真実の地

 視界を奪う巨石群が唐突に途切れ、空間が広がる。

 そこが、真実の地である。

――ここが、真実の地……?

 目の前に広がる風景は、荒涼としている。

 赤い大地に、地を這うような植物が、まばらに生えている。

 そして何よりも、風。

 スェガラン、獣の匂いがする風が辺りかまわず吹き乱れ、ツェリラン、砂を巻き上げる大きな風が地平線を赤く霞ませている。

 視界は悪く、2カリアキ(約六百メートル)もない。

 何と殺伐たる景色。

 その禍々しさにカサは身震いする。

 だが傍らのガタウは、闘志みなぎり目を爛々輝かせていた。

――再びこの地を、我が足で踏む日が来たのだ。

 ガタウは三十年ぶりに人生に感謝する。

 復讐の、いや再び戦いの地に挑戦できる機会を与えてくれたこの荒々しき砂漠に。

 それも、ガタウ自身が育てた最強の戦士を伴って。

 ガタウは、カサが今まで見た事がないほど集中した状態にある。

 一見緩んだ表情だが、半ば閉じられた目蓋は小刻みに痙攣し、指先も同じように震えている。

 肉体より無駄な力が抜けると、人はこのようになる。

「ゆくぞ」

「はい」

 一晩中歩きつづけて疲労は溜まっていたが、気力充実して眠気はない。二人はその奥へと足を踏みいれる。

――これまでに一体、どれだけの戦士がここに足を踏み入れられたのであろうか。

 ここに至るだけでも、大変な労役である。

 道半ばに斃れた者たちの中には、この地にすら到達できなかった者が数多くいるに違いない。

 そう考えると、カサの踏みしめる一足一足が、とてつもなく重く感じる。

 陽が昇り、登頂に達したころ、二頭目の獣に遭遇する。

 食事を終えたばかりの獣は幸い二人の人間にはさして興味を示さず、槍を向けながら退くのみで事なきを得られた。

 カサはホッとする。

 二頭目の獣は、とても大きかったからだ。

 カサがこれまでに見た、最大のものに属するだろう。

 辺りを舞う赤い砂におぼろげな太陽を見上げながら、あの獣を大事なくやり過ごせて心底安堵する。

 だがガタウはいつもの厳しい顔で、

「あれは、この地では最も小さい獣だ」

恐ろしい事を平然と言う。

――自分は本当にここから出られるのだろうか。

 それから三刻(三時間)も経ったころである、三頭目の獣に出くわしたのは、



 カサは疲労の限界に達しつつあった。

――なんて奴だ。

 そいつは、これまで見た事もないくらいに大きな獣であった。

 しかも飢えていて、しぶとく抵抗するカサたちに怒り狂っている。

 カサはつばを飲み込み、汗にヌルつく槍を握りなおす。

 獣は、手強かった。

 突けど押せど反応されて長い間合いを潰せず、ゆえに致命傷を与えられず、体中槍傷だらけの満身創痍でありながら、カサたちを喰らおうという執念は衰えを見せない。

 血のしたたる体を引きずりながらも、粘りの強い唾液を牙から垂らし、爛々と光る目は油断を知らず、カサとガタウを完全にけん制している。

 狩りが始まって以来、この様相が一刻もの間つづいている。

――このままでは、埒が明かぬ。

 獣も同じように苛立ちはじめ、期は熟した。

——たった一頭に、時と体力を費やしすぎている。

 ここは真実の地。

 この程度の獣との戦いは毎日のようにある。

——次なる槍で決める。

 ガタウはとどめを刺す用意をする。

 完全に呑まれているカサとは違い、ガタウはこの程度の獣、単身訪れたときに幾度も遭遇していた。

 ガタウの目配せに気づいたカサは、誘うように槍を眼につけ探りを入れる。

「ゴルゥ……ゴルゥ……!」

 獣が飢えた喉鳴りで怯むカサを威嚇する。

 刹那、ガタウに対する意識がそれる。

「フッ!」

 ズン!

 腰から入った槍先が、獣の内臓を大きく貫く。

「ゴワアアアアアアア! アアア! アアア!」

 獣が身をよじり、血と唾液をまき散らす。

 痛みに耐え切れずに獣が顔を上げた瞬間、その喉をカサの槍先が食いちぎる。

 間髪入れずに槍を抜く。

 獣の気管から土笛のような甲高い音が漏れる。

 のたうちまらる獣、肺に流れこんだ血のせいで息ができず苦しみ、ガタウとカサが警戒する中、やがて獣は無残に死をとげる。

 横たわり、生命活動を終えた獣。

 動かぬむくろから、ガタウが無表情にその牙をもぎ取る。

 メキリ。

 歯茎の肉がついた牙を、革紐にくくる。

「ゆくぞ」

「……はい……」

 よろめくカサ。

 息をするのも億劫ながら、何とかこの場を離れる。

 だが、カサの足はすぐに凍りつく。

 そこにまた一頭、獣がいた。

 三頭目を倒してすぐに四頭目に遭遇とは、何たる不運。

 それも、今斃した獣よりわずかに小さい程度の、大型個体である。

――殺される……!

 反射的に槍を向けるが、それを振るう気力はない。

 自分はここで死ぬのだという諦めと、やっとこの苦しさから開放されるという甘美なる絶望、そのはざまを揺れ動くカサを、ガタウが生に引きずり戻す。

「こいつは死肉喰しにくぐらいだ。やり過ごすぞ。槍を構えたまま油断せず横に回れ」

 残った気力を振り絞り、カサが槍をかざす。

 槍先は震え、あと一突き分の力さえおぼつかない。

 だがけん制のかまえを見せる二人を迂回し、獣は先ほど二人が斃したもう一体の死骸に寄る。

 そしてその死骸を、喰らいはじめる。

 メキ……クチャッ……クチャッ……クチャッ……!

「うっ……!」

 おぞましい光景である。

 同族を食らう獣。

 こみ上げる胃液を何とか飲み下す。

「離れるぞ。背を見せるな」

 カサには返事をする余裕すらない。

 死地をくぐり抜けたというのに、安堵する暇さえないとは。

 粘性の重たい疲労を引きずってその場を離れ、充分に距離を取ったと見てから、一人ずつ遅すぎる食事を摂る。

 胴巻きに分けて入れてある肉片を引っ張り出し、口に放り込んで噛み砕く。

 先ほどの光景を思い出して胃が痙攣し、途中何度かえづいたが、

「吐くな。吐けば体力を消耗し、食えねば死ぬ」

というガタウの容赦ない命令に反射的に従い、カサは無理やり肉片を嚥下した。

 塩の塊を水で流しこみ、ガタウと入れ替わりに周囲を警戒する。

 性急に食事を終えると、また歩く。

 陽が沈む前に、一人ずつ仮眠を取る。

 獣は夜行性、夜に活発になる。

 だからカサたちは、夜に寝る訳にはいかない。

 寝ればひとたまりもなく喰われてしまう。

 ガタウが事前に用意させた品々に感謝しながら、カサが眠りに落ちてゆく。

 この地では、眠りの中にすら安息は無い。

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