脱出
夕刻。
カサがついに狩り場を抜ける。
ここまでくれば安心だ。
獣が狩り場を出る事はない。
「やった……!」
カサは歓喜する。
状態はひどいものである。
返り血を浴びたトジュはあちこち破け、体中生傷だらけで、持っているのは半分に折れてしまった槍の成れの果て。
それでもカサの表情は晴々としている。
カサはついに、試練を成し遂げたのである。
狩り場の外で、埋めていた荷物を掘り出して、カサは何日かぶりの食事にありつく。
弱りきった胃に干し肉は重かったが、それでも咬みつづける事で、何とか腹に収めた。
しばらく考えた末、ガタウの分の荷物は置いてゆく事にする。
持って帰るのは手間だし、何よりも、ガタウのために何も残さないというのは、あまりに薄情だ。
そのまま朝までここで過ごすと決め、久方ぶりに獣の脅威のない安らかな夜、カサは眠りを貪る。
ガタウの夢を見た。
遠くから槍を振りあげ、
何か叫んでいる。
何かを知らせようとしているようだが
それが何なのか、
カサには解らない。
まどろみから覚めると、もう憶えていない。
カサは何か忘れ物をしたような気持ちになりながらも、荷物をまとめて帰路につく。
遠ざかる狩り場を、カサは一度だけふり返り、感慨深げに見つめる。
――この地でこれまで、多くの戦士が死んでいったのだ……。
ヤムナ、ブロナー、カイツ、そして、ガタウ。
言い伝えのように、彼らの魂は今もこの狩りの地で、自分たちを見守ってくれているのであろうか。
――ガタウ……。
皆に崇められ、一人戦い死んでいった寂しい戦士。
それはカサにとって、かつてない大きな別れであった。
今、カサは一人でここにいる。
それが何と奇妙に思える事か。
今までは何も感じなかったその土地が、まるで意識を持っている生き物のように思える。
寂しげな顔をこちらに向け、カサを呼んでいるような気さえする。
巨石が並び、地平が煙り、上に岩というにはあまりに巨大な、隠しきれぬ真実の恐ろしさを見せつけてきた場所。
カサは長い事そうして、人を寄せ付けぬ、だけど多くの生命が生きるその地を見つめ、気が済むと
ザ。
踵を返して歩き出す。
もうふり向かない。
感傷など後から幾らでも噛みしめればよい。
今はただ、一刻も早くラシェに会いたかった。
途中、水袋の中身が心もとなかったので、ガタウと立ち寄った邑跡へ向かう。
太陽や星を読み、方角を測る。
途中、何度か首筋がチリチリと焦げるような感覚があったが、長い緊張がまだ残っているのだと気にせず歩みを進める。
このわずかな遠回りですら、カサにとっては一月以上の長い道のりに感じられる。
――ラシェ……。
心はもう、夢想を始めている。
自分が生還したら、ラシェはどんな顔をするだろうか。
もちろん喜んでくれるであろう。
邑に着いたら家族用の天幕をもらい、一緒に住もう。
カリムも成人するまで、三人一緒に住めばいい。
荷物を背負い、折れた槍を杖にカサは歩く。
空には、群れて飛ぶ渡り鳥。
カサはそれを見上げ、時々一人で嬉しそうに笑う。
顔は安堵に緩みきっている。
希望に満ちた足取りは軽く、その眼は幸福に溢れる未来しか見ていない。
そのすぐ背後。
迫りくる怒れる餓えた牙に、カサはまだ気づいていない。
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