監視者と獲物
気配は三日にわたってカサにまとわりつづけた。
だが所詮一人では、いつまでも徹夜の監視などできるものではない。
より消耗するのは見張る側で、三日目が過ぎるとウハサンの監視が明らかに集中力を欠くようになり、陽が出ている間であってもたやすく振りきれるようになった。
夜、ようやく視線から開放されたカサは、はやる心の赴くままに待ちあわせ場所へと急ぐ。
「――カサ……!」
カサがラシェを見つけるよりも早く、ラシェがカサを見つける。
勢いこんで胸に飛び込んできたラシェを、カサはよろめきながら受けとめる。
「もうこないかと思った……!」
こみあげてきた涙を、胸にうずめるラシェ。
三日の間ふりつもった不安が、一気に解き放たれたのであろう。
「――ごめん」
カサも、言い訳はしない。ただラシェを強く抱きしめる。
「どうして来てくれなかったの?」
ラシェが鼻をすする。
すねると子供のようになるラシェが、カサにはたまらなく愛しい。
「ごめん」
グリグリと額を押しつけ、
「一人で待ってたのに。寂しかったのに」
ぽろぽろと涙をこぼす。
「ラシェ、僕らのことに気づいた人間がいるみたいなんだ……」
ラシェがハッと顔を上げ、周りを確かめてから隠れるようにいつもの場所にかがむ。
そこは木に囲まれた窪地で、冬営地からはうまい具合に視線が遮られていた。
「誰……?」
聞いても判らないが、何も聞かずにはいられない。
「ウハサンっていう、僕と一緒に戦士になった男。乱暴じゃないけれど、自分の欲しいもののためなら、卑怯な事も平気でする」
そういう人間なら、ラシェの方がよく知っている。
言葉巧みに他人から利益を吸いとる人間は、サルコリにもいるのだ。
「私の事、ばれたのかしら……」
「それは大丈夫だと思う。ラシェが邑の者に知られる事はないはず。だけど、油断はできない」
ラシェをかき抱きながら、カサは警戒を怠らない。
ラシェは寂しくなる。
三日ぶりに逢えたのに、ゆっくり語らう事もできない。
カサにまわした腕に、力が入る。
「ラシェ?」
「どうしてカサを放っておいてくれないのかしら」
根本的な疑問である。
「私はただ、カサと一緒にいたいだけなのに」
それはカサとて同じ気持ちである。
ラシェといたいと想うただそれだけの事で、どうしてこんな息苦しさを覚えねばならないのであろう。
「うん」
二人は無言で抱き合いながら、巣の中のひな鳥のように、冷え冷えとした冬の砂漠に震える。
邑長の娘、コールアは苛立っていた。
毎日せせこましく働く男たちにも、毎日せせこましく付き従う女たちにも、そして彼らの形づくる狭い邑社会にもうんざりしていた。
邑長である父親にも苛立っているし、邑長の娘という立場にもそうだ。
そして、どんな手管を使えど、彼女に期待したほどの興奮すらもたらさない男たちにも苛立っている。
もちろん、カサも苛立ちの対象である。
自分の望みどおりにならないもの全てに、コールアは苛立つ。
鬱屈した感情は昔の恋人を美化し、美化された記憶が、さらに彼女を苛立たせる。
――どいつもこいつもくだらない男ばっかり……!
この苛立ちは、全て周囲の責任であるとコールアは考える。
――ヤムナがいれば、こんな事はなかったに違いないのに……!
ヤムナがいても、やはりコールアは苛立っていたであろう。
そしてそのヤムナも、日に日に人の心から忘れられてゆき、今では誰もその名を口にしない。
当のコールアですら顔も思い出せないのだから、本来責められまい。
その原因となったカサ。
――本当に忌々しい奴だわ……。
普段ヤムナの事など思い出さないくせに、何かにつけ気に入らない事があると、理由をつけて持ち出しては誰かをこき下ろさずにはいられない。
それがコールアの浅薄さであり、その浅薄な怒りは主にカサに向かう。
カサの噂は、いまや邑のどこでも聞く事ができる。
誰かの口の端に、カサの名がのぼらぬ日はないほどである。
「カサって、本当に強い戦士なのかしら」
「らしいわよ。狩りの時はすごいんだって。なみいる戦士長よりも、鋭い槍使いだっていうわ」
「女の子みたいな顔をしてるのに、とても意外だわね」
若い女二人が話しこんでいる。
時々きぬ擦れの音が聞こえるのは、手を動かしながら喋っている為だろう。
天幕の傍に身を寄せ、コールアは耳をそばだてる。
「誰か想い合う娘がいるのかしら」
「私が連れ添ってあげようかな」
「あなただったら、私が連れ添ってあげた方が、カサも喜ぶわ」
「そんな事ないわよ」
「あるわよ」
お互い牽制しながらも笑いあう。
女性が二人いればどこにでも見られる、他愛のないやり取り。
コールアは顔をしかめる。
あんなみすぼらしい男のどこが良いというのだろう。
「でも、決めた相手がいるらしいのよ」
「本当なの? 誰かしら」
「エルがね……」
「まさかあの子? ああ、なら本当に私たちでは無理ね。あの子はとても美しいもの」
――エル!
エルの名前に、コールアはまたも苛立つ。
邑で一番美しいのはもちろん自分だろう。
だが男たちの中に、エルのほうが断然美しいと言う者がいるのを聞くようになった。
確かにエルは最近、がぜん美しくなったと評判である。
だが女としてコールアと比べられるようになったのは、明るい人あたりも含めてだ。
傲慢で私生活の乱れているコールアと、誰にでも愛想よく活発で健康的なエル。
保守的な男性ならば、奔放なコールアでなく、身持ちのあるエルを選ぶだろう。
――私に相手にしてもらえない男が、やっかみで言っているだけよ。
くやしまぎれに吐き捨てても苛立ちは晴れない。
「違うのよ。聞きなさい。エルはね、カサに相手にしてもらえなかったらしいのよ」
コールアは、聞き耳を立てる。
――エルを、相手にしなかったですって?
「どうして?」
娘がもう一方の娘に訊ねる。
「知らないわ。だけど祭りの時、エルが踊りに誘ったのに、カサは帰っちゃったんだって」
「本当に? 誰が言ってたの?」
「一緒に祭りに出てた子が言ってたわ。だから本当の話だと思う。それにね……」
「まだあるの? 何?」
「カサがね、夜ごとに天幕を出てゆくんだって」
「本当なの? それ、やっぱり女に会いに行くんでしょう?」
「多分、ね」
二人の話題に、コールアが割りこむ。
「その話、本当?」
ひいっ。娘たちが息を飲み、膝の上の織り器を抱えて恐ろしげに口をつぐむ。
「詳しく聞かせなさい」
コールアの笑みは凄絶で、たかがグラガウノの娘たちごときに、拒否できるものではなかった。
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