邂逅

「す、座らない?」

 カサにすすめられて、ラシェが、カサのそばに腰をおろす。

 と言っても二人の間には三人分の空間がある。カサもそうだが、ラシェは警戒を解いていない。

 サルコリだからだろう。そういう生き方が、染み付いているのだ。

 ベネスの者は怖い。

 サルコリを、人間だとは思っていない。

 誰もがラシェに、サルコリに害意を持っている人間に見える。

 だから、三人分の空間が必要なのである。いまさらカサがラシェに非道をするとは考えられないが、だからと気を許した訳でもない。

 あぐらをかく、カサ。

 膝を抱える、ラシェ。

 月が地平線に消えるまで、二人は無言でいた。

 邑を振り返ると、まだ明かりののぞく天幕がちらほら見える。新月近い月は、夜の浅いうちに沈む。星が夜空を満たし、今はもうお互いの顔すら判らぬほどの闇が砂漠に下りている。

「……あ……」

 カサが何か言おうとする。

 ビクリ。

 闇の中でラシェが身を堅くする。必死で振り絞ったカサの勇気が萎えてゆく。

 また、沈黙。

 互いに途方に呉れている。

 カサは思う、なぜあの時、呼び止めてしまったのだろう、なぜ、並んで座ろうなどと提案してしまったのだろう。

 ラシェも思う、なぜあの時、立ち止まってしまったのだろう、なぜ言われるがままに、並んで座ってしまったのだろう。

 星々が、二人を見下ろす。名もなき風が、凪いでゆく。

 時間が経つほど、カサは焦りを覚えた。

 とっさに呼び止めてしまったが、何をどうしてよいやら判らず、混乱だけが胸の内を満たす。

 だが、ラシェの方は、時間と共に落ち着きを取りもどしてきた。

 どうやらこちらに危害を与えるつもりはない読み、カサと名乗るこの少年に、安心し始めている。

「……ねえ……」

 ラシェがカサに声をかけた。

 ずっと黙っていたので、ノドがかすれ、ラシェは羞恥を覚える。

「……え? あ、あの、何?」

 カサの慌てた声に、小さく笑い、ホッとする。

――この子の方が、よほど怖がっている。

 それで勇気が出た。

 ラシェから声をかけても、大丈夫だ。

「この前、見てたよね」

 暗闇でなければ、カサが羞恥に真っ赤になったのが見えただろう。

「……うん……」

「あの事、誰にも言わなかったの?」

 言われてカサは驚く。

「い、言ってない」

「そう」

 滑らかで掠れがちなラシェの声に、表現できない心地良さを覚える。

 少し離れた所にあるはずの姿を想像して、カサは体が熱くなるのを感じる。

「声、声をかけようかって、思ったけど……踊り、邪魔しちゃいけ、ないかなって、思って」

 喉が渇いて、変な所で言葉が切れる。

 どうして自分はこうも口下手なのだろうか。

「どうして?」

「え、あ、踊り、巧いから、見ていたくて」

 踊りが巧いと言われ、ラシェの鼓動が一拍強く高鳴った。それを押しとどめ、質問を修正する。

「どうして、誰にも言わなかったの?」

 カサがラシェを見る。

 暗がりに浮かぶ人の形の中に、瞳がふたつ、輝いている。

 いつからかラシェは、カサをじっと見詰めていたようだ。

 カサは、頭の中を整理する。

「そんな事、話さないよ」

 先ほどまでとは違う、落ち着いた声。

 ラシェを見返すのは、深い夜を映した、綺麗な瞳。

「どうし、て?」

 ラシェの胸がひとつ高鳴る。

「言わないよ。誰かに言うなんて、考えもしなかった」

 急に目の前の少年が、大人に思え始める。

 声音に混じる大人の寂寞を、ラシェは敏感に感じ取る。

「どうして言わないの? 私は、サルコリよ?」

 自分の言葉に、一瞬強く胸を刺す痛み。

 なぜだろう。

 自分はどう見てもサルコリなのに、それを口にするのがくるしい。

「どうしてサルコリなら、誰かに言うの?」

 カサは気にした様子もなく返す。

