到着

 翌朝、夜明け前。

 ひんやり水気をおびた風、ツェランが戦士たちの赤銅色の肌をなぜてゆく。

 狩り場周辺特有の朝露にしめった地面を踏みしめ、そちらこちらで欠伸をするものがいる。

「ふぉ……」

 カサもつられて、顔いっぱいに大きく口を開け、小さな歯並びを覗かせる。眠たげな瞳は、やや充血しているようだ。

「ん……はっ」

 ぐっと背中に伸ばした両腕を、ぶらりと前にもどす。勢い余って

「とぉっと!」

 前につんのめる。まるきり子供のあどけなさである。

 カサは土の上に置いた、まだ真新しい槍と水袋をつかみ上げると、パタパタと足裏の音を立ててブロナーのいる方に駆けてゆく。

 カサの足音と、槍の柄を引きずる音が近づいて来るのを背中で聞きながら、ブロナーは口元をほころばせた。

「戦士長!」

 肩ごしに見れば、浅く呼吸を切らせ、頬を赤く染めている少年。

 黒い瞳が、朝陽をキラキラとはじいている。

「ああ」

 眠っている間にこわばった背筋を屈伸させて、ブロナーは小さく笑った。

「いい朝だな」

「はい!」

「こういう日は、魂が強くなる。今日の狩りは良い狩りになるだろう」

 気軽に言って、めずらしく笑顔を見せる。

「はっ……はい!」

 狩り、と聞いて、カサはわずかに緊張するが、ブロナーの力強い言葉に、声は明るい。

 興奮に輝くまなざしで、ぐるりと見わたす。

 年配の戦士ほど、きびきびと出立の支度をしている。

 いっぽう新顔の若き戦士たちはみな憂鬱そうで、手足の動きも重い。

 年下であるはずのカサが今しがた見せた、吹っ切れた表情とは対照的である。

 ただし、カサが明るくしていられるのはブロナーの庇護があるからで、他の新顔戦士たちにはそんな特別あつかいはない。

 戦士は、戦士になった時から、部族の中でも最も誇り高い男として生きてゆかなければならないのだ。

 カサがまだきょろきょろと辺りを見回していると、ヤムナと目が合う。

 ジロリ、精悍な目許がすがめられる。

 取り巻きの者はみな顔色蒼白であっても、ヤムナ一人は余裕を保っている。

 虚勢もあろうが、己への信頼が強い。

 自分はヘマなどしないから決して死なないし、よしんば誰かが失敗しても、それで自分が死ぬなどありえないと信じている。

 ヤムナの鋭い視線に、カサはあわてて目をそらし、ブロナーのもとへ戻ってゆく。

「ふん!」

 ヤムナは、莫迦にしきった目でコソコソと逃げてゆくカサを睨んでいる。

――アイツ、死んじまえばいいのに。

 その心中は物騒だ。

 早いうちから戦士の、それもゆくゆくは大戦士長の器だと、周りから誉めそやされ、羨ましがられてきたヤムナにとって、若すぎる戦士カサは、目障りで仕方がなかった。

 一体どんな理由でカサが選ばれたのかが判然とせぬ事も、いっそう脅威に思えるのだ。

――特別扱いされたぐらいで浮かれやがって……。

 自然視線も冷たく、鋭くなる。

――もしもアイツが俺より先に戦士長に選ばれるなんて事になったら……。

 ミシリ、親指の爪をかむ。身を焦がす苛立ちに、ヤムナのカサを見る目は、更にきつくなる。

 そしてそんな彼らの様子を、他の戦士たちのあいだから、射るような視線でガタウが観ている。

 表情は読みとれない。もとより感情や考えを顔に出す男ではない。

 強い意思の表れた目、深い眼窩に、かぶせるような濃い眉、一直線に引きしぼられた広い口。

 戦士長たちすら、彼を畏怖し距離をおく。

 みな、その人並みはずれた、戦士としての力量を怖れているのだ。

「ふん」

 ガタウは、カサとヤムナたちから視線をはずした。

――さほど怯えてはいないようだな。

 そんな事を考えている。

 若い者たちの鞘当て自体には、さしたる興味もないようだ。

「ゆくぞ、準備は済ませて置け」

 張りつめた声で、戦士長たちに声をかける。

「はい」

「こちらは終わらせました」

 口々に答をかえす屈強の戦士長たち。

 もうこんな緊張感には身体がなじんでしまっていて、彼らに気負いはない。

「よし」

 彼らに心を許しているとは言いがたいが、それでもガタウは、仲間の頼もしさに満足した。

 どんな手練れの戦士でも、一人で狩りはできない。

 そのことを誰よりも身にしみて知っているのは、彼自身だろう。

「行くぞ」

 大戦士長のかけ声に、隊列の先頭から力強い鬨の声が上がる。

「アイーイイイーイーッ」

 狩りが迫る。



 狩り場は奇妙な土地だった。

 空はどこも地平線との境が明瞭な砂漠で、その一角のみ砂が舞い、滲んだように砂色が空を侵している。

「戦士長、上にでている、あれは……」

 カサがその異様な巨塊を指差す。

「あれは、真実の地だ」

「真実の地……」

 もちろんその名は知っている。

 そこには砂漠の真実があり、あのいかめしい大戦士長は単身そこへ行き、片腕をなくして帰ってきた。

――赤い、岩……なのかな?

 砂煙の上から、何かとてつもなく巨大なものがのぞいている。

 近づけばちかづくほどその全容は茫洋とし、やがてせり上がる砂煙にのまれて見えなくなる。

「ここが狩り場――獣たちの生息地だ」

 そして戦士たちが、狩り場に到着した。

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