制力
天幕の入り口に、握り締めた両手をわなつかせ、大きく歩幅をとって立つ中年女。
「私の育てたカサが、嘘つきでも盗人でもあるものか! カサはね、私が育てた中でも、そりゃあ良い子なんだよ! みんなに優しくて、嘘なんか一度もついた事はないんだ!」
カサを育てたソワニのセテは、悔しくて泣いている。
「私のカサを奪っておいて、片腕を獣に食わせて、その上盗人だの嘘つきだの、言いたい事を言ってくれるじゃないか!」
セテがつぶて投げの一人につかみかかる。
「カサはねえ! あんたたちなんかに莫迦にされるような子じゃあ、決してないんだよ!」
だが男はセテをふりはらい、突き倒す。
「アウッ……ッ」
悲鳴を上げるセテ。
カサが激怒する。
「母さん!」
とっさにそう呼んで、またもみ合いが始まる。
踏みつけにされたセテが、苦しそうにうめく。
カサが戦士の囲いを抜けて駆けつけ、セテを助け起こす。
「……母さん……!」
「……カサ……ごめんよ、ごめんよ……」
カサは首をふる。
「逞しくなったね、カサ。お前はもう立派な戦士だよ……」
セテがうれしそうに笑う。
「……うん。セテのおかげだ」
ラシェが自分の服を小さく裂き、それを手近な壺の水に漬けて絞り、セテの顔をぬぐう。
「……ありがとう、優しい娘だね……」
セテが礼を言うと、ラシェもうなずく。
もみ合いがつづき、つぶてが飛び、カバリが声を張り上げ、戦士が手足を振るう。
騒ぎは収拾を見せず、自らが騒乱の原因ながら、カサはこの光景を莫迦莫迦しく思う。
――こんな争いは。あまりに無意味だ
一時の感情に任せて吠えたが、まさか戦士階級全てが自分に着こうとは、思っていなかった。
その時である。
「静まれ」
地の奥底より響く、地鳴りのような低い声。
それは決して大きな声ではなかったのに、誰かがそれに気づき、身をすくませる。
遅れて気づいた誰かが、同じように口をつぐむ。
また誰かが気づき、そろそろと手の中のつぶてを捨てる。
そんな風にして静けさの円が広がり、やがて天幕内の全員が黙りこくる。
それは、威に制圧された沈黙である。
誰もが声の主を見、そして次の動きを恐々と見守る。
職長たちの中で、唯一座ったままのその男。
男は真っ黒な目で皆を
天幕の中には、男たちの息づかい。
誰も言葉を、発せない。
そして声の主、大戦士長ガタウが、口を開く。
「いずれの者も、そこ迄にせよ」
戦士階級の男たちでさえ、身を固くする。
誰もが治めようとしてなし得なかったこの騒ぎを、たった一言で鎮めてしまう存在感。
叱られた子供の顔で、男たちは沈黙を持て余す。
ガタウは言う。
「この場を裁く権限は、職長にも、戦士にも、邑長にもない」
ガタウが、そちらを見る。
「裁き得るのは、大巫女のみだ」
皆がガタウから大巫女に視線を移す。
年老い、耳が聴こえているのかすら怪しい、発言力を失って久しい小柄な老婆を。
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