大巫女・マンテウ
邑のマンテウ、齢定かでないほど皺に埋めつくされた顔の大巫女に、あの少年を戦士として扱うよう言われた時、ガタウも他の大人たち同様怪訝に思った。
この夏の成人の選抜がすすむセイリカ、大天幕のなか、中央でたき火を前にした大巫女を取りまく、各職業の長たち、特に子育ての職にある者は騒然とした。
――なにゆえ?
選ばれたその子は、特に体が大きいわけでは無し、血気さかんというわけでも無し。
――素養が、無いのではないか?
――何より、幼すぎはしまいか?
戦士選抜の段に、カサの名前が大巫女の口からあがった時、同席した長たちからも、そんな声が口々にあがる。
「……あの子を、戦士として、この夏、成人させるよう……」
反発の声のあがる中、モゴモゴと呟くように、単語をひとつひとつ、区切りながらつぶやく大巫女。
しわがれたその声は、意外なほどよく通り、天蓋に響く。
「……大戦士長、ガタウ……」
マンテウ、大巫女が緩慢に首をめぐらす。
髪飾りのまとわりついた長い髪のすきまから、唯一老いを感じさせない、澄んだ金色の瞳、だれもが怯むその視線をガタウにやる。
――無言。
ガタウは動じない。
同じく無言を返す。
乾いた漆黒の瞳。
大巫女とは対照的な、大戦士長の瞳。
共通するのは、有無を言わせぬその眼力。
ぱち、ぱちと、二人のあいだで、たき火の乾いた枝が爆ぜた。
ぴりぴりと、刺激物をはらんだ空気が、天幕内に充満する。
「……お前様の、意見を……」
――ゴクリ、誰かがつばを飲む。
――ガサ、ゴソ、そこかしこで身じろぎの音。
「意見は、無い」
この緊張感の中でも、ガタウのうなるような声の抑揚はかわらない。
「大巫女の言葉には、したがう。それが戦士だ」
――ふうぅ……。
ため息ともうなりともつかぬざわめきが、天幕に満ちる。
「……ガタウよ……」
大巫女が、呼ぶ。
臆する様子なく視線だけを返すガタウに、大巫女は、小さく口の端をつり上げた。
「……お前は、相も、変わらず……」
ふっ……、ふっ……。引きつるように、肩をゆらす。
笑っているようだ、と気づいたのは、ガタウだけである。
すべての職における新成人の名が読みあげられ、儀式は終わりを告げた。
炎の前の大巫女が、まだ若い巫女見習いの娘に手をとられ出てゆくと、列席していた長たちも、一人また一人と席を立った。
だれも居なくなった天幕の中、ガタウは一人、弱りゆく炎を見つめていた。
そこで名の挙がった、カサ、という少年の事を、ガタウは知らない。
この小さな集落で、顔さえ見た事が無いかもしれない。
ガタウの交友はきわめてせまく、戦士階級以外で関わりのある人物といえば、邑長と、あの大巫女くらいのものか。
妻を取らず、子供もいない。この男の人生は、ただ槍と共にあった。
眉間にしわが寄り、失われた左腕を、我知らず撫でる。
――困難な狩りになりそうだ。
どこか予感めいた気持ちで、ガタウは考える。
ガタウというこのたぐいまれなる戦士は、もう長いあいだ、狩り以外の事を考えずに生きていた。
片腕を失った時、そう生きると決めたからだ。
フォッ、ひとつ揺らいで炎が消えた。
赤く焼けた炭も、しだいに闇へと溶け込んでゆく。
――ふうむ。
一息うめいて身を起こし、天幕を出た。
見下ろしてくる夜空は、いつか見た夜空に似ている気がした。
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