戦士ガタウ
「オオオオオオオオオオオオオオオオ!」
ガタウが声を上げる。
カサが覇気をふりしぼり、ガタウに並ぶ。
「ヤアアアアアアアアアアアアアアア!」
無理やりに声を張り上げる。
「ハー! ハー! ハッ! ハッ!」
二手に分かれ、片目を挟撃する陣形を取る。
「イヤー! アー! ヤヤヤヤヤ!」
片目はカサには目もくれず、ガタウにだけ敵意を向ける。
戸惑いつつもこれを好機と見たカサが、片目の膝に一息に槍を突きこむ。
が、片目はカサも見ずに動き、その一撃をかわした。
――え?
剛強な前肢が、間髪いれずに動く。
とっさにカサは身をよじるが、前肢がうなりを上げてカサをかすめ、槍を根元から粉砕する。
吹き飛ぶカサ。
「――カサ! 生きているか!」
ガタウが片目から目を離さず叫ぶ。
カサは一回転して身を起こすが、手の中の槍は棒切れと化し、紙一重で命を拾ったと悟る。
「やっ……槍を壊されました!」
――これでは戦えない!
片目と遭遇した際に投げた荷物にある予備の槍を取る暇を、この獣が与えるだろうか。
——いや、片目はやはり僕を見ていない……。
未熟な若い個体など一暼くれてやる価値もない。
ガタウのみが、自分の敵であると言わんばかりの
カサが荷物に駆け戻る。
片目はガタウと対峙している。
ガタウがそれを迎え撃つ。
お互いがお互いのみを見ている。
そこに割り込む隙など微塵も見えない。
カサが槍先を向け隣に並ぼうとするが、
「お前は、見ていろ!」
ガタウが背中で押しのける。
カサは困惑する。
ガタウはこの強大な敵と、飽くまで一人だけで対決する気なのだ。
「こいつは、俺の獲物だ……!」
瞳を爛々輝かせ、ガタウが歯を剥いて笑う。
――まるで獣だ。
背筋が凍える。
我を忘れて
それはカサの知らぬ、強烈に生命力を漲らせた男の姿だった。
「そうだ、俺は、貴様に再び遭いまみえるためだけに生きてきた。俺の鍛えたこの槍が、貴様を貫き殺す。それだけをただ一つの望みとして」
そのためだけに、並ぶ者なき高き領域、己の骨をくくりつけたその槍先が、真っ黒に染まるほどひたすら槍を磨きつづけたのだ。
ガタウをそこまで押し上げたのは、怒り。
誰にも見せぬ胸のうちに、火にかけた脂のごとく沸騰しつづけた怒り。
発散されぬがゆえに、冷える事なく沸騰した怒りだけが、ガタウを突き動かしつづけたのである。
――……ガタウ……!
その情念をカサは理解する。
カサもまた同じように、哀苦と喪失感と寂寞を燃料に、己を鍛えつづける人間だ。
そして戦士たちの頂点、壮強無比な槍使いの真理にガタウは到達した。
――ガタウならば、一人でも獣を斃せるかもしれない。
戦士は皆、狩りにおいて一つ想いを胸に秘めている。
たった一人、槍一つで獣と対峙し、斃す。
誰もがそうありたいと願い、狩りの地にて人一人の弱さを思い知らされ、誰もが棄てたその想いを、己を磨き続ける事で成し遂げてしまった男。
ガタウが真実の地より戻った時、胸にぶら下げていた、誰も見た事がないほど大きな三本の牙は、いまや砂漠の伝説である。
――だが、この片目は大きすぎる……!
それらの牙ですら、片目の牙の前では粗末な代物であった。
とにかく肉体が大き過ぎる。
いかなガタウとて、一人で立ち向かえる代物ではない。
大きいだけではない、カサの槍を見ずに避ける機敏さと洞察力、そして間髪いれず反撃する素早さも兼ねそなえている。
――ガタウを、一人で戦わせてはいけない!
