ガタウの告白

 遥かに狩り場の方角——真実の地を睨み、ガタウは語り始める。

 誰にも明かさなかった、干からびた魂の古い疵痕。

 それは次のようであった。



 ガタウには、想い合う女がいた。

 二人は、人目を忍ぶ仲だった。

 相手は巫女で、かつてマンテウの後継者と目された優れた踊り手でであった。

 関係が露見し、

 二人はカサとラシェと同じように問い詰められ、

 女との幸せをつかむため、ガタウは真実の地に赴いた。

 そこは、地獄のごときな場所であった。

 獣が荒れ狂い、砂塵と血風が空を濁す。

 これが真実だというのならば、

 その地こそ、世界の真実なのだというのならば、

 この世は永劫の地獄である。

 ガタウはたった一人で何頭もの獣と闘い、退け、逃げ、斃し、その牙をもぎ取った。

 そしてついに、世界の真実に触れた。

 代償は、左腕。

 今まで出会った事もないほど強大な獣に、ガタウは左腕を喰い千切られた。

 無惨な断面をさらした腕を右手にぶら下げ、ガタウは満身創痍で、邑へとたどり着いた。

 だがガタウが戻る前に女は死んでいた。

 胎に子がいたが、それも共に死んだ。

 邑についた時、ガタウは瀕死だった。

 大巫女マンテウすらさじを投げたほど絶望的な容態。

 だが渦巻く怒りが、ガタウを長らえさせた。

 真実の地を越え、世界の真実に触れて邑に戻ったというのに、ガタウは何も望まなかった。

 女と子が死んだ事で、ガタウの望みは宙に浮き、今日まで誰にも告げられる事はなかった。

 単身真実の地に臨み、その試練を越えたガタウの名は、砂漠に響き渡った。

 そこまでして得る事ができたのは、たった三本の牙。

 砂漠に轟く名声も大きな牙も、ガタウにとっては何の価値も無い物であった。

 命永らえたガタウは、ただ槍を鍛えた。

 全てを奪ったこの地に、再び臨むために。

 その執念だけが、ガタウを突き動かしていた。



「あれから長い時が経った。左腕も、女の死も、流れた胎の子も、全てが遠き遺物と成り果てた。しかし俺は、俺が失った何かをあの場所で取り戻さねばならん。あの日以来、それのみが俺の生きる意味となっていた」

 長い話が終わる。

 他人からすれば、月並みな悲恋の物語であろう。

 だが、目の前の男を知るカサにとって、それは、何にも増して重みのある歴史であった。

――ラシェは、大丈夫だろうか。

 女が死んでいたというくだりが、カサの不安をあおる。

 もしもラシェの身に不幸があったならば、カサは生きる意味さえ失くしてしまうだろう。

 想像するだけで焦燥が胸を焼き、いても立ってもいられなくなる。

 今すぐ邑にとって返し、ラシェの無事を確かめたくなる。

「案ずるな。あの娘ならば、心配はなかろう」

 ガタウの声に、優しいものが含まれている。

 カサとあのサルコリの少女に、若かりし日の己と恋人を重ねたのだ。

 病弱であったガタウの恋人とは違い、しかしカサに寄り添うあの少女の、何と魂の勁き事か。

 気丈にガタウをにらんだあの眼。

 今や名前すら思い出せぬ恋人も、あんな眼をしていたかもしれない。

「あの娘とは、どれ程の仲なのだ」

 ガタウは軽い好奇心で訊いたのだが、

「え……!」

カサは絶句する。

 何と答えにくい質問だろう。

「どれ程って、別に、それ程じゃあ」

 要領を得ず、返事できないカサ。

「あんな騒動を起こす程睦まじいのだ。どこで出会い、いつから体を交わし、いかなる将来を誓い合ったのだ」

 ガタウが思いの外ずけずけと訊く。

「な、何もしていません! そりゃ、毎晩のように逢っていたけど……!」

 聞いたガタウがものすごく怖い顔をして、

「毎晩逢っておきながら、体を交わしてもおらんのか」

 酒精のせいか、たった二人でこの地に来たゆえの親密さなのか、今宵のガタウは妙にカサへの興味を前に出す。

「か、交わしてません!」

「何故だ」

 なぜと問われてもカサなのだ、そんなに簡単にラシェを押し倒す事ができれば、世話など要らない。

「なぜって……」

 カサは言葉を失うが、時を同じくしてラシェも同じ事を訊かれ、同じように困惑していたと知れば、どう思っただろう。

「だって、ラシェの事は、好きだけど、それでも、だから、大切にしたくて……」

 あれこれとぶつくさと言い訳がましいカサ、ふとガタウを見ると、様子がおかしい。

「グッ……!」

 奇妙に喉を鳴らし、肩をグイっとゆすった。

 喉に地這い鳥の頭骨でもつまらせたかのような唸り。

「グッ、グッ、グッ」

 ちがう。

 ガタウが、笑っている。

 笑みを浮かべているのではない、肩を揺すって笑っているのである。

 さも可笑しそうに、右手で作った拳を額に当てて、必死に声を押し殺しているのである。

「……戦士ガタウ?」

 カサが心配して顔をのぞき込むと、ガタウが堪えきれずに噴き出した。

 笑い声の大きさは、腹の力と肺活量に比例する。

 体の弱ったマンテウの笑いはか細く、大柄な戦士ソワクの笑いは豪快である。

 そしてガタウは、ソワクにも増して力強い男なのである。

 つまり、

「ガァ――――ッハッハッハッハッハッハッハッハ!!」

 カサがこれまで聴いた事がないくらい、どでかい声でガタウが笑い出したのだ。

「ハ――ッハッハッハッハッハッハッハッハ!!」

 のけぞり、膝をやかましく叩き、目じりには涙さえ浮かべている。

 ガタウの信じられぬ行動に最初は唖然としていたカサも、そのうちに我に返り、笑いつづけるガタウに抗議する。

「戦士ガタウ、笑いすぎではないですか……?」

「ハッハッハッハッハッハッハ!!」

「ガタウ?」

 まだ笑い、さらに笑い、それでも笑う。

 カサが膨れて酒を飲み干し、ふて寝しても、ガタウはずっと笑っていた。

 カサは戦士階級で、いやこの砂漠でただ一人、ガタウに心ゆくまで笑われた男になってしまったのである。

 この光景を目の当たりにすれば、ベネスにいる百人の戦士全てが目を剥いて引っくり返るであろう。


 満ちゆく月が彼らを見下ろしている。

 何を語るでもなく、明日の命をも知れぬ彼らを、ただ眺める。

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