欠伸

「ふぁ……」

 カサが長い欠伸をする。寝不足が響いている。ガタウがにらみつけ、

「気が抜けているぞ」

 叱責を受け、ばつが悪そうに謝る。

「すみませ……んっ」

 謝る端から欠伸が出る。

 カサは気を引き締めなおして砂袋に向かう。



「ふぅん……」

 ラシェが縫い仕事のあいまに、長い欠伸をする。

 寝不足が響いている。

 カリムもつられて大きな欠伸をする。それからラシェを見て、

「むふう」

 嬉しそうに笑う。鼻水をすすり、鼻の下をこする。そして砂いじりに戻ってゆく。見送るラシェが、

「ふう……っ」

 また大きな欠伸をする。立っていられなくて、自分たちのウォギ(小天幕)の足元にへたり込む。

――少し休もうかな……。

 手を止め、しばらく横になろう。

 膝を抱えたまま、真横に転がる。太陽は高くまだ明るかったが、地面が縦になった視界を不思議そうに眺めながら、ラシェは眠りに落ちてゆく。

――今晩も、カサは来るかな……。

 こすりすぎて腫れぼったい目蓋は、まだうっすらと開いている。

――昨日来たから、今日は来ないかもしれないな……。

 焦点がぼやけ、視界がじわじわとふさがる。腕がほどけ、膝が崩れる。遊んでいたカリムが近寄る。手をかざすと、呼吸はすでに長く深く、鼻をつまんでも眼を覚まさない。

「お姉ちゃん」

 呼びかけても返事がない。上に乗りかかって揺すってみるが、反応はない。そのうち退屈になって、カリムは一人で遊ぶ事にする。槍の先みたいにとんがった石を見つけた。これを棒につけて戦士になろう。それには紐がないと。

「ひも!」

 カリムが駆けてゆく。

 残されたラシェは夢を見ていた。

 夢の中でラシェは、空色のレキクをまとい、カサの前で踊っていた。唄が終わると、カサが立ち上がり、その胸にラシェを抱く。温かい腕の中で、ゆっくりとラシェは瞳を閉じる。

「ふふ、うふふふ……」

 寝ながら笑うラシェに、サルコリの女が怪訝そうな顔を向けた。



 夜。

 月が出る直前に、カサは天幕を出る。

 外に出るのなら、この時間が一番見つかりにくい。

――今日は散々だったな。

 眠気がどうしても取れず、槍を突くのに全然集中できなかった。

 しまいには頭がぼうっとして、砂袋の端に槍先を引っかけてしまい、紐が外れてしまうと言うような失敗までしてしまった。ガタウは何も言わなかったが、さぞ呆れていた事だろう。

