決心

――この娘が、カサの、想い人?

 不躾な程まじまじと見てしまう。

 美しい女だと聞いていたから、まずラシェの持つ涼やかさに拍子抜けする。

 噂など当てにならぬものである。

 きっと皆、カサがそれだけ惚れたのだから、美しくなければならぬという先入観でもあったのだろう。

 実際目の前にいるラシェには、美しいという形容は的外れである。

 醜い訳ではない。

 顔立ちは整っているが、いうなれば端整、いや、清廉という言葉の方がしっくり来るであろう。

 一方のラシェは、エルの視線に、モジモジしている。

 面識のない人の天幕の中で、面識のない人間と膝をつき合わせているのである。

 カサを挟んだ恋敵の二人が、お互いの存在を持て余しているところに、ソワクが帰ってくる。

 ウー。

 どうしてか睨みをきかせて来るラシェに困り果てながら、ソワクはその前に座る。

 火にかけた何かの湯を、ゼラが人数分の椀に注いで配る。

 カサの所で飲んだ物よりもずいぶんと薄いが、茶のようである。

 ラシェは真っ先に口をつけながらも、ソワクから目をそらさない。

 何で自分ばかりこんな目にあわなきゃならんのだと、ソワクは莫迦莫迦しくなりながら、自分の茶に口をつけ、それからラシェに訪ねる。

「それで、俺のせいでどんな目にあったんだ?」

 ラシェが、何かあわてて喋ろうとして舌を焼く。

「しぃ、あつっ……!」

「おい大丈夫か?」

「あなたゾーカの所で、私がカサの、その……!」

 その先は恥ずかしくて、とても口に出来ない。

 冷静に考えると、こうしてべネスまで乗り込んできた事の方がよっぽど恥ずかしいはずなのだが、そっちはそっちで後回しだ。

「結婚する」

「そうよ!」

「するのだろう」

「し、しないわよ!」

 ラシェはそこから声を落とし、ものすごく小さな声で、

「……今は」

 とつぶやく。

 最後の部分、ソワクには聞こえなかったが、エルにはしっかりと聞こえた。

 エルがムッとラシェをにらむが、ラシェの視線はあっちを向いていて、まるで気づいていない。

「そのせいよ! あたしが、カサと結婚するだなんて言ったせいで、天幕をつぶされちゃったのよ!」

「どうして天幕がつぶされるんだ?」

「戦士と結婚したら、私がベネスの人間になるとでも思ったのよ!」

 なるほど。

 ようやくソワクにもつかめてくる。

 つまりラシェを妬むものが、サルコリの中にもいる、という訳だ。

 ソワクはため息をつく。

 誰かが幸せになれば、それを妬む者が出てくる、それは集団においては、当たり前の心の働きである。

――俺もまだまだ思慮が足らんな。

 ソワクはがっくりとうなだれて言う。

「すまん。俺の手落ちだ」

 あんまりあっさり謝られて、ラシェは調子が狂う。

 戦士階級の二十五人長が、年下の、それもサルコリの娘に自らの過ちを認めたのだから、当然であろう。

 しかし、非は認めても言うべき事は言わねばならぬとソワク。

「だが、あのゾーカとか言う男を懲らしめておかねば、またお前の元に災いの手が届いたかも知れぬ。必要が生じてあの物持ち男にきつく言い聞かせたのだ。そこは理解しろ」

「それは、ありがとう、だけど……」

 毒気を抜かれて、ラシェにもこれ以上強く言い張る事ができなくなっている。

「だけど、謝られても……私たちには、天幕を張る場所もない」

 ラシェは、途方にくれる。

「そうだな……ともかく、お前たちの住む場所を考えねば」

 ソワクは考え、

「ここに住むか?」

「無理よ」

 即座に却下したのは、ゼラ。

 今ここに住むのは、ソワクとゼラと、幼子二人。

 カリムはともかく、ラシェの寝る場所がない。

 よしんば無理をして住んだとして、ここではラシェはくつろげまい。

「ならば隣に天幕を建てろ」

「ソワク、何を言い出すの」

 皆が呆れる。

 ソワクは何を考えているのであろう。

 ここはベネスの土地で、ラシェはサルコリなのである。

 天幕を組む材料すべてを持ってきてはいるが、ここに組み立てるのはあまりに掟破りであろう。

 どこか安全な場所を確保してもらおうと押しかけただけなのに、そう抗議するも

「そうは言うが、今のお前に安全な場所などないぞ」

 ソワクは言う。

「サルコリで疎まれ、ここでもサルコリのお前は疎まれるだろう。どこに建てようと逃げ場はない。ならばここに建ててしまうしかない。ここならば俺の目が届くし、そうそうつまらん目にも遭わんだろう」

 そこまで言われると、なんとなくそんな気になるものなのだが、ラシェはまだ躊躇している。

 だがソワクはラシェのためらいなどに気を揉まない。

「そうと決まれば、さっさと組み立てるか」

 表に出て、ラシェの荷物を探り出す。

「ちょっと! 待って! 待ってってば!」

「あきらめな。こうなったらこの人、周りの言う事なんて聞き入れやしないわ」

 ゼラである。

「それに、ここなら確かに誰も手を出せないわ。あんたカサの想い人なんだろ? だったらあの人も、目の届く所に置いておきたがるよ。なんてったって、カサはソワクの大のお気に入りなんだから」

 言葉の端々に、あきらめと達観が見える。

「おい! エルも手伝え! そこの床敷きを取れ! そう、そうだ。おい何してんだ! お前の天幕だぞ。お前が手伝わないでどうするんだ!」

 戦士長らしく張り切って指示を飛ばす。

 かくて邑のど真ん中、ソワクの立派なバライーの横に、ラシェのぼろ布の塊のような天幕が並び立つ事となった。

――もうどうにでもなれよ。

 ここまでベネスに踏み込んでしまったのだ、こうなったらやけっぱちになるしかない。

 ソワクが張り切ったおかげで、見る間に天幕は組みあがってゆく。

 足蹴にされたものの、骨組みが無事だったのは幸いだと、ラシェは無理やり前向きに考える。

 一緒に手伝ってくれている、エルという娘の視線が妙に険しいのが気になったが。


 また人が集まってくる。

 もうソワクも追い払わない。

 だからラシェも気にしない事に決めた。

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