商談
ガタウが約束したまさにその日に、邑人たちは帰ってきた。
エラゴステスは胸をなでおろす。
これで商売ができる。
ここで毛皮と牙を仕入れねば、大きな損失が出てしまうのだ。
まずエラゴステスは、あいさつとして邑長の元に足を運び、井戸水の礼にと飾り箱に納めた宝飾品を贈る。
「おお、これはこれは、商人エラゴステス」
邑長は、油断のない笑顔を見せる。エラゴステスも同じように返す。
ベネスの邑長は曲者である。こんな辺境の地の長とは思えぬほど、目端が利く。
――この手の笑いを見せる男は、侮れぬ。
海千山千の商人である。人を見る目がなければ、商隊を持てるほどの商人にはなれなかった。
「お久しぶりにございます。ベネスの邑長カバリ。お元気そうで何より」
「何の、そちらこそ壮健で何より」
「この度は井戸より命の水を少しいただいた。そのお礼としてこれを収めて欲しい」
「おお、東国の装飾品とは素晴らしい!」
カバリは喜色満面だが、その目は笑っておらず、中身を用心深く値踏みしている。
挨拶も済み、商談に進みたいのは両者一致している。
エラゴステスが扱う、砂漠で売れる最大の商品は、塩である。
――必ず売れる物は、安売りせぬ。
これは商売の掟である。
「入り給え。中で酒でも飲もう」
エラゴステスの背に手を回し、中に案内する。そこに、中から出てきた邑長の娘と二人が鉢合わせる。
「これは邑長カバリの娘コールア。また美しくなられた」
エラゴステスの世辞を黙殺し、汚い物でも見るように見下げてどこかへゆく。
「コールア! 挨拶をせぬか! まったく……」
父親の叱責にも聞く耳を持たない。
実際エラゴステスは醜い男である。
背はせむしのように低く、鷲鼻で目が大きく、異相である。
美の基準は国ごとにあるが、彼を見て美しいと言う者はいまい。
もっとも当人こんな事には慣れてしまっている。
――あの娘が、この邑長の弱みだな。
この抜け目ない邑長が没落するというのならば、原因は自らの強欲かあの娘だろう。
――だが、美しい……。
このような僻地にあれど、コールアの美しさは群を抜いている。
生まれの高貴さが、肌から匂うような色気となっている。
――どこぞの王なら、軍を率いてでも手に入れたいと思うであろうな。
とんでもない事に思えるが、実際に美女を手に入れるために数千の軍を率いた王を、エラゴステスは知っている。
――売るとなれば、どの国であろう。
そんな事まで値踏みしている。この節操のなさが商人である。
砂漠の外では中世と呼ばれたこの時代、奴隷制度は整備洗練されている。
女などは、なまじ野卑な蛮盗に奪われるよりも、奴隷商人に預けたほうがまともな扱いを受けられる。
買う方にもそれなりの品格が必要で、奴隷が逃げてしまうような主には、商人も奴隷を売らない。
そういう話はどこからか伝わるもので、売買の前後に奴隷が逃げてしまうのである。
「跳ね返りでな。まあ気にせんでくれ」
エラゴステスの思惑も知らず、カバリは商人を丁重に天幕に招きいれる。
敷き布をひいて座らせ、椀ではなく、青い硝子の器に、半透明の酒をそそぐ。
邑で醸す野趣あふれる酒ではない、東の商人から手に入れた、30年物の口当たり滑らかな酒である。
「それでは」
「砂漠に」
一気に杯を干す。また酒を注ぎ、また干す。そんな事を何度かつづけ、やがて商人は本題に入る。
「今年は塩が高値でな」
来たか、カバリは身構える。
高値という商人の常套句を、うのみにするほど純朴ではない。
「塩は、毎年高値だな」
鋭くやり返す。
ベネスに塩が大量にあるという話は、これまで聞いた事がない。
あっても漏らさぬだろうが、そういう話もきちんと、どこからともなく伝わってくる。
「今年は本当だ」
「もちろん信じている。塩は、高級品だ」
さや当てはつづく。
「南の国境が、閉ざされた。塩湖まで足が伸ばせないのだ、邑長カバリ」
本当の話である。それで、今回の旅が長引く破目になったのだ。
何としてもここで高く売りたいエラゴステスだが、カバリはなかなか頷かない。
「これを逃せば、次はいつ来れるか判らないのだ」
エラゴステスは説くが、カバリの反応は固い。それどころか、
「回りこんで、西の海に出れば、安全に塩が手に入ると聞いたが?」
などと言いだす。
――知っておったか。
エラゴステスは、歯噛みする。
カバリはこの邑を、正確には冬営地と夏営地、そしてその二つをつなぐ道程を、一歩たりとも外れた事はないだろう。海がどんな物かも知らぬはずだ。
そのカバリが、西の海などという言葉を口にする。
いずれもらした商人でもいるのだろう、いらぬ入れ知恵をしてくれたものだ。
それにしても、このカバリという男、こんな閉鎖された砂漠の部族の長にして、恐ろしい情報収集力である。
「だが、我々の持ってきた塩は、そんな安物ではない」
「いくつか買い入れてみたが、砂漠の我らには西の海の塩で十分だった」
そう前置きして、カバリはこたびの交換比率を持ちかける。
「邑長カバリ、そのように買い叩かれると、我らは来年ベネスに来られなくなる」
持ち帰るだけでも金がかかる砂漠の荷である。
売らないという選択肢はない。
もちろんその値でも利益は出るが、商売は連鎖を要するもの、これを資金にまた買い入れなければならない品物があるのだ。
「商人エラゴステス、ここから西へ行くにも北へ行くにも、もう大きな邑はないぞ」
虚しくねばるが、足元を見るカバリの提示した値を崩す事はできず、エラゴステスの塩はかなり安く買い叩かれてしまった
邑長カバリは、塩を安く手に入れる事によって、また私腹を肥やすであろう。
そしてその新たな財力を用いて、カバリはさらに己の基盤を確固とするのだ。
天幕に戻るなか、エラゴステスは苦い思いを抱いていた。
――全く侮れん。
その手強さには、世慣れたエラゴステスでさえ舌を巻いた。
――だが、あまり調子に乗らぬほうがよいぞ。
エラゴステスもただでは起きない。
どの邑長もたやすくはないが、あまり商売上手な邑長は、商人に歓迎されない。
やがてこの邑に、塩を持ってくる商人は減るだろう。
――その時こそ、狙い目だ。
エラゴステスは、一人ごちる。
辛酸をなめつくした男の、嫌らしいまでのしたたかさが、その顔に浮かんでいる。
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