友喰い

 カサと斑の息づかいが混じりあう。

 いつの間にか陽が暮れている。

 辺りには闇が満ち、やがて月が昇り始めるであろう。

「ゴアアアアアアアアアアアアアアア!」

「オオオオオオオオオオオオオオオオ!」

 マダラが吼え、カサも吼える。どちらも消耗が激しい。激突し、交錯し、絡みあい、けん制しあう。いずれにも決定的な一撃を得られぬまま、朝に始まった闘いは、いつしか夜までつづいていた。斑は飽く事なくカサを追い回し、そして好機と見るや一気に距離をつめとどめを刺しにくる。カサの心臓を食らうまでは、その背を追う事をやめぬだろう。

 だが、カサの攻撃も峻烈さを増していた。命を捨てて踏み込み紙一重で獣の爪をかわし、隙と見るや懐深くに槍を突きこむ。抜群の運動能力で攻撃範囲を出入りし翻弄する。その動きはもはやガタウを超え、更なる高みに達している。

 そんなカサでも、斑を斃すのは至難であった。

 槍が短いのも災いし、幾ら突けど急所の破壊には至らない。

 斑は体中から出血し、そしてカサも同様に、体の各所で傷が開いている。

 両者は最早、互いの姿以外何も見ておらず、恐怖も怒りも忘れ、ひたすら相手の攻撃をかわし、隙を見て強烈な攻撃を加える事だけを考えている。

 これだけの長きにわたる闘いをつづけながら、どちらの眼も昇り始めた月よりも強く輝き、互いの命を求める。

 獣の凶暴性に引きずられるように、カサは己の奥深くに秘めた獣性を引きずり出し、叫ばせる。

 その姿はすでに人間ではなく、一頭の獣であった。

 カサは獣のごとく狂気を放散している。

 もはやカサには言葉も理性も必要ない。

 ひたすら獲物の血肉を欲するだけの肉食獣になりきっている。

 危険を楽しむ壊れた喜び、痛みを喜ぶ狂った衝動。

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」

「ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 カサが吼え、斑も吼える。

 互いの血肉を貪り食わんと、歯をむき出しにして闘いつづける。たっぷりと血を含んだ本能をいきり立たせ、自ら狂気を解き放つ。凶暴な牙をむき出しにして、両者は際限なく絡みあう。


 そしてまた、陽が昇る。


 気が狂いそうなほど、緩慢で急激な時間の流れ。

 戦いつづける忘我の二頭は、もはや限界など遥かに超えている。疲労に血を吐き失血に意識を分断されながら、砂袋のように重たい己の四肢を酷使し振りあげ、果てしなく遠くにある獲物めがけて、己が武器を叩きつける。


 そしてまた、陽が沈む。


 カサは、肩で息をしている。

 斑も、肩で息をしている。

 疲れが明らかになっているというのに、どちらの眼も更に爛々と輝きが増している。

 闘いに、終わりが迫っていた。

 どちらも動きに鈍りが明らかで、攻撃を避ける事が出来なくなってきた。

 程なく勝負は決まる。

 凄惨な消耗戦に、ようやく幕切れが訪れようとしているのだ。

 カサの槍は、もう槍ではない。

 くくりつけた応急の槍先などとうに落ち、短かった唐杉の槍身は、割れ、砕け、削れてさらに短くなり、握った先はひとつかみほどの長さしかない。

 獣の爪もまた、爪として機能していなかった。

 両前肢の爪、すべてが、折れ、割れ、剥がれ、根元から血を流している。

 どちらの手の武器も、もはや一撃で相手を必殺する得物足り得ない。

 だが斑にはまだ、牙があった。

 口からはみ出す、信じられぬほど長い牙。

 その左、緩く弧を描く外側に赤い筋の通った、ひときわ長い牙。

 この砂漠で、どんな獣より多くの血を吸った、もっとも強き武器。

 そこに斑は最後の力を溜める。

 このひと噛みに、すべてを賭けようというのである。

 この上なく漆黒で、この上なく純粋な殺意。

 獣の顔はもうすでに、カサを食らう喜びに奮えている。

 全身の栄養が、この一撃のために必要な部位に集められる。

 斑が距離をつめ、カサを仕留めにくる。

 短くなった槍は、もはや素手と変わりあるまい。

 肉体と肉体がぶつかれば、押し負けるのはカサだ。

 絶体絶命。


  ヒッ。


 カサが、凶暴に嗤う。

 状態は最悪、状況も最悪、なのにカサは嗤っている。

 確かに、手にある槍は、もはや武器として形を成していない。

 握った両手の爪も、武器代わりに使って剥がれ、血が滲んで指先は真っ赤になっている。


  だが、カサにもまだ、武器があったのである。


「ゴワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 立てば高さ十八トルーキを超える巨体の突進。

 眼前に突き出されたカサの槍は、この二昼夜絶え間なく斑の全身を引きちぎりつづけた凶物だ。カサはそれを駆使し、あらん限りの技法で斑の四肢を、皮膚を裂き、筋肉を断ち、爪を折り、骨を砕きつづけた。それは斑の生涯で、最も斑の肉体を傷つけた恐るべき牙だった。それがコブイェックの幼体の牙はどの長さしかなくとも、その先端は常に斑を痛めつけてきた脅威の牙なのだ。