そう思えど、カサの割って入る余地などなかった。
不用意に割り入れば、ただ蹴散らされる。
それはヒルデウールを思わせる、壮絶な闘いであった。
咆哮し、深く踏み込んで槍を突きこむガタウ。
咆哮し、牙を剥いて爪をふるう“片目”。
槍と牙、槍と爪。攻防がめまぐるしく入れ替わり、敵意に狂奔する者たちの叫びが、砂漠の虚無を揺るがす。かすめた牙と爪と槍先。毛が舞い、皮が弾け、肉が裂け、血が噴き出す。猛り狂った一人と一頭が、痛みも疲労も意に介さず血と汗と唾液にまみれて叫び、腕を振るい、地を蹴る。
飛び散る砂塵と血風。
その激烈さは、カサを釘づけにした。
恐怖も痛みも忘れ、怒りと殺傷本能に身をゆだねた二頭の獣。
互いが互いの血を求め、その甘美さに酔いしれる。
その荒々しさと、美しさ。
二者のかたわらに立つカサにとって、世界はこの二つの生命に集約されているようにさえ見える。
闘争は劇的で、太古の唄のように荘厳であった。
「ガアアアアアア! アッアッア!」
片目が叫ぶ。
長く拮抗してきた戦況に、動きがある。
一方の消耗が大きく、足取りが鈍りだした。
もう一方は、いまだ動きを緩める事なく、攻撃しては下がり、隙を見つけては流血を増やしてゆく。
勝敗が決しつつある。
有利なのは、ガタウ。
この戦士は、人でありながらかくも巨大な獣を圧倒していた。
その技量とそれを成した執念に、
片目はいつしか全身が血にまみれ、息があがりだしている。
ガタウがその正面に立ち、槍を低く下げる。
片目が槍先に視線を集中したと見るや、それをゆっくりと持ち上げる。
朦朧とした片目が、つられたように立ち上がる。
――決める気だ……!
それは、一の槍の作法。
だが、狙うのは膝ではない。
ただ一箇所。
一撃で仕留められる、心臓。
ガタウが槍を、片目の視界中央にぴたりと決める。
片目は動かない。
いや、動けないのだ。
いまや片目は、ガタウの意思によって操作されている。
一つの槍を挟んで知った、その作用。
カサはガタウの勝利を確信する。
ガタウが息を吸い、そして、
「フッ!」
槍先が空気を切り裂く。
この砂漠で最高にして無比、一の槍にして終の槍。
もはや避ける手はないと思われた。
だがそれこそが、片目の誘い。
相手が勝機を手にしつつある中、自らの不利を演出し、この必殺の槍を誘った。
ガタウの強固な精神への干渉を、同じく強固な精神で抗し、片目が吼える。
ドジュルッ!
槍が片目の肉を破る。
突き出された、右の前肢を。
心臓を狙ったガタウの一撃。
“片目”はそれを、右前肢を犠牲に止めた。
槍先は、毛皮に紙一重で届かなかった。
ガタウが鍛えつづけた槍先とその力量を、片目は前肢一本で受けきった。
生死の際の知恵比べで、片目がガタウを上回る。
ガタウが反応するよりも早く片目が動く。
前肢に刺さった槍を
左の前肢でへし折り
右前肢に槍の先端をぶら下げたまま振り上げ
全身を凶器としガタウへ殺到する。
右の前肢が、ガタウに叩きつけられる。
この時、ガタウは避けるべきであった。
この攻撃を避け、カサの救援を待つべきであった。
だが、ガタウは退かなかった。
折れた槍を腰に溜め
ささくれたその先端を心臓に向け
獰猛に吼え
片目の懐に
凶暴なその腕の内側に
全身全霊を込め突きこんだ。
捨て身の一撃。
すべてを奪われたガタウの、たぎる怒りが、この土壇場で命を捨てさせた。
カサは、動けなかった。
ガタウの槍が、一瞬早く片目の胸の真ん中に突き刺さり
片目の爪が、その直後にガタウを薙ぎ
そして双方のけ反って倒れても、まだ、カサは動けなかった。
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