気持ちの散漫

 それからである。カサの調子がおかしくなったのは。

 槍の訓練をしていても気がそぞろで、ガタウに何度も叱られた。

 ヨッカが話しかけても、何も耳に入らない。

 問い詰めても、ぼやっとした答えが返ってくるだけで、しつこく食い下がると、そのうち

「唱と踊りの巧い女の子を知らないか?」

 などと頓狂な事を言いだす。

「アロ、とか?」

 踊りの名手といえば、巫女たちである。

 中でも次の大巫女と目されるアロは、邑でも随一の踊り手とされている。

 祭りと儀式を司る巫女に、歌と踊りは欠かせない。だからアロやそれ以外の大巫女マンテウに仕える少女たちも、踊りと唄が達者なのだ。

「そうじゃなくて、もっと若くて……」

 アロは、ソワクと同じ年である。

 あの少女がそんな年であるはずがない。

 第一アロだったら、ヨッカに訊くまでもなく知っている。

「判らないよ。それでその子がどうかしたの?」

「いや……何でもない」

 何でもない訳はない。だからこうしてヨッカに訊いたのだ。だがヨッカも知らない。

 祭りから二日たった昼時、ソワクがカサを訪ねてきた。

 その時カサは槍の修練中で、最初ソワクはガタウに会いに来たのだと思った。

「大戦士長なら、今日はまだ来てないよ」

 槍を習い始めた頃のように、ガタウが張りついてカサを教える事は減った。

 カサも真面目で、ガタウがいないからといって手は抜かない。

 この師弟は、勤勉であるという所はよく似ている。

「知ってる。邑長とマンテウが戦士のセイリカ(大天幕)にやってきて、何かヒソヒソやってるからな」

 それで、ソワクはそこに居なくても良いのだろうかとカサはいぶかしんだが、まさか勝手に欠席した訳でもあるまい。

「どうしたの?」

「なあカサ」

 カサの頭をグイッと抱えこみ、

「あれから、どうだった?」

「何が?」

 さっぱり判らない

「とぼけるな、エルの事だよ! 照れないで言え!」

「――ああ」

 忘れていた。あの日以来、カサの胸に浮かぶのは、名も知らぬあの少女の面影ばかりなのだ。

「別に、何もないよ」

「嘘つけ! 何か約束とかしたんだろ? 今日仕事が終わったら会うとか、ないのか?」

「ないよ」

「本当か?」

「本当だよ」

 かあっ、ソワクは手で顔を覆い、天を仰ぐ。

「何やってんだカサ! あんな良い娘、他にはいないぞ! さっさと物にしないと、他の誰かに取られちまうだろうが」

 そう言われても困る。

 大体エルは自分など相手にはしないだろう、そうカサは思っているのだが、

「何言ってるんだ、エルもお前の事気に入ったみたいだぜ? あの後色々訊かれたんだ」

「それは、……違うと思うよ?」

 カサは力なく笑う。

 訊きたくもなるだろう、思い返してみると、どうやらカサはかなりの変人と思われたようだ。

 他の人は槍の使いかたなんて習わないのに、どうしてカサは習っているの? とか、何でいつも大戦士長と居るの? とか、槍の訓練が楽しいの? とか栓のないことばかり訊かれた覚えがある。

「そんな事はないぞ! 俺がゼラを物にしたのも祭りだったんだ! 踊りと唄は女を柔らかくするんだぞ!」

 訳の判らない事を言う。

「何もなかったよ。エルも僕のことなんて忘れてると思う」

 むしろそうであって欲しいと願ってカサは言う。

 変人として覚えられるなら、忘れられた方が気が楽だ。

「そんな事ないだろう。お前は有望な戦士なんだぞ。みんな認めてる。若手では一番だ」

「一番はソワクじゃないの?」

「もう若くないよ。子供が三人もいる」

 それこそそんな事はないだろう。

 だがそろそろ面倒臭くなり始めていたカサは、何か別の話題を探す。

 そこで、ふと訊いてみる。

「あの、ソワクは知ってる?」

「何を?」

「踊りの巧い娘で、僕と同じくらいの歳なんだけど」

「ん? いや、お前ぐらいの歳の奴の事は良く知らんしな。そうだ、踊りならアロが巧かったぞ」

 またこの答えである。祭りのすぐ後なので、話題に上がりやすいのだろう。

「そうじゃなくて、背は僕ぐらいなんだけど……」

 言葉尻が切れたのは、ソワクがえらくいやらしい笑いを浮かべているのに気がついたからだ。

「そ、そんなんじゃないけどっ」

 もちろんソワクは聞いちゃいない。

「隠すな隠すな! なんだ気に入った娘がちゃんといるのか」

 そんな風に見られている事に、カサは反発と羞恥を覚える。

「違うってば!」

「判った判った」

 ソワクは全然判っていないようだ。

 いや、むしろよく判っているからこその態度である。

 カサはほほを染めてむっつり黙り込む。

「それ、いつも打ってるな」

 ソワクが槍と砂袋を指してカサに訊く。

 さすがに話題を変えようと思ったのだろう。

 あからさまにそれをしても、嫌味にならないのがソワクの良い所だ。

「それで、狩りが変わるか?」

 槍をつくのが巧くなるのか? と言う問いかけである。

 戦士階級でもこの訓練を疑問視する者は多い。

 砂袋は突けても、獣を突ける訳ではない、と言うのが彼らの理屈である。

「うん……僕には合っていると思う」

 現にカサはそれで結果を出している。

「やらせてくれ」

「うん」

 カサがソワクに槍を渡す。

「槍先が重いな! 石がくくり付けてあるのか」

 槍先をかまえ、踏み込む。

「エイ!」

 ズンッ!

 大地を舐めるような、低い砂煙が足元を流れる。

――さすがだ。

 カサは感心する。

 低い姿勢から繰り出された一撃は、的確に砂袋の芯を突いている。強さも申し分ない。ガタウに次ぐと言われる狩りの腕前は、伊達ではない。

「エイッ!」

 ズンッ!

「エイ!」

 ズンッ!

 つづけて二撃。そのどれも、力のこもった良い突きである。

 速度はカサにやや譲るが、重さは比較にならない。

「どうだ?」

 カサに槍を渡す。

「うん、良いと思う」

「やって見せてくれ」

「うん」

 カサがかまえ、打つ。

「フッ!」

 ドシン!

「フウム……!」

 ソワクの感嘆のため息。カサの突きもまた、早く、鋭く、強い。

「お前の突きは、大戦士長にそっくりだな」

 カサは小さく笑う。

「片腕がないってだけだよ。大戦士長の突きは、僕なんか足元にも及ばない」

「どれ程だ?」

 カサは砂袋を指し、

「本気で撃った時、」

 ソワクの目が、指先から砂袋へと誘導される。

「あの砂袋が、はじけた」

「はじけた?」

「うん。この槍先が、革を突き破って、あの後ろにある杭も、」

 歩み寄り、杭を見せる。

「砕いた」

「……この槍先で、か?」

 打撃箇所の平たい、石の槍先を指してソワク。

「うん。それもたったの一撃で」

 驚愕に表情がゆがむ。

「……一撃で……!」

 信じがたい話だが、カサはそんな嘘をつく人間でない。

「凄いな、あの人は」

「うん」

「俺たちは、いつかあの人に追いつけるんだろうか」

 二人は黙り込む。

 邑で二番目と言われるソワクでさえ、ガタウとの間には途方もない技量の差がある。

 いつか鍛錬によって、自分たちはガタウの領域に辿りつけるのだろうか。

 その道のりの果てしなさに、カサとソワクはしばし黙りこんだ。

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