騒々しき闖入
ヨッカがカサの天幕に飛び込んできたのは、昼過ぎの事である。
カサは珍しくまだ寝ていて、目をこすりながら夜具をたたんで脇に置く。
「……何?」
ヨッカは息を切らして、
「カサ……! カサの……! カサは……!」
何一つ要領を得ない。
カサは頬を這っていた赤アリを払い落とし、喉を潤そうと水壺を引き寄せてあおる。
「カサの恋人だっていうサルコリの娘が邑に来てるんだよ!」
気管に大量の水が流れ込み、カサが盛大にむせる。
体を二つに折って派手に咳き込む背中を、ヨッカがさすってやる。
水をあらかた吐き出し、ようやく呼吸を取り戻したところでカサが訊く。
「ラ、ラシェが、邑に?」
「名前は知らないけど、昨晩大騒ぎしたときの女の人だって、長たちは言っているよ」
職長ではないヨッカは昨夜の詮議に顔を出せず、ラシェの名も顔も知らない。
「……行かないでいいの?」
そこでようやく、カサは立ち上がる。
――ラシェの所に行かないと!
謹慎を言いつかり、終わるまで用を足す以外に天幕を出るなとガタウより直々に言い含められていたが、最早そんな状況ではない。
カサが天幕を飛び出す。
寝る前にトジュ(下穿き)を緩めたままだったので、戸布をくぐった所で足に絡まり転びかける。
あわてて腰紐を締めなおしながら、カサは自分が一体どこに行けばいいのか解らない事に気づく。
「ソワクの所にいるよ! そこで世話になってるんだって!」
カサが駆け出す。
なぜラシェがそんな所にいるのだろう。
考えのまとまらないまま、ソワクのバライーに着く。
そのときラシェは、ちょうどソワクの天幕で食事を終えて、カリムの手を引いてバライーを出た所であった。
ラシェにつづいてソワク、ゼラとその子たち、最後にエルが出てくる。
彼らの前には、息せき切って駆けつけたカサ。
トジュの結い方が乱れているのは、走りながら結んだせいだ。
「ラ、ラシェ……!」
「あ……っ」
ラシェがうつむいて、頬を真っ赤にする。
つま先で地面をいじくり、内股になって服の裾を指でつまみ、恥ずかしそう合わせたりする。
カサもカサで、ラシェの元に寄ろうか寄るまいか、人目を気にしながら考えている。
もどかしい二人を、ソワクが面白そうに見物する。
昼に逢う事などなかった二人。
それが、こんな開けっぴろげな太陽の下で顔を合わせたのである。
お互いがいつもと違う見え方をしている。
カサにとって、日中の明るい太陽の元でラシェときちんと会うのは初めてで、そうなるとまた新しい発見がある。
――ラシェ、綺麗だ。
陽にてらされて初めて解る、
ラシェの色白な肌。
さすがに染み一つ無いとは言わないが、人一倍白い肌は、太陽の下で輝くように光を反射している。
それに、うつむく顔から上目遣いにのぞく、あの切れ長の目。
月光の元で浮かび上がるような光を放っていたその目は、控えめながら強い力を宿していて、カサの目を惹かずにはおれない。
皆の目が集中するのにもかまわずに、カサはラシェに見とれる。
薄汚れ、あちこち破れた跡だらけの衣服など、今のカサには目にも入らない。
ラシェがそこにいるだけで、風景まで萌え出した新芽の季節のように輝いて見えるのだから、恋する男というものは単純である。
一方ラシェは冷汗まみれ。
何よりも気にしているのは、カサが目にも止めていない古布のような服。
二枚あるうちの綺麗な方は、引き裂かれて使い物にならなくなってしまった。
それで仕方なく今のものを着ているのだが、こちらは油染みが多く、ラシェが手のひらに隠している部分にはカリムの手の跡がべったりと残っている。
前述の通り、実際どちらも大差ない代物で、そんな些細を気にしてしまうのが若い娘らしい。
ラシェが、いつまでも口を開かずじっと見つめてくるカサに、恥じらいながらチラチラと見返す。
目を惹く真っ赤なトジュに灰色の髪、何よりも繊細な顔立ちの中の、天空を閉じ込めたような青い目。
ラシェが世界で一番好きな色のその目にさらされ、恥ずかしいやら嬉しいやらで、乙女心は大変な葛藤の真っ最中だ。
「ン!」
長い事見つめあう二人に痺れを切らしたか、ソワクが咳払いで絡まり合う二人の視線を断つ。
「いつまでそうしているつもりなんだ?」
他人の目がある事にようやく思い出し、二人は視線をそらす。
「あの、カサ、その……」
ラシェは身をよじりながらカサの指先をつまみ、
「とりあえず、中に入って」
設営したばかりの、ベネスには粗末すぎる天幕にカサを導きいれる。
その様子をエルがむっつりと睨んでいる。
二人が戸布の向こう側に消えると、恨めしげな顔でギュッとソワクをにらみ、
「よくもやってくれたわね!」
足音をドカドカとたて、子供みたいに、どこかへ行ってしまう。
「何だ? あれ」
女心にはとんと鈍い夫に、
「さあ。きっと昼飯の収まり所でも悪かったのよ」
夫の無粋にため息をつき、ゼラもそっけなく天幕に戻ってしまう。
あんな二人は放っておけばよい。
どうせなるようになるのだから。
カサとラシェが見つめあう所を思い出しつつ、まったく、これだから男なんぞはと傷心の妹を脇において思う。
その無粋な男、ソワクは一人残されて立ち尽くす。
ゼラにまでそっぽを向かれて、身の置き場がなくなってしまった。
――それにしても、
ソワクはニヤニヤ笑いながら思う。
ここに乗り込んできた時の勢いと、今のカサの前のラシェを比べて、あのラシェとかいうサルコリ娘、なんとまあしおらしいものだと苦笑いする。
戦士にすら臆せず突っかかってきた気の強さ、邑長カバリに平気で物申す気丈さ。
そして今見せたあの、花をも恥らう姿。
――カサも、えらい娘に惚れたものだ。
あれは将来絶対尻に敷かれるぞなどと、自分の事は棚に上げて好き勝手な事を考えている。
いやいや男というものは、自分に無い物を持つ女に惚れる事で、魂に足りないものを補うという。
カサには、ああいう娘が合っているのかもしれない。
――俺も、ゼラと子供を持つようになって、槍ばかりの男ではなくなったものな。
そんなどうでも良い感想を飽きもせず吟味していると、ヨッカがおっつけ駆けつけた。
「……カ、カサは? サルコリの、娘が来たって、本当?」
息が上がり、言葉も切れ切れに訊いた。
子供たちはいつの間にか退屈して、また勝手に遊びに行ってしまった。
カリムに手を引かれ、二人の幼児が大はしゃぎだった事を、ゼラ以外には誰も気づいていない。
そんな昼下がりの一幕である。
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