――明日はこういう事がないようにしないと……。

 反省しながらも、カサの表情は明るい。

 ラシェとの事で昂ぶって、昨日は一睡もできなかったが、今日は日暮れ前から今まで寝ておいたし、明日は大丈夫だろう。

――ラシェ、今日は来てるかな。

 カサの顔が自然とほころぶ。

――昨日来たから、今日は来ないかもしれない。

 それでもいい、とカサは思っている。

 あの岩の陰に、敷き布を隠してきたし、来てなければそこでもう一眠りしてしまえばいいのだから。

 高鳴る胸に囃されるように、カサは足早に歩く。

 約束の場所に着くと、ラシェが先に来ていた。例の岩に腰をおろし、カサの方をじっと見ている。

「ラシェ」

 カサは駆け寄る。

「遅いよ」

 言葉はカサを責めていたが、声は嬉しげだ。

 暗闇でよく見えないが、きっといつものようにはにかんでいるのだろう。

「昨日は僕が待った」

「今日は私が待ったわ」

 それから二人で笑いあう。

「敷こうよ」

 岩の陰にまとめて片づけてあった布を引っ張り出し、上に広げる。おそるおそる腰をおろし、

「何か、もったいないな……」

 ラシェはまだ遠慮がちだ。

「いいよ。他に使う事もないし」

 それから顔を伏せて、カサ。

「あげられないなら、せめて使って欲しいんだ」

 ラシェの隣に腰をおろす。カサの気持ちに感動して、それが照れくさくて、

「もう!」

 甘えるように肩をぶつける。

「ラシェは、幾つだっけ」

「十九歳(十五・六歳)よ」

「ふうん」

 と、カサ。

「僕より一つ上なんだね」

 なんだかカチンと来て、ラシェは抗議する。

「なによ」

「ううん」

「なによ、言いなさい! 年上に逆らうの?」

 年上風を吹かせる。

「ううん」

 カサは笑い、

「そうは見えないなって、思って」

「そんな事ないわ。私から見れば、カサの方がまだ子供だもの」

 むきになってラシェは言う。どうしてだろう、カサにだけは負けたくないのだ。

「そうかな」

「そうよ」

 カサは含み笑い、ラシェは唇を尖らせている。暗い中でもカサの肩が震えているのが判る。ラシェはぷっと膨れ、

「こら! 笑うな!」

 カサに掴みかかり、押さえ込もうとする。

「わあっ、危ないよ!」

「やあ、もう!」

「あっ!」

「カサ危ない……!」

 もみ合ううちに、ラシェがカサの上にのしかかる形になる。

 怪我をしないように、ラシェの両腕をカサが抱え、その所為でラシェは手をついて踏ん張る事ができない。結果、カサの胸にラシェがすっぽり収まる事になった。

 地平線から、半分より少し欠けた月が昇る。

 薄い明かりが、二人を照らす。

 月明かりで、お互いの姿をきちんと見る事ができた。

 その途端、ラシェは恥ずかしくなった。

 カサから身体を離そうと思ったが、両手を掴まれていてはそれもできない。

 間近で見詰めあう二人。

 月明かりにラシェの瞳が潤んでいるのが見えて、カサの心臓が踊りだす。

 お互いの胸が密着していて、激しすぎる鼓動がラシェに伝わってしまいはしないかと、カサは恥ずかしくなる。

 それはラシェも同じで、間近で見たカサの顔に、昼間見た夢を思い出してしまい、逃げ出したくなるくらい顔が熱くなる。

 無言で見詰めあう二人。

 顔をそむけたいくらい恥ずかしいのに、痺れるような甘い空気に、お互い目を逸らす事ができない。

 交わした視線に引き寄せられるように二人の顔が近づき、

 そして

「ごめん、おっ、重かった?」

 触れ合う直前、ラシェが飛び退き、身を離す。それでカサも我に返る。

「う、うん。大丈夫」

 二人とも、みっともない位に裏返った声。

「はは、ああ驚いた」

 カサが笑い飛ばそうとしたが、夜目にも判るほど赤くなりうつむいてしまったラシェに、空笑いは萎んでゆく。

 ラシェは襟元を直し、わざとらしい動きで前髪をつまむ。カサも座りなおし、汚れてもいない尻をはたく。

 沈黙。

 余りに心地よい二人だけの時間を、月にのぞき見されたような気まずさ。この羞恥を拭う言葉を、カサは思いつかない。横目でラシェを覗き見ると、同じようにカサを見ていたラシェと目が合う。

 すぐ逸らす。

――なんでこんなに恥ずかしいんだろう……。

 鼓動は祭りの打鼓よりも激しく、耳が詰まるほど首から上に血が集まって、痺れる指先は怯えたように震えている。

 ラシェにばれぬよう、手を握って指先を擦りながら、カサはさっきの出来事を反芻する。

――ラシェの身体、すごく軽くて柔らかかった。

 身体が熱くなる。

 こんな事を考えているのがラシェに知れたら嫌われてしまうと思うと、カサはもう隣を見る事もできなくなる。

 大人が三人ゆうに座れる岩の上で、それ以上端に座れないくらい、お互いに離れて腰掛ける。どちらも膝を抱えたり揃えたりと、ただ座るだけがぎこちない。

 ほてった顔を紛らわすように、カサとラシェはつま先で土いじりしたり髪をとかしたりしている。

 その夜はもう会話はなく、二人は朝までずっとそのままでいた。

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