「だって、サルコリは穢れてるんだよ? サルコリが祭りに出ると、よくない事が起きるんだよ?」

 思わず語気に力がこもる。カサは感心したように言う。

「そうなの? 初めて聞いた」

 ラシェは戸惑う。

 自分は、言わなくてもいい事を言ってしまったのだろうか。

「……言うの?」

「言わないよ!」

 カサが断言するので、ホッとする。

 いつの間にか、ラシェの警戒心は消えている。

「本当?」

「本当だよ!」

「嘘だ」

「嘘じゃないよ」

 カサもいつになく饒舌だ。

「言わないよね」

「言わないよ」

「……」

「信じられない?」

 カサが訊ねると、ラシェは

「うーん……」

 と、どっちつかずの声を上げる。

「じゃあさ」

 なぜカサがそんな提案をしたのか、後々自分で思い返しても判らなかった。

 きっと、最初に出会ったときの印象が強すぎたのだろう。

「じゃあ、踊ってくれない、かな」

「え?!」

 さすがに面食らったようだ。

「あの、踊り、見たいから。そしたら、誰も言わないから、約束するから」

 ラシェのうろたえを拒否と受けとり、カサはまたもしどろもどろになる。

「だ、駄目よ!」

 慌てるラシェ。さすがに恥ずかしいらしく、膝をかき抱き、身を縮めてしまう。

「だ、だって、見たいから」

 慌てて何を言っているのか、自分でも判らない。

「駄目! 駄目よ絶対!」

 ラシェも必死だ。

 人前で踊るなんて、そんな事できる訳ない。

 母に教わる以外では家族にだって、踊りを見せてはいないのに。

「どうして? あんなに巧いのに」

 カサも後には引けない。

 かなり恥ずかしい要求をしているという自覚はある。

 だからここでラシェに拒否されてしまうと、カサの恥知らずな要望が宙に浮きっぱなしになってしまう。

「踊ってよ」

「駄目!」

「どうして? 僕は見たいよ」

「駄目、駄目駄目!」

「どうして駄目なの?」

「だって、恥ずかしいもの!」

「恥ずかしくなんてないよ。ラ、ラシェの踊りは巧いよ!」

 ラシェ、という名をどさくさに呼んでしまう。

 その新鮮な興奮に、カサは一人でたかぶって、それから勝手に恥ずかしくなる。

「……本当に、見たいの?」

 ラシェが訊く。

 声が少し、落ち着いている。。

「本当、本当だよ。ラシェの踊りは、巧いよ」

 カサの熱心さに、ラシェは照れて黙ってしまう。

 カサには見えないが、闇の向こうで照れ臭さに、身をよじらせている。

「そんなに、見たいの?」

 最後の抵抗は、ラシェの誇りを守るためである。

 カサが見たがるから、仕方なく踊るのだ、と言う体裁を調ととのえたいのだ。

 ここで嫌だったら、などと腰の引けた事を言ってしまえば、ラシェはまた態度を固くしただろう。

 だがカサは、ラシェの顔を真っ直ぐに見つめ、はっきり言った。

「見たい」

 ラシェは考える。

 いや、考える様子をカサに見せる。

 後は、ラシェが納得するまで少しの間待てばいいのである。

 そして、カサは待った。

 やがてラシェが立ち上がる。

「そんなに、見たい?」

 カサを正面から見る、均整の取れた立ち姿。指先まで漲る力感に、カサの心が震える。

「う……」

 口の中がカラカラに渇いていた。

 カサらしからぬ滑舌はなりを潜め、下手な笛のように、声が裏返る。

「うん」

 何とかそれだけ答える。ラシェはただ立ち上がっただけだが、もう踊りは始まっていると、カサは感じている。

「じゃあ、ちょっとだけ」

 ラシェが足元を探り、地面の平坦を確かめる。

 一歩、

 二歩。

 カサから離れて、くるりと振り返る。

「いくよ」

 指先を、風に舞う衣服のようにゆるりと持ち上げ、低く、微かに、喉から音が出る。

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