ヒルデウール
ガタウがヒルデウールに備え始めたのは、それから五日後の事である。
自らのバライーを畳み、カサにもウォギを片づけさせた。
芯柱や木組み、杭に天布や戸幕で作られた砂の部族の天幕は、中で人が生活できるだけあって全てをばらしたとは言えそうそう小さくはならない。
一所に集められてこんもりと膝丈の山を作ると、それら天幕の部品を芯柱に巻きつけてまとめ、縄できつく縛ってゆく。この時に槍も中にまとめておく。
それを挟み込む形で杭を打ちつけてゆき、その上からまた縄で固定する。
最後の縄を締めおえ、ガタウは息をついた。
カサと二人、足元に縛りつけられ畳まれた天幕を見下ろす。
あとは自分たちを固定する杭を打てば作業は終わりである。
「二人ですると早いな」
めずらしい、ガタウの独り言である。
だがカサが反応したのは、二人で、という単語の方だ。
「もしかして、今まで一人でヒルデウールを越えてたんですか?」
ガタウはジロリとカサを見、それから目をそらして
「そうだ」
平然として言う。
「そんな……!」
カサが愕然とする。ガタウにしてみれば、今更何をあわてているのかとは思うのだが、カサにとっては一大事である。
「それは……つまり大戦士長以外の人はここでヒルデウールをすごしたことがないって言うんですか?」
カサが余りにも真剣に聞くので、ガタウも訝しむ。
「そうだ」
ガタウが答えると、
「僕は、大丈夫なんでしょうか」
これが本音である。
ガタウが「ヒルデウールを過ごした」と言うのを、仲間と幾人かで過ごした、と勘違いしていた。
ところが今になって、一人で過ごしたと聞かされたのだから堪らない。
もちろん早とちりはカサの責任であるが、当のガタウは、
「それは判らん」
にべもない。
「そんな……だって」
バババッ!
長いスィエカオロがカサたちを強くあおり、ショオ、戦士の真っ赤な肩掛けをはためかせる。
「急ぐぞ」
ガタウが杭を持ち上げた。カサは黙々とそれを手伝う。
その日、朝から空に雲が出ていた。
砂漠の乾燥した気候では、ちぎれ雲と言えどめずらしい。
それが空一面に流れてゆくのである。しかもその数が、刻々と増えてゆく。
最初まばらに見えていた空の青も、今では分厚い雲の灰色に多いつくされてしまっている。
その雲が、次から次へと流れてゆくのを、カサは恐ろしげな顔で見上げている。
「いつごろきますか」
背後のガタウにそう訊くのは、これで何度目だろう。だがそうしないと不安で仕方がないのだ。
「もうじきだ」
これも何度目だろう、同じ答えをガタウは返す。
すでに二人の体は杭に縛りつけられ、あとはヒルデウールを待つばかりとなっている。
――はじめに雲がきて、つぎに雨がふって、それから……。
それから風が吹いて、最後が雷だ。
むかしセテからそう聞いたし、ガタウもそう言っていた。
カサは雨が嫌いだった。
夏営地では降らない雨も、冬営地では少し降る。
空が暗くなり、頬をぬらす細い雨を、何かの凶兆のように感じたものだ。
――だけど、ヒルデウールの雨はそんなもんじゃないって言ってた。
この大地の砂を全て押し流すような雨、そんな説明を聞いた。
大げさなのではないか、と思っていたが、ガタウに訊くと、
「ふむ、そんな気にもなった」
といつもの調子で言う。
他の人間はともかく、ガタウがカサを驚かせるために嘘を言うとは思えない。
――風が吹いて、それから雷……。
風は砂漠のどこにも吹く。
フェドラィ、冬営地にヒルデウールはないが、サヒンブール、砂嵐が来る。
あれぐらいだろうか。
でもサヒンブールは、全ての風を引き連れる、などとは誰も言わないし、何より天幕を畳んだりしない。
恐ろしげな音を立てる天布を、他の子たちと固まり、身をすくませて見つめていたけれど、天幕の中にいれば安心だと皆言っていた。
それに雷って何だろう。
発達した積雲がつくりだす放電現象を、カサは知らない。
――太陽みたいに光って、大きな音がするって。祭りでつかう打鼓を、耳元で千個も打ちならしたみたいな音だって言ってたけど……。
実際の雷を見たものは、部族の民の中でも少ない。
悪戯をした子供を脅かすためによく大人が言う。
――ヒルデウールにさらわれてしまうぞ。
実際カサをそうして叱ったセテも、本当の雷やましてヒルデウールなど見た事がないのだから。
――僕は、このヒルデウールが通りすぎるまでのあいだ、何とか生きていけるのだろうか。
また弱気がカサの中で頭をもたげる。
「もうすぐですか?」
また聞いてしまう。これもくり返し訊いた質問だった。
ゴゴォ……ン……。
雲々の隙間から、最初の雷鳴がとどく。
聞いたことのない剣呑な響きに、カサが反射的に身を硬くする。
「もうじきだ」
ガタウが簡潔に返す。
前方より発達しながら接近する積乱雲は、コブイェックなどよりも遥かに巨大な化け物に見えた。
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