第一章 旅立ち(4)


             4


 オダは、神官である父と村の長老たちに報せなければ、と考えた。

 隊商が喧嘩をおこすのは、珍しいことではない。商品の値段や品質をめぐって。時には、彼らの連れた傭兵たちが発端になることもある。しかし、斬られたとは尋常でない。

 一方の当事者の長であるエツイン=ゴルを呼ぶのは当然として、仲裁のために村の顔役を連れていくべきだ。と――オダが冷静であったなら、そこまで判断したかもしれない。

 まったく冷静ではいられなかった。


『速い』


 隼の動きに、少年は眼をむいた。一瞬の迷いもなく、彼女は剣をつかんで立ち、弾かれたように駆けだしていた。白銀の髪がながれ、外套の裾がはためくさまは、風の精霊のようだ。あたふたする彼らを振り向きざま、叫んだ。


「先に行く。鳩はそこにいろ!」

「いや! も行く!」


 少女は遠慮なく駆けだし、エツイン=ゴルは腹を揺らして追いかけた。


「これは、大変だ」

「待ってください。わたしも――」

「ええっ? タパティ!」


 意外だった。少年が止める間もなく、タパティは食事の入った籠を置き、鳩とエツインを追って行ってしまった。迷っている場合ではないと考え、オダも、急いで走り出した。

 ひとり残された雉は、溜息をついて肩をすくめると、茶器と料理の片づけを始めた。



 市場は、小さな竜巻に襲われたようだった。

 野菜や魚を売っていた屋台はひっくり返り、売り子たちが片づけをしている。彼らがおそるおそる見守る視線の先で、男たちが暴れている。ナカツイ王国の装束を着た商人たちと、ニーナイ国の村人だ。傭兵なのか、剣を持ついかつい男たちもいた。口々に怒鳴り、つかみあったり殴りあったりしているので、誰が誰の味方か判らない。駆けつけたものの、オダとエツイン=ゴルは、咄嗟にどうすればよいか分からなかった。


お兄ちゃん!」


 鳩の声で、オダは、騒ぎの中心をみつけた。

 潰れた瓜が散乱する屋台の影に、男がうずくまっている。朱色の髪をした、ナカツイ王国の若者だ。その衣が髪より鮮やかな緋色に染まっていたので、鳩は悲鳴をあげた。


 傷ついた若者の傍らに、男がひとり立っていた。隼に似た旅装束を身にまとい、長髪をなびかせた男――後ろ頭でひとくくりにした銀髪は、隼より長い。眉も、頬から顎、口にかけて生えた髭も銀。なにより、他者より頭ひとつぶん抜きんでた長身が目を引いた。腰に剣を提げているが、それを使わず、長い手脚で仲間を護ろうとしていた。


「お兄ちゃん!」


 鳩が駆け寄ろうとするのを、タパティが慌てて抱きとめる。エツイン=ゴルが、手を振って呼びかけた。


「イエ=オリ! 大丈夫か? 《鷲》!」


 隼の舌打ちを、オダはききとった。彼女は無言で、鞘に入った剣を手に、躊躇うことなく喧噪へとびこんだ。痩身を鞭のようにしならせ、イエ=オリの背後から迫っていた男の顎を、蹴りたおす。

