貪欲の蛇

 当初カサを思い通りにしようと考えたのは、エルの鼻を明かしてやりたいという動機からであった。

 最近とみに美しくなったと言われるあの娘の、悔しさにゆがむ顔を見たいという加虐的な気持ちがあった。

 もちろんカサに対しても、自分を無視できない存在にしてやろう、見返してやらねばならないという欲求はあった。

 コールアは、そのどちらをも満たす方法を思いついた。

――あいつを、私の虜にしてしまえばいい。

 男を手玉に取るなど、コールアにとって容易い事だった。

 狙った男を夢中にさせられなかった事など、一度もない。

 カサとて自分の魅力にかかれば、あっさりと陥落してしまうだろう。

――それからは、好きなようにいたぶってやればいい。

 当然、躊躇もあった。

 不具者を相手にする事への嫌悪感。

 だがそれも、カサへの呼び声高さを聞くにつれ気にならなくなった。

 何しろ邑の娘のあいだでは、あのカサこそ、独身の男としては最高の一人だと噂されているのだ。

 そのカサを、コールアのものにする。

 邑の娘たちは、そろって歯噛みするであろう。

 エルはどんな顔を見せるのだろう、それを考えるだけで、久しぶりに晴れ晴れとした気分になれた。

 そして、昼間の出来事。

 カサが見せたあの激しさは、ヤムナにすらなかったものである。

 誰にも見せぬ内側に秘めた、カサの荒々しい本性。

 それを思うだけで、コールアの奥底から、絶え間なく淫靡な情欲がわきあがってくる。

 あの腕に、抱かれたい。

 あの心を、傷つけたい。

 あの体を、組み敷きたい。

 あの魂を、独り占めしたい。

 邑長の天幕の中、コールアは加虐の予感に一人ほくそ笑む。

 父親は今、天幕の中にはいない。

 大方またどこかの寡婦の所にでも通っているのであろう、ならば翌朝近くまでは帰ってこない。

 幼少の頃に亡くなったコールアの母親の事など、頭の隅にもないのだろう。

 そんな父親を、コールアは絶えず軽蔑していた。

 コールアの貞操観念が正常に育たなかったのも、そんな父親の姿を見ていたからだ。

――そろそろ刻限かしら。

 太陽が落ちて、ずいぶん時間が経った。

 もう充分カサをじらしただろうと、コールアは天幕から顔を出す。

「いるのでしょう?」

 戸幕から出て返事を待つが、夜闇には沈黙だけが満ちている。

――まさか、来てない何て事はないわよね。

 不安になる。

「……ねえ、いるんでしょう?」

 ひたりと足音。

 呼吸まで殺したカサが、すぐ傍に立っていた。

 ヒッ。

 コールアが息を呑む。

 カサが、自分を殺しに来たのかと思ったのだ。

 だがカサの目に危険が色はないのをすぐに悟り、コールアは胸をなでおろす。

「入りなさい」

 命令口調は父ゆずりである。

 が、カサは動かない。

「大丈夫よ。父はいないわ」

 コールアが天幕の中に消え、警戒しながらも、カサはそれに従う。

「そこに座りなさい」

 指し示されたのは、夜具のかたまり。

 贅沢なコールアの寝床である。おそるおそる腰をおろすと、尻に頼りない感触が返ってくる。むせ返るような女の匂いが染みている。

「飲んで」

 差し出された椀には、酒がなみなみと注がれている。

 酒精が男の欲望を解き放つ事を、コールアはよく知っていた。

 形だけ口をつけるカサに、

「飲み干しなさい」

 コールアが命令する。

 カサはあきらめ、椀の中身を一気に流し込むが、強い酒に慣れておらず、途中でむせる。

 咳き込む胸元に、酒がこぼれる。

 息苦しそうに咳をつづけるカサ。

 その胸に、コールアが頭を寄せる。こぼれた酒を舐めとり、真っ赤な戦士のトジュを解きにかかる。

「な……んっ……にを!」

 胸を這いまわる不快感にカサは顔をしかめる。

 はだけた胸板を見つめて、コールアは驚嘆する。

――凄い……!

 鍛え込まれた胸板は、力感ほとばしるようである。

 服の上からは細く見えるカサだが、その下に隠れた筋肉は、なみいる戦士たちの中でも抜群の質を誇っている。

 呼吸に上下する柔らかな筋肉に、見とれる。

 こんなに見事な男の肉体は、見た事がない。

 ヤムナですら、これほど美しくはなかった。

 体質もあるのだろう、若く張りのある肌の下、巻きつく脂肪の薄い筋肉は、普段は柔らかく、力を入れると彫りの深い筋が浮く。

 片腕を失ってなお、カサの体は美しかった。

 カサの肉体の持つ全ての要素が、コールアの情欲をかきたてる。

――この男を、自分の物にしたい……!

 淫猥な欲望を掻き立てられ、コールアは我慢できなくなる。

 カサに馬乗りになり、帯を解き、装束をするりと落とす。

「あなたもそのつもりで来たんでしょう……?」

 妖艶に笑う。

 天幕の隅の灯りを受けてさらされたのは、見事な裸身であった。

 白い肌、豊かな胸、柔らかい腰の輪郭。

 だがカサは、そのときのコールアの表情に慄いた。

 欲望に濡れた瞳。

 上気する頬。

 舌なめずりする、赤い唇。

 そしてコールアが、カサにのしかかる。

 それは、ツノ蛇が、縞トカゲの子供を飲み込む動作に酷似していた。

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