カサの望む未来

 それは、誰も予期せぬ言葉であった。

 だが、カサの中にずっとくすぶっていた望みでもあったのである。

――毎年のように、どこかで邑が生まれては、死んでいる。

 そして、イサテのパデスは、こうも言ったのである。

――小さな邑には、サルコリがない。

 今この邑に留まるのならば、ラシェをサルコリでなくするしか二人が結ばれる道はない。

 だがそれでは、ラシェはいつまでも屈託を抱くだろう。

 ラシェは誇り高き精神の持ち主である。

 肩肘張った醜い虚栄心などではなく本物の自尊心、それを持つラシェはサルコリである事をやめようとはしないであろう。

 だから、カサは選択する。

 ラシェにとって、自分にとって最も良い未来を。

「……邑分け、か……」

 カサの望みを、マンテウが言葉にする。

 邑分け。

 知る者は少ないが、カサの望みはそのように呼ばれている。

「つまりそれは、カサが邑長になり戦士を率いるという事か」

 誰かが言う。

「つまりそれは、この邑を出て、どこかの地にゆき新たな生活を始めるという事か」

 また、誰かが言う。

「つまりそれは……」

 つまりそれは、つまりそれは、人々が新たな可能性を口々に叫び、収拾のつかない騒ぎになる。

 その端で、悲鳴を上げて倒れる男がある。邑長カバリである。

 邑分けは邑長にとって最大の汚点、カバリに邑を率いる能力のなかったという明確な痕跡となろう。

 カバリはこの先、無能な長として永く語られる。

 邑分けに騒ぐ者たちは、今更カバリの動向になど注意も払っていないが。

 それらすべてを、遠巻きに見ていた女がいる。

 カバリの娘、コールアである。

――カサが、この邑を出てゆく……。

 ほっとしている。

 その心中では、すべてがどうでもよい事に成り果てている。

 カサは自分の元から去る。

 なのにそこに未練がましく留まる事は、コールアのように気位の高い女にとっては耐えがたい。

――私もこの邑を、出てゆこう。

 退屈も屈辱も哀れみも、もうたくさんだ。

 こんな汚い邑など、自ら捨ててやる。

 幸い今なら商人も多い。

 彼らに話をつけて、商隊に紛れ込もう。

 大きな商隊を率いる者がいい。

 父のように生き方の醜い人間にもうんざりだ。

 このようにみすぼらしく汚い邑など、なんならこの砂漠も捨てて、もっと刺激のある世界でこそ自分は生きるべきなのだ。

 見返りならある。

 コールア自身だ。

 自分自身を商いの品に、これからは生きてゆこう。

 安売りはしない。カサほど優れた男以外に、抱かれてなるものか。

 自分を貶すくらいならば、死を選ぶほうがいかほどましであろう。

 コールアが群集を離れる。

 それに気づくものも、またいない。

 カサを囲む人々は、まだ熱狂している。

 カサの邑。

 それは一体、どのような邑なのであろうか。

 邑長はカサ。

 そして戦士長もカサ。

 だがその規模は? 新たな邑の場所は? 様々な声が縦横に飛び交う。

「カサ!」

 ラシェがカサの正面に回り、

「なら私が、カサの邑の最初の邑人になるわ!」

 声高らかに宣言する。

 カサは優しく腕の中のラシェを見つめ。

「僕を、信じてくれる?」

 ラシェは優しくカサを見返し、大群衆の中央で、待ち焦がれた恋人の頬を両手指先で包み、


「もちろん」


 カサだけに聞こえる声で、小さく小さく囁いた。

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