交歓
驚いた。見るからに高価な生地である。そんな簡単に、人にあげられる物なのか。
「……大切な物なんじゃないの?」
「牙を、貰うんだ」
「牙?」
何を言い出すのだろう。
「狩り。狩りから帰ると、戦士は毛皮とか牙とか、そういう物を貰えるんだ」
「牙って?」
「コブイェックの牙」
聞いた事がある。
「大きい獣なんでしょ?」
「うん。大きいし、強くて凶暴」
「危ないんだよね」
「うん。だけどやらなきゃ、邑が飢えてしまうから。それで遠くに狩りに行くんだけど、終わったら褒美に貰えるんだ」
「ふうん」
「みんなそれで邑に来た商人と、飾りとか食べ物とかに交換して貰うんだけど、僕はそういう物いらないから」
「うん」
相槌ばかりだ。この話、どこに向かうのだろう。
「それで、牙が何本か貯まっちゃって。またお茶に換えてもらおうかと思ったんだけど」
「お茶?」
「あの、飲み物に味をつける葉なんだけど、美味しいんだ」
「ふうん」
よく解らない。
「その時はまだお茶はあったから、だからこれを貰ったんだけど。全然使わないから…」
それからラシェを盗み見て、
「だから、あげようか?」
「え?」
「いらない?」
こんないい生地、欲しいに決まっている。
それはラシェにとってはこの上なく魅力的な贈り物であった。
ずっと新しい服が欲しかったのだ。
今着ている物は、あちこち解れてきていて、いっそ裂いて天幕の穴を塞ぐ布地にしようかと思っていた。
――この生地を使って、どんな服を作ろう……!
ラシェの眼が輝く。
腰の高い位置で結ぶ、レキクという娘らしい服がある。胸元から布を巻きつけ、足元に斜めに生地を垂らす。歩くと膝が見え隠れし、軽やかで、とても華やかに見えるのだ。
――レキクを纏って、邑の娘みたいにに歩けたら、どんなに素敵だろう……!
それはずっとラシェの夢だったのだ。が、そこまで考えて、ふっと疲れた顔をする。
「貰えないよ」
「え?」
「こんな良い物持ってたら、叱られちゃうもの」
「どうして?」
「駄目なの。サルコリは、こんなに良い物持ってちゃいけないから」
「なぜ?」
「それは、私がサルコリだから」
ラシェは頑なで、だからカサはむきになる。
「僕は、持っていっていいって言ってるのに……」
「ありがとう。でも貰えない」
カサの気持ちは嬉しいのだ。だが、現実はそれを許さない。
サルコリにも優しい者はいるが、彼らはたいてい仲間の飛びぬけた幸せを許せないという生臭さもあわせ持っている。
ラシェが裕福になれば、彼らはラシェを妬むであろう。家族に害なすかもしれない。
「僕は、これをラシェにあげたいよ」
ラシェは首を振り、
「ありがとう」
とくり返すばかり。さすがにカサも萎れ、それ以上何も言えなくなる。
「ねえ、冬の間も、ずっとパラバィ(夏営地)にいたんでしょ?」
ラシェが勤めて明るい声でたずねる。重い空気を払拭したいのだ。
「うん。ずっとここにいたよ」
カサにもそれが解ったので、同じような声で答える。せっかく二人きりなのに、暗い雰囲気のままでいても楽しくない。
「この冬は、凄かった。ヒルデウールが二度も訪れたんだ」
「二度も?」
「うん。普通の冬は一回だけなんだけど、二度来る年もあるんだって」
そこまで言って思い出す。
「大戦士長が言ってた。そういう年は、植物が育たないって。一度目のヒルデウールで目が出た芽が、二度目のヒルデウールで流されちゃうんだって」
「そうなの?」
「うん。だから今年は作物が不作かもしれない」
ラシェが憂いた顔で視線を落とす。
不作は、そのまま邑人の生活を圧迫するのだ。カサはあわてて、
「大丈夫だよ。そういう年は、戦士が狩る獣の数を増やすんだって。それで、食べ物が少ない時を乗り切ってたらしいから」
