心の葬儀
カサが思いつめた顔で訊くと、ガタウは一拍おき、
「無論。死んだ戦士は忘れぬ」
ヤムナが死んで以来ずっと、カサは一つの罪悪感を抱きつづけていた。
もちろんヤムナだけではなく、カサの指導者であったブロナーの事も、ウォナとソナジの死も、カサの心に深い傷となりて、痛みつづけている。
しかしあえてヤムナの事だけ訊くのは、共に戦士となった中で、将来をもっとも嘱望されていた存在だったからだ。
ヤムナの死は、カサが戦士階級で犯した数々の過ちの中で、もっとも大きな損失なのだ。
「ヤムナは、」
次の言葉が、喉に詰まる。
「どれほどの、戦士になったと思いますか?」
これがずっと訊きたかった。
カサは、ヤムナが欠けた穴を充分に埋められたのか、それとも今のカサ程度では、全く力不足なのか。
――ヤムナなら、これくらいの事は簡単にするに違いない。
ガタウに与えられたどんな難関をくぐり抜け、どんな目標を達成しても、カサはどこかでそう考えていた。
ヤムナには及ばない。
お前ごときの槍では、ヤムナの穴を埋められぬ。
頭の中で響くそんな声も、憑かれたように槍を振るいつづけた理由の一つではあった。
「お前と同じくして成人になったあの若者ならば」
カサが身を乗り出し、ガタウの言葉を待つ。
「大した戦士にはならなかっただろう」
「え?」
カサが怪訝な顔をする。
「ヤムナですよ? 大戦士長。僕と同じ年に、戦士になったあのヤムナです」
「知っている。お前の年では一番身体が大きく、有望とされていた」
勘違いしている訳ではなさそうだ。
「あの男ならば、やがては戦士長にはなれたかもしれぬ。だが、あのままの心持ちでは、二十五人長にはなれぬ。俺が戦士階級を率いるうちは、あの者に獣への槍は任せない」
「ど、どうしてですか?」
必死にヤムナの穴を埋めんとしていたカサにとって、ガタウの評価は聞き捨てならならなかった。
「身体の素質のみならば、あの若者はソワクにも劣らなかったであろう。体が大きく、力もあり、機敏さも持ち合わせていた」
ならば何が足らぬというのか。
「だがあの若者には、戦士の魂が備わっていなかった」
「戦士の、魂?」
「己が戦士足りうる魂だ。飽く事なく己を鍛え、そして臆する事なく獣に立ち向かう。優れた戦士に、欠かせぬ魂だ」
カサは黙り込む。
ヤムナにそれが欠けていると、考えた事もなかった。
「あの若者は、己の名誉にばかり気を取られていた。お前に強い妬みを持っていた」
ガタウの指摘に、覚えはあった。
「ソワクが優れているのは。己を過信せず鍛錬を厭わず、そして眼前の敵を見くびらぬ戦士の気構えだ。邑にあっては人の考えを読む賢明さをも持ち合わせている。ベネスの戦士たちを率いる長たる男は、ソワクを置いて他には居るまい」
ソワクは他人を評価するとき、自分の感情をおりまぜない。
努力をひけらかさず、だが鍛錬は決して手を抜かず、戦いにおいては決して諦めず、そして全てに対して潔い。
乾燥した大いなる風のように心地よい男らしさは、カサも尊敬する所である。
「お前の良い所は、ひたむきな所だ。体は小さいが飲み込みも良く、やれと言われた事は止めろと言うまで止めない。それが出来た者は、俺の見てきた数多くの戦士たちの中で、お前だけだった」
突然褒め上げられ、面映くなるカサ。
「初めての狩りで新顔戦士に与えられる牙を、あの若者が喜んで受けとったのを覚えているか」
「はい」
カサは重々しくうなずく。
「ソワクも同じく牙を差し出されたが、固く辞した。己の胸に飾るのは己が狩った牙だけと言い張り、戦士長になって終の槍をこなすまでは、最初に渡された牙一本を下げるのみであった。それがソワクとあの若者の差だ」
ガタウらしい率直な評価。
ヤムナは戦士長の器ではない、所詮はウハサンらのような愚物の頭領でしかないと断じたのだ。
「とはいえ真実は判らぬ。あの若者も、生きておれば槍に懸命になったやも知れぬ。だが所詮死んでしまった者だ。考えても生き返らぬし、槍も振るわぬ」
カサはつめていた息を、長々と抜く。
「はああああ……」
脱力。
訊いてしまえば呆気ない。
これまでの心労は何だったのか、こう言われてしまうと記憶の中のヤムナは、ソワクと比べてあまりに矮小に思える。
――ちがう。僕たち他の戦士とは比べ物にならないほど、ソワクが大きいのだ。
頼もしいあの広い背中。
カサがいかほど努力しても、追いつけるなどと思えないほど、ソワクは大きい男だった。
なぜか笑いがこみ上げてくる。
可笑しげに肩をゆすり、革袋の酒を口に含む。
ヨッカの造った甘い酒は口当たりよく、つかえが取れた喉に、滑るように落ちてゆく。
「大戦士長、いえ、戦士ガタウ」
「……何だ」
ガタウと呼ばれた方に、引っかかりを覚えてしまう。
カサはなぜか楽しそうだ。
「戦士ガタウはもしかして、僕の名を知らないんじゃないですか?」
遠慮のない質問だった。ガタウが初めて見る変な顔をする。
――これは図星だ。
それがまた可笑しくて、カサは肩をゆすって楽しげに笑う。
この五年間以上に及ぶ師弟関係、その間、カサは一度も名を呼ばれた記憶がないのだ。
「………………………カサ、であろう」
これだけの間一緒にいて、名前すらきちんと憶えていてくれなかったとは、何と薄情な話であろう。
カサは笑い転げ、
「これからは僕の事を、名前で呼んでください。良いでしょう?」
まだ笑っているカサに、
「……分かった」
難しげな例の顔で、ガタウは了承する。それからカサの手から酒をひったくり、ぐっと飲む。
「……酒も、四十年ぶりか」
長いため息の後で、そう漏らす。
「四十年もの間、ずっと飲まなかったのですか?」
長く黙り込み、
「ああ」
ガタウは、渦巻く思い出の中に、己を浸しているようだ。しばらく何か考え込み、
「真実の地に赴き、俺は何もかも失った」
カサが、ガタウを見る。
「初めて俺が彼の地を目指したのは、お前と同じく女と連れ添うためだった」
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