戦士カサ -砂漠の伝説-
ハシバミの花
少年
少年
少年は戦士 乾風を孕む髪を持つ
白い肌を曝し 水を底に残した砂を踏みしむ
炎熱を孕む風を受け 血の匂いを胸に求む
槍を胸に伴い 牙と毛皮を得て成人す
少年が立っている。
幼さのあらわな横顔。
赤銅のように赤い肌。
髪は暁の強すぎる太陽にくすぶる灰のように、銀色を放っている。
風のかたちに揺れる灰色の前髪のすきまから、石英の様にぬれた深い暗青の瞳が見えかくれする。
歳は、十をいくつも越えてないだろう。
ビュウ!
駆けぬけた一陣の強い風。
――ツェガンだ……。
少年が現象を、頭の中で単語にする。
ツェガンと呼ばれる、乾燥した砂をふくむ重い風が、少年の後れ毛をもてあそぶ。
――ツェガンがツェズンに変わった…。
膝もとの砂が舞い、ツェズン、乾燥したつむじ風をいくつも生む。
パタパタパタ。
民族衣装の真っ赤な下ばきを、風があおりはためく。
肩にかついだ長すぎる槍も、風に合わせて揺れた。
槍の先には、いかな動物の物であろう、恐ろしく大きな牙がくくり付けられている。
少年の体を駆け上ったツェズンが、鋭いその切っ先で、ピュウと裂けた。
この民族の風と砂を表現する単語は、二百を超えると言われている。
砂漠の色あせた、地に這うように茂る茎の太い草々が、砂利と砂とにはるか埋めつくされた地平線から、まばらにのぞいている。
少年の名はカサ。
ここから砂丘をふたつ越えたところに天幕をかまえる部族の、若い戦士だ。
戦士、といっても彼らは人間と戦う存在ではない。居住地を十日離れ、そこにいる獣を捕らえて戻る、狩人である。だがここではあえて彼ら、少年カサをふくむ階級の彼らを原文のまま戦士と呼ぼう。
モークオーフ。
階級を示す、戦う男という意味以上に、彼らの仕事はそれだけ苛烈だった。
少年、いやもうカサと呼んでしまう事にする。
カサはやがて当人以外には推し量れない何かを諦めたようにうつむいて、思いつめた瞳を、くるぶしでおどりつづけるツェズンに落とす。
見つめていた地平に背を向けるカサ。
その表情はもう見えない。
ただ歩む先、うっすらと煙る砂丘の稜線の向こうには、パラバィ、彼の部族の夏営地がある。
見渡すかぎりの岩と砂と丘。
彼らの言語でこの砂漠は、世界と同義。
彼の地に生まれ育った戦士の部族は、生存極限の砂漠以外の世界を一切知らずにいた。
「カサ、どこで何をしていた。戦士が遅れるでない」
低く重い叱咤がとぶ。未発達な体躯を更にちぢめるカサ。
「ごめんなさい」
言葉も見上げる仕草もまだ幼い。
「いい、後ろに並べ」
カサを叱ったたくましい壮年の男、ブロナーは右手でカサをおいはらう。胸元に槍先と同じ牙を一本、革紐に結びつけ、首から下げている。
戦士長の証である。
ブロナーはカサのいる小さな隊、遠征隊のはしを勤める五人組を治める五人長の一人、もう幾度も狩りの遠征に参加したことのある熟練の戦士なのだ。
「カサ、遅れるな」
「小便でもちびっていたのか?」
「ハハ、子供は小便も満足に我慢もできないか」
からかう数人の少年たちは彼らもカサと同じく、この遠征がはじめての狩りになる。
けれどカサの体は、その彼らの中でもひときわ小さい。
――仕方がないか。
屈強な手練の戦士、ブロナーはそう思う。
まわりからからかわれ、首まで真っ赤にしているカサ。
どういう訳かこの遠征に抜擢された、このひ弱な少年。
それとなく注意を向けておかねばと、胸中ひそかに懸念する。
戦士としては背丈の小さすぎるカサに、まだ十一歳の息子の面差しを見たのだ。
そのカサは、沈んでいる。
なぜ自分がここに参加しているのか、分からないからだ。
モークオーフ、戦士といえば、男の子たちは誰もがあこがれる。強く、たくましい、真の男たちである。
