適材

「オオオオオオオオオオオオオオオオ!」

 鬨声が響く。

 巨大な獣を取り囲んで、戦士の唄が響きわたる。周囲の戦士たちの中から、小柄で隻腕の男が、獣の前に進み出る。滑らかな肌。強い瞳。

 カサだ。

 槍を低くかまえ、すり足で近寄る。

「ヤアアアアアアアアアアアアアアア!」

 彼我の距離は、2イエリキ(約六メートル)程度。獣が、飢えた目でカサを向く。

「ハー! ハー! ハッ! ハッ!」

 眼と眼が、正面から合う。腹の底から沸きあがる恐慌を、カサは力づくで押しかえす。

「イヤー! アー! ヤヤヤヤヤ!」

 ついと槍を上げると、獣も立ち上がる。自分よりも背の高いものを前にすると、獣は自分をより大きく見せようと後ろ肢で立ち上がるのだ。その性質を利用して、戦士たちは獣を狩るのである。

 四方を囲まれて、獣が胸を膨らませる。

「ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 獣が吼える。

 頭を丸ごと齧れるほど顎を広げ、その叫圧でカサを吹き飛ばさんとする。

 血と苦痛と恐怖の記憶が、カサの心胆を沸騰させる。

 手の平、脇、そして背筋にどっと汗がにじむ。

 体内を暴れる血に、膝が震えだすのを感じる。

――これが、一の槍。

 獣と相対する一の槍は、他の槍とは違うとされている。

 一の槍をこなしてこそ、戦士。

 技術や腕力よりも、真の勇気が求められる一の槍こそ、戦士の狩りの、真骨頂なのである。

――まず呼吸を戻そう。

 浅くなりそうな喉での呼吸を深い腹式呼吸にもどし、身のうちの恐怖と獣の威圧感、その両方を肚に呑む。

 呼吸が落ち着くと、震えが止まった。

 力一杯握ってしまいそうな槍から、余分な力を抜く。

 揺れていた槍先がぴたり、宙に静止する。

――腕は使わず、腰で撃ち込む。

 ガタウの教えが、カサの脳裏を駆け抜ける。軸足を踏み込み、蹴り脚を足を引き寄せる。

 一歩、さらに一歩。

――槍の間合いに入った。

 次にカサが動いた時が、狩りの始まりの合図となる。

 その時こそ、戦士としてのカサの命運の決まる時だ。

「ゴルッ……ゴルッ……ッ」

 カサを見下ろす血走った眼。喉鳴りが小刻みなのはまだ若い個体だからだろう。獣、コブイェックの生態についていまだ詳しい事は解らないが、大きさから考えて少なくとも三十年以上は生きるのではないだろうか。

 カサの目の前にいるコブイェックは十歳前後、青年期に入りつつある個体であろう。

 血の気の多い年齢である。それだけにどういう行動を起こすか判らない。

 肉体は成長しきっていないが、非常に危険な大きさの獣である。

――油断するな。

 終の槍を受け持ったソワクが、獣を挟んで正面から向き合うカサを、不安な眼で見ている。

 カサの狩りの腕は知っている。

 その槍の鋭さ的確さは、若手ではソワクと並ぶであろう。

 だが、ソワクは思う。

――カサには、力が足りない。

 単純に、筋力と体重が足りないのである。

 一の槍に必要なのは先ず獣を恐れぬ勇気、そして暴れる獣に堪えられる足腰の粘りと、槍を保持する腕力である。

 この後者二つ、成長期のカサにはまだない。

 ソワクが槍を取リ直す。

 いざカサの危機となれば、二の槍三の槍をとばし、己が槍で獣に止めを刺すつもりだ。

 夜闇が力を増してゆく。

 それにつれて、灯した松明の火もはぜて勢いを増し、カサと獣の周囲から時間の感覚を奪ってゆく。

――うむ。

 カサの後ろ姿を見守りつつ、心の内でガタウがうなずく。

 誰も気づいていないであろうが、今、カサと獣の呼吸が、一致している。

 獣が息を吸えば、カサも息を吸い、カサが息を吐けば、獣も息を吐く。

 獣と呼吸を合わせる事によって、獣の動きを読み、その機先を制する事ができる。

 長年ガタウが試行錯誤し、手に入れた極意を、カサは本能的に知っている。

 その類まれな戦闘感覚と、一途な性格をガタウは信じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る