ソワクの一番槍
狩りが早まった。
食事中の獣が、包囲の戦士たちに気づいたのだ。
「ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
二足で立ちあがった獣が、血まみれの口で咆哮する。
その足元には、咽喉を食い破り腸を引き裂いた砂ギツネの骸が横たわっている。
その光景に、カサは吐き気をおぼえた。
――あの時とそっくりだ。
一年前の、あの餓狂いとの再遭遇に感じた。
だがこの狩りでは、屈強の戦士たちが獣の周囲を取り囲み、かがり火を掲げ鬨声の唄を謡い、気持ちを奮い立たせて磐石の布陣で対している。
あの時のような危険はないはずと判っていながらも、カサは膝の震えを押さえられない。
脳裏にベットリと貼りついた恐怖の記憶は、カサに取り憑いてその冷たい爪を食いこませてくる。
「怯むな。おびえを見せれば、そこを襲われるぞ」
ガタウに言われ、歯を食いしばって耐えるカサ。
横に並び、声を張り上げる。
「オオオオオオオオオオオオオオオオ!」
一の鬨声の唱和が大きくなってゆく。
「ヤアアアアアアアアアアアアアアア!」
二の鬨声。
獣と対峙するのは、ソワク。
戦士たちで一番大きな身体も、巨大な獣と対峙するといかにも小さい。
「ハー! ハー! ハッ! ハッ!」
三の鬨声、一重二重、三重にしいた戦士たちの円陣。
獣は砂ギツネの骸のまわりを、四足でぐるぐる落ち着きなく回る。
「イヤー! アー! ヤヤヤヤヤ!」
四の鬨声。
その一番内側の円陣、ガタウに随伴してカサはいた。
皆油断なく槍をかまえ、獣の一挙手一投足に用心している。
一番槍の位置についたソワクは、ひたと動かず、後ろ肢で立つコブイェックの眉間に槍先を向けている。
その顔に動揺はない。
構えがガタウと違うのは、両腕で槍を保持するためだ。
槍尻を利き手で固め、もう片方の手を腰の高さで槍身に添わせている。
調和の取れた姿勢。
ソワクと獣の間に、緊張が高まってゆく。
狩りの度にくり返し見た光景だ。
だが、カサの脳裏は悪い想像で一杯だった。
ソワクが、あの日のブロナーとどうしても重なって見えてしまう。
ソワクが突きを放った途端、あの惨劇がくり返されるのではないか。
――大丈夫、大丈夫だ。今は大戦士長もいる。
懸命に内なる焦りを打ち消す。
不安な要素を一つ一つ、心の中で否定してゆく。
それでも頭をもたげてくる不安は、カサの心の棲みつき、もはや引き剥がす事のできなくなった、地獄の記憶なのだろう。
ツサッ。
ソワクが歩を進めた。槍の届く距離への最後の一歩だ。
そして――
「エイッ!」
風が舞い、強烈な一の槍がコブイェックの鼠径部、大腿骨と骨盤の接合部、腸骨大腿靭帯に突き刺さった。
槍先が深々と間接内部に入り込み、組織を完全に破壊する。
左膝を狙うガタウとは異なる、軟らかく確実に止められる部位への初撃。
「グオオオオオオオオオオオオ!」
獣が苦悶に吼える。
だが、腰を落としたソワクは微動だにせず暴れる槍を押さえこむ。
間髪入れず、二の槍、三の槍が両脇から巨大な身体を串刺しにする。
鈍い音と共に無数の槍先が、皮膚を裂き脂肪を掻き筋肉を断ち骨を砕いて内腑を壊す。
「……コワアァ!」
のけぞった獣の肺から最後の空気が搾りだされる。
そしてガタウがその背後で槍をかまえる。
「……よく見ておけ」
そしてカサは見た。
ガタウの手による
完璧な構えから、完璧な部位に突き込まれる、完璧な一撃を。
「ほう……」
感嘆の声が戦士たちのあいだから漏れる。
揺らめくかがり火の炎。三つ痙攣して、獣はその生命を閉じた。
そしてカサは、その光景を目蓋に焼き付けた。
この遠征最初の狩りは、完全な形でその幕を閉じた。
衝撃が、身体から消えない。
皆が寝静まる中、カサは一人マレから抜け出し膝を抱えている。
風が冷たい筈なのに、体内から湧き上がる熱量が零下の気温を無感覚にさせている。
――狩り。
今日はじめて、その意味を理解した気がする。
いや、理解はしていない。
だがそのとば口にたどり着いた手触りがある。
無我夢中に獣と立ちむかう、恐怖に支配された莫迦騒ぎではないと、ようやく判り始めたのだ。
――もしも自分が槍をまかされるとしたら、それはどんな感じなのだろう。
そう考えると、昂ぶって眠れなくなる。
皮膚を洗う冷気を、熱病のような内部の痺れが打ち消す。
――もしも自分が、あの狩りのなかにいたならば……。
そして、槍をまかされたならば。
一の槍、二の槍三の槍、そして終の槍。
呼吸がわずかに乱れる。
獣の身体をつきこんだ感触が、現実味を伴って手の平に現れる。
ジッと見つめた手の平を、ギュッと握り込む。
吐息。
その様子を、カサのいる場所が抜けたままのマレの中で、ガタウが背中で窺う。
そして目を閉じる。
空には満天の星。
悠久につづく時の流れを、ゆっくりと円を描きながら刻んでいる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます