黙然

 その夜も、トカレの天幕にヨッカは来ている。

 二人は普段と同じように、共に食事を摂っている。

 配給すべてが終わるまで時間が取れないため、食糧管理階級カラギの者は、他の邑人よりも食事が遅れる。

「ヨッカ」

「うん」

 トカレが差し出した椀に、ヨッカが二杯目のシダクル(麦粥)をよそう。

 別の椀に、ナコザ(根菜を茹でて潰した物)を盛り、トカレに渡してくれる。

「ありがとう」

 トカレは受け取る。

 年下の優しい恋人に、トカレは満足している。

 初めてヨッカから愛情を示された時、トカレは戸惑った。

 成人して間もないヨッカはまだ子供にしか見えず、トカレに充分な喜びを与えてくれるようには見えなかったからだ。

 だが気をつけて見れば、ヨッカは真面目だし一途で、充分に成熟しているとは言えないが、それほど子供でもない。

 それに、ヨッカのつぶらな瞳は、笑うととても綺麗に輝く。

 若さに似合わず辛抱強いヨッカに、やがてトカレもほだされ、惹かれていった。

 そのヨッカが、ここ数日黙り込むようになった。

 今もそうだ。

 食事中しながらの会話が二人の一番親密な時間なのに、今日二人で話した事といえば、さっきのやり取りと、あとは仕事に関する伝達のみ。

――きっと、カサの事に違いない。

 昨日からつづく一連の騒ぎは、トカレも良く知るところだ。

 派閥分けするならば、カラギは邑長派の急先鋒である。

 人数が多く勢力もあり、そして戦士階級ほど閉鎖的でもない。

 だからであろう、カバリはカラギに、多くの人脈を持っていた。

 その人脈も、先の騒ぎで多数の怪我人が出、戦士階級と対立する愚を知った多くの者がカバリに背を向けている。

 それ自体は、ヨッカやトカレにとっては、歓迎すべき状況であった。

 カバリの支配力は、いわゆる腐敗した組織に成り立つもので、取り込まれた長に就く者の多くは今回の騒動でそのあおりを受けた。

 とはいえカバリと手が切れれば、それだけで組織が浄化されるものでもないが。

 そしてヨッカは、黙り込んでいる。

 カサの事を考えているのであろう。

 昨日からずっとこの調子である。

 トカレは他者を尊重する人間だ。

 何かしら本人が考慮の末に得た結論こそ、当人の納得するものであり、無理に話を聞きだして他人が断じた結論を押しつけても、相手は受け入れないと知っている。

 だから今も、黙ってヨッカを見ている。

 ヨッカが、トカレの視線に気づく。

「……何? どうかした?」

 トカレは優しく笑い、

「何か心配事?」

 訊いてみる。

 もう丸一日こうなのだから、どんな形にせよ答えに近いものは出ているだろう。

 言いたければ言うだろうし、そうでなければ言わないだろう。

 話して楽になるのならば、トカレはそれを黙って聞くだけの分別を持ち合わせている。

「別に……」

 ヨッカが難しい顔で言うので、まだ話せる段階には来ていないと判断する。

「そう」

 トカレも深追いする事はない。二人はまた、黙って食事を摂る。

「カサは……」

 ヨッカが頬張ったまま、聞き取りにくい声で話す。

「これから、どうなってしまうんだろう」

 ヨッカは優しい人間だ。

 特にカサとは同じソワニに育てられた事もあり、とても親しくしていて、カサの事になるとヨッカは、まるで自分の事のように喜び、怒り、悲しむ。

「どうなるって?」

 トカレが辛抱強く訊く。ヨッカは首を振り、

「判らない」

 途方にくれて黙り込む。

 カサが真実の地におもむくという話は、冬営地の嵐、サヒンブールのように邑を駆けぬけた。

 今や子供でさえ、この話を知っている。

 そして、カサの想い人だという、サルコリの娘の事も、同じように邑の端々まで伝わっている。

 数日、邑はこの話で持ちきりであった。

 砂漠は厳しい世界だ、カサは死にサルコリの娘は不幸になってしまうに違いない、だとか、いやいやカサなら見事試練にを乗り越え、砂漠の真実を手に入れて帰ってくるに違いないだとか、各々好き勝手を言っている。

 よほど邑長と親しい者以外は、心中でカサの肩を持っている。

 だが、期待すればするほど、裏切られるのは嫌なものである。

 ひねくれた物言いをする者の多くは、傷ついた時の言い訳のように、否定的な未来を語る。

 ヨッカはカサに無事帰ってきてほしい。

 だがその難しさを、感じてもいる。

 だからカサが帰ってこれない未来を想っては、心を痛めているのだ。

 トカレは、そんな恋人を元気づけてやりたかった。

「ヨッカ」

 ヨッカが顔を上げる。

「カサを信じてあげて。帰ってこれるって、信じてあげて」

 トカレは優しく笑って言う。

「ヨッカが信じてあげなきゃ、誰がカサを信じるの?」

 ヨッカはしばらく考え、そして気が抜けたように笑う。

「そうだね。僕が信じてあげなきゃ」

 最後に鍋の底をこそげ取り、二人は食事を終える。

 一つの夜具に寄り添って入り、静かに眠りに落ちてゆくトカレとヨッカ。

 体を交わさずとも、二人でいられるだけで、恋人同士は幸せなのだ。

 カサと、あのサルコリの娘にも、そんな日が来るのであろうか。

 トカレは目を閉じる。

 すべてが終わったら、ヨッカにトカレの秘密を打ち明けよう。

 とびきり幸せな、今はまだトカレ一人の秘密。

 トカレには判っている。

 ヨッカは喜んでくれるだろう。

 ヨッカの腕枕で、その寝息を感じながら、トカレも蕩けるように眠りに落ちてゆく。

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