巫女の役割
祭りから数日、大巫女がラシェを天幕に呼んだ。
あれ以来、ラシェがここに顔を出す事もなくなっている。
職に属さずともラシェにはラシェの仕事があり、いつまでも唄だけの生活をする訳にはいかない。
「そこに座りなさい」
聞き取りにくい大巫女の言葉を、アロが伝える。
だが年老いた巫女は
「……アロも、そこに……」
二人ともそこに並べという。
困惑しつつもラシェはアロに場所を空け、二人並んでマンテウの前に座る。
傍らにいた別の巫女から焚き木を受け取り、呪文を唱えながら火にくべる。
パ。
火の粉が散り、消えるのを、ラシェとアロの二人が見つめる。
「……あの時、何が……」
マンテウが咳き込む、傍らの巫女が、その背をさする。
苦しそうに空咳をつづけながらも、マンテウは
「……祭りの、あの夜、何を見たのか……」
そう搾り出すように言う。
ラシェとアロはつかの間顔を見合わせる。
言葉の意味は解る。
唄と踊りが絶頂を迎えたときの不可思議な感覚と、いずこからか心に流れ込んできた聖霊の啓示。
だがその印象は、言葉では説明しにくく、うまく表現できない。
マンテウは辛抱強く言葉を待つ。
先に話したのは、アロだ。
「片腕の戦士が、邑を率いていました。邑人たちは整然と彼につづき、とても生き生きした顔で……」
そこから先は、漠然としていて言葉にできない。
マンテウがラシェを見る。
「カサが、人々を守っていました。みなはカサにつづいて、どこかへ向かうところでした」
臆せず語るラシェに、アロが合点のいった顔をする。
――そうだ、あの邑人たちは、どこかへ移動していたのだ。
「……カサに、間違いないか……」
マンテウ。
「間違いありません」
ラシェ。
マンテウがアロを見ると、同じくうなずき、
「間違いない、と思います」
それで満足したらしく、マンテウも深くうなずく。
二人は顔を見合わせ、それから目を戻すと、マンテウは座したままゆったりと揺れている。
寝てしまったようだ。
ラシェは、憶えたばかりの巫女の礼法で座を立ち、
「帰るわ」
アロたちに告げる。戸幕に手をかけた所で、マンテウが訊く。
「……あの薬は、効いたかい……」
かすれて消えそうな声だったが、それははっきりとラシェの耳に届いた。
――この人は、何でも知ってるんだ……。
蘇ってくる母の記憶。
その報われぬ人生。
まなじりににじむ涙を、閉じた目蓋の裏に染みこませて堪える。
大きく息を吸い、
「はい。母の死に顔は、とても安らかでした」
深い悲しみがありありと刻まれた、それはとても朗らかな笑顔だった。
天幕の中には巫女たちだけになり、彼女たちを率いる大巫女は、うつらうつらと眠りの狭間を揺れている。
「あの祭り、ラシェなんかより、アロのほうがずっと踊りが巧かったわ」
誰かが慰めを言うが、
「もういいのよ」
アロはそちらを見なかった。
そんな事はもはやどうでもいい。
アロは知った。
巫女にとって必要なのは巧い唄でも美しい踊りでもなく、それらを用いてあの高みに到達する能力なのだ。
唄も踊りも手段に過ぎない、ゆえに巧拙を争うなど愚かしい。
――きっとその事を気づかせようと、大巫女は、ラシェを私と櫓に上げたのだわ。
ラシェに対するわだかまりは雲散していた。
アロは巧みな舞い手唄い手として認められてきたが、巫女として大切な物を欠いていた。
それを、大巫女とラシェが教えてくれたのだ。
アロは思う。
ラシェはきっと、唄い手としても巫女としても、アロとは比べ物にならぬほどの境地に達するであろう。
あの時アロは、己の新たな領域を知り、限界を知り、知らず身内に巣食った驕りも知った。
それを教えてくれたラシェに、今は感謝さえしている。
アロは巫女である。
己を戒める事のできる、高潔な精神の持ち主だ。
ラシェと一つ唄を奏でる事で、次代の大巫女足りうる最後の能力を、アロは得た。
――これで自分は、いつ死んでもよい。
ベネスでの、最後の仕事は終えた。
後はかの聖域へと向かった戦士たちの帰りを待てば良い。
世界の真実の標しを得る事で、マンテウは再びあの誉れに浴せるであろう。
それを果たしたとき、マンテウはこの長い生で、何一つ思い残す事がなくなる。
夢うつつの中、遥かな土地に思いをはせる。
彼らは今、何をしているのであろうか。
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