶望。

 形容できぬ熱が天幕内に渦巻く。

 カバリががっくりと膝をつき、頭を抱えてうずくまる。

「……もうこの邑は、おしまいだ……! 砂漠で指折りのべネスの威光も、地に落ちるのだ……!」

 邑長とは、世襲制による頂点の存在。それはサルコリと正反対のものである。

 だが今マンテウがこのべネス成立の経緯を口にしたせいで、それも砂の山であることが知られてしまった。

 カバリがカサとラシェをにらみつける。

 自分をここまで貶めた二人への、底知れぬ憎悪。

「だからと言って、貴様らが結ばれるなどとは思うなよ……!」

 怨念のこもったカバリの声。

「貴様は戦士で、そいつはサルコリだ……どうあがいても、結ばれはせぬ……!」

 そしてぎらついた目で、

「私がさせぬ…………!」

 二人への害意の底深さに、誰もが慄然とする。

「結ばれる方法は、有る」

 それを、ガタウはたった一言で撥ね付ける。

 カバリの怨念など意にも介さない。

「何、だと……!」

 ガタウが目をつぶる。

 カサは、ガタウに問う。

「そんな方法が、あるんですか!?」

 ガタウが立ちあがり、カサを真っ直ぐに見る。


 「真実の地に、ゆくがいい」


 オオォ……………。

 嘆息。

 皆がガタウを見る。

 事もなげに口にされたその言葉。

 真実の地。

 狩り場の最奥、異形なる大きな獣が待つという、この砂漠でもっとも危険な土地。

 そこにたどり着き、そしてそのもっとも深い所にあるという、この世界、この砂漠の“真実”を手に入れた者のみが、たった一つだけ、いかなる掟をも越えることが赦される。

 如何なる罪を犯した者も、如何なる思いを抱いた者も、その“真実”の前にひれ伏す。

 だが、そこで男たちを待ちうけるのは強大な死。

 戦士たちですら恐怖する、絶望と孤独。

 ゆえに誰もが忌避し、口にする事すらはばかられる、もっとも忌まわしく、だからこそ人の入れぬ清浄なる土地。

 それが、真実の地なのである。

 ガタウは、自分と同様そこに行き、砂漠の真実を手に入れよとカサに言ったのだ。

「だめよ! やめて! お願い! カサ!」

 いち早く察したラシェが、必死でカサを止める。

 そして、カサはガタウに答える。

 あらかじめ用意された回答のように、その言葉はカサの心に馴染んでいた。

「――行きます」

 ラシェが息を呑む。

 カサは、断固として言う。

「僕は、真実の地に、赴きます」

 その場の全員が息を呑む。

 瞬間、邑を熱風が駆けぬけた。

 火傷しそうなその熱さに、誰もが身を震わせる。

 カサのこの選択は、愚かなる死への蛮勇か、それとも新たなる唄の誕生か。

 カサは宣言する。

「真実の地にたどり着き、僕は掟を超える者となります」

 その行く先に、はるかな大地を臨みながら。

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