ベネスへ集う者たち
エラゴステスがべネスの邑に留まっているのは、例の噂を耳にしたからだ。
――最近また、戦士が真実の地に赴いたらしい。
それは、毎年のように砂漠の何処かでささやかれる類の噂ではあった。
ただ今度の違いは、赴いたのが砂漠で名をはせるあのガタウという戦士の長と、それにつづけと頭角を現し始めた、いつだかの若い戦士だというではないか。
真実の地より帰ったという人間を、エラゴステスはガタウのほかに知らない。
少なくとも現在、真実の地に行った人間で、まだ生きていたのはガタウだけだった。
試練。
それはどんな人生にもあろう。
エラゴステスもまた、試練をくぐり抜けた男である。
ある種砂漠の試練よりも過酷かもしれず、そして避ける事を許されぬ成人の儀式。
エラゴステスは、もろい岩盤をくりぬいた穴倉式の住居に住む民族の出自である。
二千人にも満たぬ集落だが、故郷は大陸に名をはせる商人の部族が暮らす地。
その部族では、成人した男はわが身一つで邑を出、商売にいそしまねばならない。
それは掟であり、そうやって邑は辺境にありながらこれまで栄えてきた。
エラゴステスの邑に生まれた男は、野垂れ死するか錦を飾って帰るか、二つに一つの道しかない。
――この世界では、勝ち残った者だけが、生きる事を許されるのだ。
それが邑を出て成功したエラゴステスが、骨身にしみて手に入れた真実である。
強き者が弱き者の肉を喰らう、それは世界を構築する重要な法則の一つである。
稀にではあるが、ときに弱き者が知恵と勇気をもって強き者を倒すのもまた、真実の姿だ。
それらは奇跡とされ、唄や物語となって世界に広まる。
そういったものが、弱き者が生きるために必要な慰めであると、エラゴステスは看破している。
エラゴステスもまた、弱き者たちに属する。
短躯で醜い顔。
女など買った事しかないエラゴステスだが、商売は常に誠実、他人を利用するが裏切った事はないというのが、この抜け目なき男の誇りでもあった。
――信用なき商売に手を染めし者は、最後に全てを失う。
これは、故郷に残る格言であり、そしてエラゴステス自身の銘であり思想でもあった。
人の輪を重んじぬ者は、めぐった因果によって手ひどい仕打ちを受け取る。
商売とは最後は信頼関係なのだという事を、肝に銘じねばならない。
――俺は弱き者ゆえに、奇跡を目の当たりにする事を望むのだ。
腕を喰われても、ひたむきに槍を鍛えたというあの戦士たちの勝利こそが、その象徴になる。
さて、予定には無かったこのベネスの邑への逗留だが、溜飲を下げる出来事もあった。
やり手だが気にいらなかったこの邑の長が、その信用を大きく落としていた。
押さえつけようと画策して、戦士たちから手ひどいしっぺ返しを受けたという。
信用を得る事のできなかった者の末路という、まことにこの男らしい見方をエラゴステスはしている。
その場その場で無理に利益を毟る者は、結局大きな金をつかめない。
――当たり前である。あのような危うい商売をする男との関係を、ばくち打ちでもなければ誰が好き好んで背負い込むものか。
信頼を積み重ね、今やエラゴステスはこの砂漠を舞台とする商人の中でも、かなり大きい商隊を率いる一人となった。
「真実の地に向かった戦士は、戦士階級に属していた男たちと揉めた為に、試練を受ける事となったという話を知っているか、エラゴステス」
同じく滞在している別の商隊の者と話していたティグルが、エラゴステスの天幕に戻ってきた。
「はぐれ者たちが、女を
エラゴステスに言わせれば、ここでもまた人の輪を軽んじた者たちが、手酷く自業の報いを受けたというだけだ。
「あの片腕の戦士にひどく叩きのめされ、そのほとんどが不具にされ、べネスを追われたそうだ」
かつて長き暇乞いをしたティグルだったが、亡き者たちの鎮魂を終えるとまたエラゴステスの元に戻ってきた。
――すっきりした顔をしおって。この男も心に留めた苦しみがあったのだな。
エラゴステスはあの若き戦士の顔を思い出す。
「少年のような顔をしてあの戦士、やはり相当な手練であったか」
この邑に滞在する商売人は、エラゴステスだけではなかった。
新たな伝説、それも英雄譚の誕生に心躍らぬ者はいまい。
ベネスの邑に、砂漠中から十を超える商売人が集まってきている。
歴史を目撃し、あわよくば他の邑での商売に生かそうという魂胆ももちろんある。
彼らは皆、新たな伝説を継ぐ戦士の帰還を待ち望んでいる。
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