 鷲が、するどく指示した。


「隼、抜くな! 殺すなよ」


 低い声は、不思議な響きをおびて聞こえた。言いながら、剣をふりかぶる男の間合いに入り、腕をとって投げとばす。大柄だが、動作は機敏だ。

 隼は表情を変えることなく、鷲と背を合わせ、反対側から来た別の男を、鞘入りの剣で殴っている。

 オダは、思わず見惚れた。彼らの白い肌と彫りの深い顔立ちは、神話を連想させたのだ。

 雷神ルドガー。大いなる破壊と再生を司るマハ・バーイラヴァ(破壊神)を……。

 タパティも、眼を瞠っている。


 エツイン=ゴルが説得をはじめた。両腕をおおきくひろげ、騒ぎのなかに踏み込もうとする。


「やめろ! やめるんだ、お前たち!」

「何事ですか?」


 報せをうけたのだろう、オダの父ラーダが、長老たちと一緒に駆けてきた。市場の惨状に、息を呑んで立ち尽くす。


「どうして、こんな……」

「ウィシュヌ(慈悲と平和の神)の名にかけて! 喧嘩をしている場合ではないぞ、お前たち!」


 男たちが怒鳴り返す。


「だって、エツイン=ゴル!」

「こいつらが――」


 ナカツイ王国とニーナイ国の共通語がとび交い、罵声がとどろき、女たちの悲鳴があがる。長老たちのだみ声が加わり、辺りはさらに煩くなった。

 鳩が両手で耳をおおう。オダは、怯える少女とタパティを、安全な場所へ連れていくべきかと悩んだ。


 ――その時、雉が、上着の上に外套を羽織り、きっちり頭巾をかぶって現れた。手に、水をいっぱい入れた桶を持っている。鳩とオダの傍らをすり抜け、進みでた。


お兄ちゃん?」

「雉さん?」

「ごめんよ。下がって」


 雉は、落ち着いた口調で少年たちに注意を促すと、彼らの前へでて腰を屈めた。桶の縁を両手で持ち、身構える。


「隼! けろ!」


 なめらかな声が響き、隼が、怪我人を庇って身を伏せる。雉は、暴れている男たちへ向かって、思いきり水をまき散らした。

 空中で綺麗に弧を描いた水は、ナカツイ王国の商人と傭兵たちの顔を叩き、派手な音をたてて彼らの動きを止めた。愕然とする男たちを、エツイン=ゴルが一喝する。


「いい加減にしろ、お前たち!」


『……え?』 タパティは、目を疑った。


 男たちの興奮を鎮めた水は、役目を終えて散るはずだったが、地面に落ちる一瞬前、水の蛇の先端が宙で跳ねた。そのまま、反対方向へうねり、鷲の顔を直撃したのだ。


『なに? 今の……』 タパティは息を呑み、鳩はあんぐり口を開けた。


 鷲は、金色にみまごうほど明るい碧眼をみひらき、軽く呆然としたが、我にかえると抗議をはじめた。


「……いってえ! つめてえ! なんで俺まで?」

「元凶だろ?」


 雉は、平然と言いかえすと、空になった桶を隼に手渡し、イエオリに近づいた。

 鷲は、顔をぶるぶる振って水を飛ばし、腕でぬぐった。


「違う。俺は、止めようとしただけだ」

「嘘をつけ。お前、絶対、面白がっていただろう」


 隼が、鷲をめつける。エツイン=ゴルの仲間が手伝いに来てくれたので、彼らと雉にイエ=オリを任せて立ち上がった。雉は、負傷者に肩をかし、二人がかりで支えて場を離れる。

 鷲は、濡れた外套の袖を絞りながら彼らを見送り、ぶつぶつと文句を言った。


「水もしたたるいい男になっちまったじゃないか。これ以上モテたら、どうしてくれる……」

「勝手に言ってろ」


 隼は言い捨てた。「あーあ」と、盛大に肩をすくめる仕草までつけて。流石に疲れたのか、剣を腰に佩いて口元をぬぐう。足元では、彼女に倒された男たちが、うめき声をあげていた。


「お兄ちゃん!」


 今か今かと機会をうかがっていた鳩が、歓声をあげて跳ねていった。男たちと水たまりを器用によけ、二人に駆け寄ると、鷲の腰に抱きついた。かなり勢いがあったが、鷲はびくともしない。

 どう見ても、血のつながりのある兄妹には見えない。

 オダとタパティは、近づくのを躊躇っていた。エツイン=ゴルが声をかける。


「大丈夫か、鷲」

「ああ、エツイン」


 鷲は、エツイン=ゴルと並ぶと、ちょうど頭一つ分高かった。大人と子どもほどの差がある。少女を腰にぶらさげたまま器用に身をかがめ、仲間をたすけおこすと、ラーダたちに軽く頭を下げた。


「悪い、騒がせちまって」


 神官は、眉根をよせて市場の惨状をながめた。


「死者が出なかったのは、なによりです。なにがあったのですか?」

「よく分らん」


 鷲は、肩をすくめた。


「最初はただの言い争いだった。誰かが剣を抜いたんだ。イエ=オリが斬られて、俺が入ったのはそれからだ」

「斬った者は?」

「そこで伸びてるよ」


 期待していなかったらしく、ラーダは驚いた顔になった。ひょいと顎で示されて、屋台の陰に倒れている村人に気づく。長老たちと顔を見合わせると、急いで男を捕らえに行った。

 エツイン=ゴルは、壊れた屋台を不安げに眺め、溜息をついた。


「これは、補償が大変だぞ……」


 呟いたが、鷲や隼を責める風はない。鳩が心配そうに鷲の手をとっているのを見て、眉を曇らせた。


「まさか、斬られたのか?」

「いや、殴り負けだ」

「すまんな、商売道具に」


 血のにじむ関節に息を吹きかけ、鷲は自嘲気味に笑った。そうすると、無精髭にふちどられた頬に若さがひらめいたので、オダは少しほっとした。


「こんなものは、すぐ治る。イエ=オリの方が心配だ。一緒に行ければいいんだが」

「そうさのう」


 軽傷の男たちが互いに支え合って身を起こし、宿営地へ向かうのを見送り、エツイン=ゴルは腕を組んだ。


「リタ(ニーナイ国の首都)までは、無理かもしれないのう。〈黒の山〉へ向かうのが、無難かもしれん」

「帰らせてやったほうがいいだろう。雉が一緒なら、途中までは、なんとかなる――」


 隼がくいと外套の袖を引いたので、鷲は言葉を切った。


「あのう」


 オダが近づき、おずおずと声をかけた。鷲は、緋色の髪の少年を、頭から爪先までざっと眺めると、空色の瞳をまっすぐに見下ろした。

 ごくりと唾を飲み、オダは一礼した。


「はじめまして。ラーダの息子、オダと言います」

「鷲だ」

「エツイン=ゴルさんから伺っています。それで、あのう……」


 オダは、佇んでいるタパティを振り返り、手招きした。彼女が呆然としているので、手を伸ばし、腕を掴んでひきよせる。

 鳩は、鷲の腰に抱きついたままタパティに微笑みかけると、期待をこめて彼を見上げた。

 隼は、冷静に鷲の表情を観察している。

 鷲は、タパティの黒髪をみとめ、視線を縦にうごかして全身を眺めると、再び彼女の顔を見詰めた。オダにしたのと同じように。ただ、彼女の黒髪に気づいた瞬間、細い眼がわずかにみひらかれた。動作が止まる。会釈する仕草を見て、何事かを言いかける。

 ――結局、彼は何も言えなかった。


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