遠吼

「やめてカサ! 殺してはいけないわ!」

 ラシェが、カサの腕に巻きつく。

 カサが、ハッと我に返る。

 腕から力が抜け、トナゴが地面に潰れるように落ち、四つん這いで泣きながら逃げてゆく。

「いいのよ、カサ。もういいの」

 ラシェの目を正面から見つめるカサ。

 その目に理性が戻ってくる。

「ラシェ……!」

「ありがとう、カサ。でもちょっと待ってね」

 カサをあっちに向かせて、服をなおすラシェ。

 下着はとりあえず胸元で結び、繕いようもなく破かれた上着は二つに裂いて、下着の上から胸元を隠すものと腰を隠すものに分けて結ぶ。

「カサ。もういいよ」

 カサがふり向いた途端、ラシェが跳びついてくる。

「ラシェ……!」

「カサ……!」

 二人が抱き合う。

 やっと、恋人を自分の胸に迎え入れられた。

 その足元では、六人の男が血まみれで倒れている。

 騒ぎに気づいた者達が続々集まり、舞台となった枯れ谷の底を取り囲んで覗き込む。

 ベネスの者もサルコリも、男も女も、年寄りと幼な子も。

 戦士、グラガウノ、カラギ他あらゆる職種の者がいる。

 下級の者、職長、大職長、そして隠居した者も。

 彼らすべてが、奇異な目で、二人を見ている。

 サルコリの娘を抱きしめる、片腕の戦士と、

 片腕の戦士を抱きしめる、サルコリの娘。

 人目に触れた時、二人の関係は壊れる。

 密やかなる、風の中の甘い時間も、

 そっと交わした幾つもの睦言も、

 今、無遠慮に処断されるのだ。

 ここに積み重ねられた睦言、

 その価値を無意味と断じ

 すべての精算と終焉と

 次なる苦難をつげる、

 戦の鬨声にも似た、

 試練というには

 寄る辺のない

 漆黒の結末。

 その先に

 只待つ

 断罪。

 罰。


 この時より、カサとラシェの関係は公然となった。

 そしてそれは、二人のただ甘き関係の終わりを意味すると、繰り返し述べたとおりである。

 だから二人は抱き合って離れない。

 離れれば、もう二度とお互いをこの胸に抱く事はないのだから。

 この抱擁は二人の、静かなる咆哮だった。



 そして

 蜜の時は終わりを告げる。

 冷たく容赦のない現実が

 相求める二人を無情に別つ。

 風が吹く。

 二人の前途を煙らせる、強い風が。

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