汚濁

「まあ座れ」

 席をすすめると、ウハサンが火をはさんだ向かい側に腰をおろした。

 指図するまで男が偉ぶった態度を見せなかった事に、邑長カバリは満足を覚える。

――戦士階級には礼儀を知らぬ、鼻持ちならん輩が多いのだ。

 厳しい世界で生きているという気概がそうさせるのだろう、戦士の多くは誇り高く、軽んじられるのを好まない。

 それをカバリは、邑長である自分を尊重していないと受け取る。

「よく来てくれたな」

 目の前の男をよく見る。

 背は低いが、戦士らしく体のつくりは頑丈そうだ。

 ただ、白目がちの目はせわしなく周囲をうかがっている。

「いえ」

 返事も控えめだ。

 戦士にしては珍しく、上下に配慮する人間なのだろう。

 悪くない。

 カバリは傍らに置いた瓶から、酒精の強い液体を椀にそそぐ。

「火酒だ。飲むがいい」

 ウハサンは無言で受けとり、椀の中身とカバリを交互に見比べ、口をつける。

「――旨い……!」

 驚くウハサンにカバリは笑う。

「商人から手にいれた酒だ。これが飲めるのは、邑長の特権だな」

 ウハサンが感心した顔で酒を見る。

 くだらない追従を言わない分、慎重さが垣間見える。

 椀を飲み干すと、カバリが乗り出して二杯目を注ぎ足してやる。

「……どうして俺を?」

 満ちてゆく椀をにらみながら、ウハサンは問う。

 カバリは目をじっとウハサンを向けたまま、口を開かない。

 ウハサンは戸惑いつつ椀に口をつけ、

「……大戦士長、ですか?」

 カバリは不敵に笑う。

「ふむ、大戦士長の様子は、どうだ?」

 本心を、自分からは明かさない。

 ウハサンに言わせたいのだ。

「大戦士長は、厳しすぎる」

 独り言のように言う。

 本音の吐露。

 カバリはそれを待っていた。

 自分の椀にも酒をそそぎ、飲み干す。

「やはりか」

「どれだけ大変な思いをしても、俺のような下っ端の戦士たちには、何も与えてくれようとしない」

 戦士の働きは激務である。

 だから戦士は邑人から畏れ、敬われるのだ。

 戦士階級の者は、もっと特別に扱われるべきで、なのに大戦士長はそれを許さず、ただ一人の邑人としてだけ生きろという。

「そのくせ自分の周りの者は、特別扱いする」

 ウハサンは畳みかける。

 鬱積を吐き出す口調に、よどみがない。

「自分と同じように、腕を失った奴を、俺たちより取り立てたりする」

 これがウハサンの鬱屈の中心にある。

 これこそ吐き出したかった言葉なのである。

「そんな事をしているのか?」

「知っているでしょうが、カサって小僧です。俺たちと同じ夏に、三歳も早く成人した奴で、その狩りで獣に右手を食われたんです」

「ほう」

 どれも知っている話であったが、カバリは興味深げに身を乗り出す。

「あいつ自身が悪いのに、大戦士長に上手く取り入りやがって、次の夏には、槍まで任された」

「それは、そんなにおかしい事なのか?」

「おかしいなんてもんじゃない! 二年目の戦士が槍を、それも終の槍を任されるなんて話、誰に聞いたっておかしいに決まっている!」

 激するウハサンを手で制する。

 この会合は、秘密でなければならないのだ。

「その、なんと言ったかな」

「カサ」

「そう。そいつは、素質ある戦士なんじゃないのか? だから大戦士長は特別に取り立てるのではないのか?」

「そりゃあ、少しはあるかもしれないが、それでもあんなに騒がれるほどじゃない」

「ほう」

 空になったウハサンの椀を満たし、うながす。

「片腕の、しかもあんな子供にどれほど素質があったって、大した働きができる訳がない。あいつがここまで上手くやって来れたのは、大戦士長がえこひいきしていたからだ!」

 そして悔しそうに歯軋りし、

「ヤムナを殺したのもあいつなのに、あいつなど、サルコリに放逐されるべきなのに!」

 少し落ち着けさせようと、カバリは乗り出していた上体を、後ろに戻す。

