ヒルデウールの爪痕

「止んできましたね」

 カサに声をかけられ、ガタウは我に返る。

 気がつけばヒルデウールはその勢いを弱め、三日にわたって降りつづいた雨も、疎らになっている。

――随分と長く物思いに耽っていたものだ。

 寝ていたと思われたのかもしれない。

 カサの呼びかける口調に、話しかける以上の強さを感じた。

――実際に、寝ていたのかもしれん……。

 夢とうつつを行き来する、大巫女を思い出す。

 このまま邑にいれば、自分もあのような老人になってしまうのだろう。

 だがそれは、ガタウの望む所ではない。

 死ぬのならば、狩りの荒野で。

 戦士たちの戦いつづける、広い大地で。

 それがガタウの本懐なのである。

 邑などという共同体の、せせこましい権力争いなど、もとより眼中にない。

「まだ気を抜くな」

 ガタウの声に、寝惚けた色はない。

 それでホッとしたのか、

「はい」

答えるカサの声にも、力がこもる。

 雨は時と共に風よりも密度が薄くなり、やがて砂漠に光が差し始める。

 空が青を取りもどし、師弟は杭と身体をくくりつけた縄を、三日ぶりに外す。

 ヒルデウールの開けた、色彩に満ちた、豊穣なる世界。

 その眼前に広がる世界が、試練を乗り越えた二人を祝福しているようでもあった。



 その冬、ヒルデウールが二度到来した。

 二度目のヒルデウールは最初の物ほど激烈ではなく、一晩程度でその勢いを弱め始めた。

 だが雨季が完全に過ぎ去った後で、ガタウが不穏な予言を口にする。

「この夏は、不作になるやもしれん」

 カサが探るような目を向けると、

「二度目の雨で、新芽が流されてしまう。前の時もそうだった」

 そういえば、二度目の嵐の後は、目に映る緑が色あせて見えた。

 新鮮さがなくなった所為かとも思っていたが、確かに新芽の活力が弱かったようにも思う。

 流されてきた木々を集めながら、カサは厳しい夏を覚悟する。

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