 カサはその先端に殺気を乗せ、全力で槍を放つ。持久力の限界を超え、いまや斑の肉体は攻撃の度に傷つけられていた。肉体全ての面において劣るカサだが、ここまでかすり傷で済んだのは、彼我の距離を完璧に支配していたからだ。

 だから、斑はそこに罠を張った。腹立たしきこの小動物を最強の敵と認め、己が肉体を犠牲に、最後の一撃で仕留める。

 カサの一撃を、鼻面であろうが眼球であろうが避けずに受け、両の前肢を以て下からその肉体をすくいあげ、そして己が牙の餌食とする。

 斑は、目玉に向けられたカサの槍を瞬きもせずに睨みつけ、前肢を広げ、カサの命を断つべく、その恐るべき牙を剥く。

 だから

 斑は、

 カサがその槍を手放したのに気づくのが

 刹那、遅れた。

 怒り狂う斑の鼻先に、

 カサはその槍をフワリと投げおいた。

 この時、

 この一瞬のために

 カサはこの槍、斑を殺すには威力のないただの棒切れで、その肉体を刻みつづけたのだ。

 斑の全神経がが槍に集中する、その一動作を創りだすためだけに。

 地面を這うように薙いだ両前肢での打撃が、空を切る。

 剥き出したあぎとの先、斑の視界にカサはいない。

 カサは跳躍していた。

 優れた脚力で斑の巨体を飛び越え、その背に着地して獣の後肢の付け根、腰の上部腸骨窩を砕いて刺さったままになっている槍をつかみ取り、両足で胴体を蹴ってねじり抜き、また地に転がって体勢を立て直し、

 カサの目的を知った斑が、

 急いで追撃を加えるべく

 ふり向こうとねじったその首筋に


 鍛えこんだ褐色の槍先


 己の体の一部を用いて作った


 この砂漠でもっとも硬い先端が


 雷撃の疾さでねじりこまれた。


 ベキリ。

 頚椎を砕く、おぞましき破砕音。

 カサの槍先が、斑の太い首を貫き、串刺しにする。

「――――――――――!!」

「――――――――――!!」

 斑が苦痛に発狂して吠え、カサが食欲に狂喜して吼える。

 カサが槍を引き抜き、再び首に刺しこむ。

 斑が暴れる。

 爪根そうこんのみ残ったその爪が、カサの顔を浅く切り裂く。

 カサが槍を抜き、更に獣を突く。

 首を捻っても届かぬその牙が、空しく噛み合わされる。

 カサが槍を抜き、突く。

 頸動脈が切断され、血筋が二本真っ直ぐに噴く。

 斑が絶命の雄叫びを上げ、斃れる。

 カサが、突く。

 太い喉が破れ、空気が漏れて笛のように甲高く鳴る。

 斑の肉体が、死を目前にした、最期の痙攣を始める。

 仰向けに倒れた巨体に跳び乗り、

 カサが、突く。

 斑の目が恐怖に見開き、この砂漠で一番強かったその顎を、その巨大なる牙を剥く。

 カサが、突く。

 カサが、突く。

 斑の全ての生命活動が停止する。

 カサが突く。

 カサが突く。カサが突く。カサが突く。カサが突く。カサが突く。カサが突く。カサが突くカサが突くカサが突くカサが突くカサが突くカサが突くカサが突くカサが突くカサが突くカサが突くカサが突くカサが突くカサが突くカサが突くカサが突くカサが突くカサが突くカサが突くカサが突くカサが突くカサが突くカサが突くカサが突くカサが突く。薄汚れた銀の髪を振り乱し、その瞳は、狂気に彩られている。斑の体は、とっくに動く事をやめている。剛毛に覆われた皮がめくれ、筋肉の断面が見え、腹圧で背や腹から紅くぬめる内臓が飛び出し、血と黄色い脂肪と消化液とリンパ液が噴き出し、ついにそれが枯れても、カサは突くのをやめない。


 また、朝陽が昇る。


 ともがらを屠り、独り遺されたカサが哭く。

 それは誰にも届かぬ、孤独な獣の咆哮。

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