「ふうむ。それが本当なら、由々しき事だ」

 前向きなカバリの態度に、ウハサンが眼を輝かせる。

 本来カバリが持ちかけるべきであった話が、ウハサンの上告をカバリが聞き入れる形になっている。

「少しは耳にしていたが、戦士階級はみな口が堅くてな」

 それから思い直したように、

「もちろんそれは必要な事だ。戦士たちは邑でもっとも大切な役割を担っているのだから」

 それから憂いを帯びた顔で、

「だがしかし、それでガタウの横暴が表に出ぬのは困る」

それからウハサンに目を戻し、

「誰かが、戦士階級の専横を知らせてくれれば、私も力になってやれるのだが……」

「俺が、やります」

 即答するウハサン。

 カバリはほくそ笑む。

 若い戦士を意のままに手中に収める事ができた。

「そうしてくれるか」

「はい」

「頼むぞ。いくら部族の英雄だといえ、これ以上大戦士長ガタウの欲しいままにさせてはおけん」

「当たり前です」

 カバリは満足げに笑い、

「君のような若者がいてくれるなら、戦士階級も安泰だろう」

心にもない言葉を、真顔で言う。

 人心を上手に操る者特有の心理で、その場しのぎの己の言葉を、カバリは本気で信じている。

 自分が信じるからこそ、他人も信じるのだ。

「俺は……何をすればいいんですか?」

 カバリの熱気がウハサンに伝染する。

 この若い戦士もまた、カバリの言葉に感化されている。

 すなわち、

――俺が考え、やろうとしている事は正しい。俺は、戦士階級を救わねばならんのだ。

そんな都合のいい見方を、心から信じてしまっている。

「カサ、とかいったな、その少年」

「はい」

「ガタウはその少年を可愛がっているという。そのはっきりした証がまず欲しい」

 ウハサンはしてやったりという顔だ。

 彼の持つ不平の全ては、カサにぶつけられるべき物なのだから。

「カサの弱みを握ればいいのですか?」

「弱み、というよりも、さしたる根拠もないのに重用されているという根拠がまず欲しい」

「判りました」

「だが、くれぐれも、私に会ったなどと言うな。いらぬ腹を探られるのは困る」

「何を言われたか、もう忘れました」

「……頭のいいやつだ」

 二人は低く笑う。

 言質は取った。

 酒を持たせてウハサンを帰し、カバリは一人策を練る。

――意外と使えそうだ。

 歳は若いが動く前にまず計算できる頭があり、何よりカバリと同じ敵がいる。

 まだ地位は低いが、それは本人次第だ。

 賢しく動けば五人長ぐらいにはなれるであろう。

 そうなれば、後はたやすく掌握できよう。

――ガタウ、今に見ておれよ。

 相手の心臓に届く槍先を、カバリはようやく手に入れた。

 ガタウ失脚の目処はまだ立たぬが、今はまず情報を集め機を待つ事が肝要だ。

 ぐいと椀を干す。娘の帰らぬ天幕の中、酷く嫌な笑いを、カバリは独り浮かべる。

 そしてその天幕から自分の寝床へと向かうウハサンも、譲り受けた酒がめを胸に、腹に一物ある笑みを浮かべている。

 カサを追い落としたいという要求は、邑長に飲み込ませた。

――お前も、長くはないぞ。

 記憶の中のカサの顔が、絶望にゆがむのを想像し、心を充足させる。

 今日まで打つ手はなかったが、その日は近づいている。

 やがてカサの名声は地に落ち砂に塗れるであろう。

――そして、俺があいつの手に入れたもの全てを、いただくのだ。

 邑長を味方につけた事が、ウハサンの中で燻っていた野望の火を燃え上がらせる。

 邑長の後ろ盾があれば、それも夢ではなくなるのだ。手に入れられると思った時から、欲望は強まるのである。

 天幕の間を縫い、ウハサンが夜を歩く。

 誰かの天幕より漏れでた光に浮かびあがる顔は、亡霊のように欲に汚れていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る