「でも、狩りって、危ないんでしょ?」
「うん」
「カサも狩りに、参加するんだよね」
「するよ」
「……狩りって、危ないんだよね……」
「……うん……」
二人、黙る。
「でも、カサは危ない事、しないんでしょ? 戦士には、もっと大きい人がいっぱいいるんだし」
カサは首を振る。
「するよ。僕はいつも、一番前にいる。そこで、槍を突くんだ」
「どうして?」
なぜ? カサなんて、見るからに戦士には向いていない。
「僕は、たぶん特別なんだ」
「だって、どう特別なの?」
カサは、とても悲しそうな顔をした。
「僕が、大戦士長に槍を教わってるから」
だから自分は、戦士長たちと並んで槍を任されるのだ、そうカサは思っている。
戦士たちの中にも同じように思う者もいないではないが、カサの力量を最も低く見ているのは、他でもないカサ自身であろう。
「どんな事をするの?」
「槍で、獣を突く」
「殺すの?」
「うん」
答えるカサの顔に、緊張がみなぎってゆく。
ラシェの初めて見る、カサの戦士の顔だ。
「ラシェは、冬の間なにしてたの?」
これ以上狩りの話をしたくなくて、カサは話題を変える。
いまだにカサは、獣と狩りに強い恐怖を覚えている。
「冬は、別に何もしてないけど」
「何もしてないの?」
カサが笑う。ムッとしてラシェ。
「何もしてなくないもの。弟の世話とか、ご飯作ったりとか、服を繕ったりとか」
「食事の用意もするの?」
「そうよ。サルコリは皆そう。自分たちで何でもできなきゃいけないんだから」
「ふうん」
カサは感心する。
「凄いな」
「そ、そう? でも普通よ」
褒められて一転、恥ずかしくなる。部族に、戦士よりも大変な職種はない。
「僕たちは、みんな別々の仕事をするから。ずっとそうしてきたし、そうするものだって思ってた」
素直に感心されて、ラシェは誇らしさを覚える。
サルコリに生まれた事が誇らしいなどと、ありえないと思っていたのに。
「でも、それが普通よ」
「凄いよ」
「そんな事ないよ」
笑い合いながらそんなやり取りをつづける二人。いつの間にか二人の間にあった空間は、座り始めた時の半分になっている。
ラシェが笑い転げると、肩がカサにぶつかり、カサも同じように笑う。
夜が更けてゆくうちに、二人は親密さを増してゆく。
やがて月が頭上に達する頃、暁の光が、地平線を浮かび上がらせ始める。
「じゃあ、行くね」
「うん」
ラシェが歩き出す前に、カサは呼び止める。
「あの……」
「……え?」
「……」
ためらいがちに口をつぐみ、
「また、会ってくれるよね……」
気弱な態度にならざるをえないカサに、ラシェは屈託のない笑いを浮かべ、
「うん」
橙色の朝陽に照らされた顔がとても晴れやかで、その瞳の輝きに、カサの胸は熱くなる。
見詰め合う二人。
「ねえ」
「……え?」
「背、伸びたね」
探るように言うラシェの眼には、悪戯っぽい光が揺れている。
「……そうかな」
「うん。伸びた。だって前に会った時、目の高さが私と一緒だったもの」
今は、カサがラシェを、少しだけ見下ろす形になっている。ラシェがカサのすぐ目の前に来て、
「ほら!」
ラシェの息が、カサの口許にかかる。少し見上げるラシェの唇とカサの唇が届きそうで、頭の中が真っ白になる。
「ね?」
「う、うん」
一歩離れ、クルリと背を見せ、
「じゃあ、また」
ラシェは駆けてゆく。
その姿が見えなくなっても、カサはラシェの気配を見送っている。
その向こうに浮かび上がる、赤茶けた邑。
太陽が姿を現した瞬間、二人の間に道のように長い影が駆け抜け、カサは息を呑んだ。
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