戦士と少年

 その年最初のコブイェックは、かなりの大物であった。

 その丈一〇トルーキ(3,3メートル)をゆうに超えているだろう。

 ここまでの獲物は、遠征ごとに一度あるかないかという大きさである。

――最初の狩りとしては、獲物が大きすぎる……!

 イサテの戦士の、ほぼ全員がそう思った。

 死者が出るかもしれない、と。

 ベネスの戦士たちは、狩り場までの長い道のりを踏破した直後で、しかも狩りの感覚がまだ曖昧である。

 さすがのガタウも警戒するだろうと思いきや、常の平静を崩さない。

 従う戦士たちも信頼しきっているのであろう、これほどの難敵にも、槍を持つ者たちは一人として臆していない。

――しかし……。

 パデスは終の槍を任された少年を見る。

 砂漠一勇猛とうたわれるベネスの戦士、カサと呼ばれた少年は、その最後列だとしても不安になるほど頼りなく、贔屓目にも成人したてにしか見えない。

 並ぶ戦士長たちの間ではあまりにか細く、しかも片腕をつけ根から失っている。

 年の頃二十歳にもなってないだろう。

――なのに、終の槍を任せたというのか。

 この少年に、一体どのような力があるというのだろう。

 パデスは腑に落ちぬものを抱えながら、目の前で包囲を固めつつある彼らを見る。

 すでに全ての槍は支度を終え、大戦士長ガタウの一番槍を待つばかりである。

 ガタウが獣の前に進み出る。

 ジャリ……。

 すり足の下で砂が鳴る。

 狩りの鬨声はすでに止み、獣と向かい合ったガタウが腰を落として槍をかまえると、空気が変質する。

 誰一人声を上げていないのに、鼓膜を振るわせるほどの緊張感。大戦士長の真っ黒な槍先に、全身の力が圧縮され、一点にひしめき合っている。

 ジリ……。

 半歩、さらに半歩。

 そしてガタウが、獣を攻撃圏に捕らえる。

「ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 轟! 十重二十重の圧迫に抗い、獣が吼えた。

 そしてガタウが動く。

 ボッ!

 放たれた神速の一撃を、目で追えたは者いなかった。

 目にも止まらぬ速さで突き出された槍先が、後ろ肢で立ち上がる獣の左後肢の頑丈な膝関節を破壊し、逆方向にへし曲げた。

 オオオォ……。

 人知を超えた一撃に、感嘆のため息が漏れる。

――なんという一の槍か……!

 獣の咆哮が途切れ、その巨体が傾き始める。

 そこに左右より計12本の二の槍、三の槍が襲いかかる。

 ボボボ!

 肉をつらぬく鈍い音。

 この大きさの獣に、二の槍と三の槍がこの人数では少なすぎはしまいかと狩りの前は危惧したが、男たちはいずれもその名を轟かせるベネスの戦士たち、誰一人取っても力量十分と言う他ない槍使いである。

 特に傑出しているのは、やはりソワク。

 どっしりと腰が落ち、暴れる獣をぐっと押さえ、足腰揺るがない。

 そして、終の槍。

 ここで生半な槍を突けば、狩りは壊れ、全てが無に帰す恐れがある。

 血と、殺戮が、何もかもを飲み込むだろう。

――あの少年に、本当にこの大役がこなせるのか……?

 だがパデスは目を見張る。

 そこにいたのは、紛れもなくカサ。

 だが発散する雰囲気が違う。

 腰を落とし、槍をかまえたカサには、気弱な少年の姿は微塵もない。

 眼光鋭く獣の心臓を狙うカサは、研ぎ澄まされ、鍛え込まれた一本の槍である。

――これが先ほどの少年か……!

 パデスの驚きはもっともであろう。

 小さな身体に殺意をたぎらせた姿。

 そのいでたちは、隻腕の大戦士ガタウを水面に写したように似かよっている。

 そして、カサが動く。

 この槍もまた、速く正確だった。

 茶褐色の槍先は、背を割り獣の中枢、心の臓を完全に貫いた。

――何と……!!

 完璧な、終の槍である。

 パデスの槍ですら、ここまでの鋭さがあるかどうか。

 これほどの槍を、この歳で身につけるとは。

 パデスの心は感動に打ち震える。

 沈黙、そして

「…………ゥオオオオオオオオ!!」

 呼応するように、ベネスとイサテ、全ての男たちから雄叫びが上がる。

 獣の絶命が確認され、槍が抜かれ、獣が崩れ落ちる地響きさえかき消すほどの興奮が、男たちを駆り立てている。

 パデスは男たちをかき分け、素晴らしい狩りを見せた若き戦士に声をかける。

「良き狩りだった」

 目の前に立ついかめしい髭面の男が、無邪気に歯を見せ笑う姿に、カサは呆然としている。

「言った通りだっただろう」

 変わりに答えたのは、ソワクである。

 得意げな顔を隠しもしない。

 パデスは片頬を上げてそれに応え、

「良き戦士だ。名は?」

「え?」

「お前の名前だよ」

 横からソワクがつつく。

 いつの間にか周囲に人が集まり、カサに注目している。

「……カ、カサです」

 気後れしながら、何とか答える。

「戦士カサ。その名、覚えておこう」

 パデスは嬉しそうな歯を見せ、

「ソワクとカサ。この二人の戦士がいれば、ベネスの名声はさらに高まるだろう」

 イサテの男たちからどよめきが上がる。

「良かったなカサ。イサテのパデスといえば、砂漠の戦士の中でも五指に入ると言われている勇者だ」

「え?」

 その言葉の意味が理解できないうちに、カサは興奮する男たちに揉みくちゃにされる。

 男たちは口々にガタウやカサへの賛辞を叫び、われら戦士こそが砂漠の支配者であるという矜持を、それぞれに固く確かめた。

 カサの名声を疎ましく思う者たちはその様子を苦い思いで見ていたが、それは少数派と呼ぶのも恥ずかしくなるほどわずかな者たちである。

 この一夜の狩りで、戦士たちは二つの声をとどろかせた。

 いわく、

 大戦士長ガタウの力、健在なり。

 いわく、

 若き戦士カサの力、本物なり、と。


 男たちの咆哮は夜遅くまで響き、新たな砂漠の勇者を歓迎していた。

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