戦士の上には二つしか階級がない。邑長とマンテウ、大巫女だ。
なのにカサはうれしくない。みんなより三年(約九百日、私たちの暦で二年強)も先に成人、階級分けされたというのに。
カサは、おとなしい少年だった。
人より目立とうなどと考えたことはない。
ましてや前例のない、モークオーフへの大抜擢など、カサの望むところではないのだから。
カサの一番の友達、ヨッカは気楽に
「いいなあ」
といった。
「ズルでもしたんだ!」
そう言って露骨に嫉妬する者もいた。
なのにカサはうれしくない。
「母親の元に帰らないのか?」
「俺こいつと同じ隊かよ!」
「邪魔するんじゃないぞ」
自分より頭ひとつ以上大きい少年たちに囲まれ、カサは身をちぢめている。
――自分のせいじゃ、ないのに。
一人うつむいて、下唇をかむ
戦士になれる者は、部族の中でも十分の一、全て男子の、五人に一人だ。
そんな栄えある一員に、カサのような若年のものが混じっていることを、面白く思わない人間もいる。
今年選ばれた少年たちは、特にそうだ。
自分たちが受けるべき羨望を、ちんちくりんのカサに持っていかれたと考える。
戦士の用いる、鮮やかな緋の装束。
男の子なら、誰もがあこがれる、選ばれし強き者の象徴。
他の若い戦士たちはみな、晴れがましい顔をしている。
背丈も幅も足りないカサがそれを着ても見ばえせず、だから勇ましさとはほど遠い。
「ヤムナ!」
女の声、女人禁制の狩りへ向かう戦士たちの集団の中に、一人の少女がすべり込んでくる。
白黒の民族衣装に、刺繍の入った太い帯。邑長の一人娘、コールアだ。
「がんばってね! 怪我とかしちゃ、いやよ?」
成人前の娘とは思えぬ、艶のある声で言う。
「待ってろコールア! みやげ話を、山ほどしてやるさ!」
うわついた声でそう答えるのは、ヤムナ。
今年新たに戦士階級に選ばれた少年だが、若い戦士の中でも一番体が大きく、見た目も大人びて男っぽい。
新参の戦士の筆頭である。
そして一番カサを疎んでいるのもこのヤムナだ。
ヤムナが嫁を選ぶのはまだ先の話になるが、二人の仲はすでに公認とされている。
次の邑長はヤムナだと、気が早いことを言うものもいる。
実際、コールアは邑でいちばん美しい娘で、未婚の男たちはみな、彼女に想いを寄せている。
だけどカサは、コールアがあまり好きではなかった。
コールアが見せる、たとえばヤムナにしなだれかかるような仕草を見るたびに、言い知れない居心地の悪さを感じる。
カサがまだ幼いせいだろう、男女の媚態に過剰に反応してしまうのだ。
「寂しい。私の事以外、考えちゃ嫌よ!」
ヤムナの首に両手をまわしていたコールアが言う。
「男は狩りの時、狩りの事意外は考えちゃいけないんだよ」
気負った声でヤムナが返すと、
「そんなの嫌!」
コールアが愛らしくすねる。
女人禁制の遠征隊が整列する中での嬌声、邑長の娘とはいえ、目に余る行為だ。
いいかげん戦士長たちが注意せねばと考え出したころ、低い声がひびいた。
「……娘」
その場に居た者、すべてが息を呑む。
ジャリ、声の主のつま先が鳴る。
「ここには来るな」
ゾッとするような、迫力のある声。
短躯だが背すじの伸びた、壮年をもはや過ぎようとしている男。
首から下げた革紐には三本もの巨大な牙、使い込んだなめし革のように黒みがかった肌、眉の下からのぞくは鋭すぎる眼、右手に持つ槍にくくりつけられた槍先は闇のように黒い。
そして、二の腕から先の欠落した左腕。
大戦士長、ガタウ。
邑の戦士で最年長ながら、砂漠で最高の戦士といわれている男だ。
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