怒涛

 雲の後、雨と風は一度に来た。

 それも冬営地で降るような弱々しい雨ではない。来た、と思ったら視界があっという間になくなった。大粒の雨が、頭といわず肩といわず、体のあらゆる所を叩く。飛沫と雲のつくる暗闇で、伸ばした手の先も見えないほどだ。叩きつけるような豪雨。一言で表現するならそうだろう。

 吹き荒れる風も半端ではない。雨で重みを増した風は、気を抜くと体を持っていかれそうだ。

 ガガンッッッ!

 雷光が視野を真っ白にした。当たれば杭を真っ二つに裂き,どんな戦士の魂をも吸いこむと言われる雷、この部族ではドゥッヒと呼ぶその自然現象は、未成熟なカサが体内で必死に押さえ込んでいた恐怖を、一気に弾けさせるには十分だった。

 ガッ!

 ズガン!! ガン! ガガガン!!

 雷が連続して大地を打つ。

 見た事もない閃光と、聞いた事もない轟音。

――だれか!!!

 カサは身を丸めてその得体の知れない音と光から目をそらす。

 耳を塞ぎたくとも、片手ではできない。

――だれかたすけて!!

 休む間もなく襲いかかる雷、雨、そして風。

 訳が判らなくなって、カサは悲鳴をあげる。

 全身ずぶ濡れになりながら、必死に叫ぶ。

 雨と風が、カサの全身を責め、雷鳴と雷光が、カサの心を追い立てる。

――だれかたすけて! 母さん! 大戦士長!

 カサは叫んでいた。ずっと叫んでいた。

 どれくらいそうしていただろうか、疲弊と共に徐々に落ち着きを取りもどし、少しずつ回りが見えはじめた。

 まず肩で息をしている自分に気づく。

 大声の出しすぎで咽喉が痛い。

 体中に当たる雨は不愉快だが、それで身体が傷つけられる事はないと、カサはゆっくり理解し始める。

 ドン!

 衝撃と雷鳴と閃光。

 薄目を開けて待つが、四方八方で滅茶苦茶に爆ぜる雷は、一向に自分の身体を打つ様子はない。

 震えながらカサは目を開ける。

 確かにすごい風だし、すごい雨だ。

 カサは、少しづつ気持ちを整え始める。

 雷光と雷鳴は、獣に負けず威圧的だし、荒れ狂う空は比べ物にならないほど大きい。

――だけどこれは、大戦士長にも僕にも、どうにかできるものじゃないんだ。

 グッタリと杭に背をもたれさせながら、カサはそう考えた。

 また閃光。

 ドガンッ!

 爆発的な雷鳴。その間隔のせまさで、落雷が近い事をカサは本能的に察する。

 大地を伝わって弱められた電気が腿尻に食いつき、瞬間はじかれたように身を縮めるが、カサはすぐに身体の力を抜く。

――どうにもならないなら、どうにでもなればいい。

 カサは投げやりに開き直る。混乱と恐慌が一段落し、いつの間にか、この状況に慣れ始めている自分に気がつく。ざわめく雨がむき出しの腕を打つ。総毛立つ肘を抱きよせ、身体を丸める。

「……落ち着いたか」

 驚いて振り向いた。

 背後にガタウがいる事を、カサは忘れていた。

「……はい」

 声が震えるのは恐怖の残滓か、それとも体温が雨にうばわれつづけるせいか。

「ケレをしっかりかぶれ。身体が冷えるのが一番まずい」

 この荒れ狂う世界の中で、ガタウの低い声だけがはっきりと耳に届く。

 まるで魂に直に語りかけられるように明瞭で、うろたえは微塵もない。

「はい」

 カサは従う。

 いつも通りのガタウの声を聞くだけで、カサの心は落ち着いてくる。

 ガタウがいるだけで何とかなるだろうという気にすらなる。

 尻の下に敷いていたケレを引っ張り出して、肩にかける。

「背中からかぶれ。頭まで覆うとなお良い」

「はい」

 そう言うガタウこそ、ショオとトジュ、戦士の衣装を身に着けるだけで、自分のケレは下に敷いたままにしている。

――やっぱり大戦士長はすごい人なんだ。

 カサは的外れな感想を抱く。

 ドオオオオォォ……。

 ケレにくるまり耳を澄ませていると、風も雨も雷鳴も、全てが間遠に聞こえる。

 しばらくの間それらの音だけに意識を集中していると、まず激しく降りしきる雨の強さに緩急がある事に気がつく。

 なる程、雨だけではない。風や雷の方にも、強弱の拍動がある。

 ポタポタとケレの端からしずくが滴る。

 もうどこにも濡れてない所がないぐらいグッショリ重くなった寝具だが、それでもかぶっているうちに体温は上昇してくる。

 風が時々身体を持っていこうとするが、それもじきに慣れる。

 だんだんと冷静になってくる頭の中で、ヒルデウールという天候の激烈さに、カサは感動し始めていた。

――すごい……。

 何がすごいのか自分でもよく判らないながらも、ただ感激する。

 青空と砂と風しか知らぬカサにとってこの情景は特別であった。

 最初驚いたのは光と音のドゥッヒ、雷だったが、何と言ってもすごいのはこの水量である。

 カサたち砂漠の民にとって水は貴重だ。

 生命を支える水は、乾いた土地の中では何よりも重要な資源である。

 そんな無駄遣いの許されない水が、これほど大量に、しかも普段何もない空から落ちてくるというのは、確かに衝撃であっただろう。

「食え」

 ガタウが干し肉を差し出す。

 こんな時でもガタウはガタウだ。

 カサは受けとった干し肉を口に放り込む。

 舌に馴染んだ肉のうまみと塩味と燻製香。

 そういえばガタウと二人きりになってからは、こればかり食べている。

 ガタウが料理をする筈はないし、カサにそんな余裕がある訳ではないから、食事が干し肉ばかりになるのだろう。

――煮こんだ肉料理が食べたいや。

 長いこと食べてない料理をあれやこれやと思い出す。

 固い肉をかみ砕きながらぐうと腹が鳴ったが、あきらめて顎を動かす。

 そのうち空腹も収まるだろう。そう思いながら飲み下す。

 しばらく向かいあって二人で肉をかじっていた。

 腹がくちくなると、今度は目蓋が重くなる。

――少し寝ようか……。

 ドウドウと響く雨音が、だんだん気にならなくなってくる。

 目を閉じるとゆっくり身体が浮かんでゆくような眠りがやってくる。

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