調律

 夏営地に帰り着いたカサが真っ先に向かったのは、もちろんガタウの所である。

 先んじて邑に逗留していた、色とりどりの商隊に目を丸くしながら、その横をすり抜ける。

――いつ見ても凄いな……。

 これだけ大きな商隊は、年に何度も立ち寄らない。

 荷車の形ですぐにどの商人か判った。

 短躯にギョロリとした目、大きすぎる鷲鼻。

 あの小人の商人に違いあるまい。

――またお茶を分けてもらおう。

 これまでに何度か配当された牙などと取引をするうちに、カサはどの商人が何を持ってくるかを、ある程度判るようになっている。

 そしてこの商隊こそ、カサの待っていた豊富に茶を持っている商人だ。

 どの商人も主な取引品は塩であるが、商人はそれ以外にも、いろいろな小さな商売の品々を持ってくる。

 大きな商隊を率いる商人ほど、塩以外の物品を多種取り揃えているので、邑人に歓迎される。

 値を安定させるため、塩の取引は邑長が独占して行なう。

 だがそれ以外の品は、すべて自由に取引してよい、という事になっている。

 とはいえ誰もが取引可能な品物を持っている訳ではないので、実際に商人と取引できるのは、戦士や巫女、邑長、そして財産をもてるほど豊かな各階級の長たちぐらいのものである。

 ヨッカは商人に会った事すらないと言っていた。

 そんなものか、とカサは思っている。

 カサとて、狩りで分配された牙などを商人と交換するが、そういう個人的な取引で手に入れる物はたいてい茶のような贅沢品で、必需の物ではない。


「大戦士長!」

 邑を少しはずれた所で、腰かけていたガタウがゆっくりとふり向く。

 相変わらずの仏頂面に、懐かしさと安堵がこみ上げる。

――自分のいない所で、大戦士長の身に何かあるかもしれない。

 そんな心配が、夏営地を離れて以来ずっと心にあった。

 もちろんガタウの頑健ぶりはよく知っているが、毎日一緒にいたせいで、離れるとどうにも落ち着かない。

――何もなくてよかった……。

 安心して目を輝かせているカサをよそに、

「槍の鍛錬はしていたのか」

 ガタウは何事もなかった様にカサに接する。

「はい」

 そのあたりはカサも慣れたもので、ガタウに過剰な期待はしない。

 カサを見つけて嬉しそうな顔をされても、それはそれで困るのである。

「背中を見せろ」

「はい」

 ガタウはカサの体を検める。

 肩、腕、背中。特に肩甲骨まわりの筋肉を念入りに調べ、それから腰に手をあてがい、やがて腿の内側にまで手が伸びる。

「だ、大戦士長」

「動くな」

 そうは言われても、ガタウの手つきはあまりにも無遠慮である。

 何とか堪え、

「良し」

 解放されると、さすがにホッとする。

 ガタウも納得した面持ちで、槍を拾いあげる。

――怠けてはいないようだ。

 カサの気質から怠けてはいまいと思ったが、考えていたよりも体が仕上がっている。

――これなら、次の段階に進めるな。

「そいつはもういい」

 砂袋と杭を設置しようとするカサを止め、ガタウは槍を示す。

「今日からは、これだけを使う」

「これ……?」

 よく見ると、いつも使う槍ではない。

 通常槍は槍先をくくり付けるためにどちらか一端が加工されているものだが、ガタウが取った物にはどちらの端にもそういった様子はない。

 いうなれば、槍に加工する前の、ただも棒切れである。

 カサは困惑する。

 これで、いったい何をしようというのか。

 カサの困惑をよそに、ガタウは棒を低く構える。それでどうするのかと思いきや、

「始めるぞ。そちら側を持て」

 カサが先端を握ると、

「違う。いつも構える様にしろ」

「え……」

 なんとなく理解しながらも、やはり訝しげにガタウに従う。

「こうですか?」

 一本の棒ごしに、ガタウと向き合ってかまえるカサ。向こう端を固定された違和感が槍から手に、そして槍尻を押さえた腰に伝わってくる。

「倒れるな」

「え……!」

 ガタウが動く。

 ドウッ。

――空?

 訳が判らない。

 どうして自分が大地に寝そべって、空を見上げているのだろうか。

「――立て」

 立ち上がる。

 どうやらガタウに槍越しに引き倒されたようだ。

 初めての感覚に、理解が追いつかない。

「構えろ」

 先ほどと同じように、ぐっと腰を落とす。

 今度は引き倒されまいと、余分に力を入れている。

 ドウッ。

 今度は後に押し倒される。

 いや、ガタウはほとんど動いていない。

 まるでカサがひとりでに倒れたかのように、最初の姿勢を維持している。

「構えろ」

 カサはさらに力を入れる。

 視界が転回し、またも呆気なく倒されている。

 今度は横だ。

 真っ赤な戦士装束を砂だらけにしながら、カサは膝立ちでガタウを見る。

 ガタウは槍を低く構えたまま、微動だにしていない。

「立て」

 カサはまたガタウの差し出す棒を取る。

 どのように自分が倒されたのか、皆目見当がつかず、カサは混乱する。

――大戦士長の動きを、よく見よう。

 無駄な力を抜き、槍に感覚を集中する。

 いったいどのような力が加わったのか、まずは吟味しようというのだろう。

 グッ。

 カサの構えを押し返す力がかかる。

――倒される……!

 反射的にその力に対抗した途端、カサはまた倒された。

 カサは愕然とする。

 ガタウはほとんど動いていない。今も、ほんの少し突きこんだだけである。

――それで、こんなに飛ばされるなんて……!

 どのような作用で、このように簡単に倒されるのだろう。

 カサは立ち上がり、槍を取り、またかまえ直す。

 その目には強い好奇の輝きがある。

――戦士の目になってきたな。

 ガタウは満足する。

 この新しい訓練を、カサは楽しみ始めている。

 困難に萎縮せず闘志をむきだしにする、それは優れた戦士には必須の素質である。

 この粘り強さこそ、カサの何物にも代えがたい長所であるとガタウは考えている。

 ドッ。

 また倒される。

 すぐに立ち上がる。

 かまえ直す。

 一本の棒を挟み、言葉を介さず語り合う師弟の姿は、日没まで邑人たちの控えめな注目を引いていた。

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