第三章 戦士の基壇(4)
4
「かなわんなあ」
北風がうなり声をあげて砂塵を舞いあげ、吹き散らす。外套をあおられ、長髪と砂を顔に叩きつけられ、鷲はぼやいた。鷹は、慌てて彼を振り向いた。
「ごめんなさい。ぶつかった?」
「いや、鷹じゃない――」
言いかけた口に、再び黄砂が降りかかり、鷲は、嫌そうに片眼を閉じた。
鷹は頭巾をかぶって髪を覆おうとしたが、風の力が強く、剥がされてしまう。砂と自分の髪で前が見えなくなり、馬の背でよろめいた彼女を、鷲は片腕で支えた。
「あ、ありがとう」
「どういたしまして。おい、雉!」
無精髭を剃り、若返った彼の顔をまぢかに見て、鷹はどぎまぎした。鷲は、そんな彼女の様子に気づいてはない。片手で顔をかばい、風に負けじと声を張りあげた。
同じように砂嵐と戦いながら、雉が応える。
「何だあ?」
「降りた方が良くないか? 馬に乗っている方が辛いだろう。俺、もう嫌だ」
「……同感だ」
鷲は、馬から降りた。外套が風をふくんで拡がり、銀の長髪が生き物のように踊る。動けずにいる鷹に、手を差し伸べた。
「鷹も降りるか?」
「うん」
馬も、風から顔を背けて立ち止まる。鳩とともに馬車に乗っているルツは、外套を頭からすっぽりかぶり、眼しか出ていなかった。その眼が、鷹をみて微笑んでいる。
鷹は、突然だき上げられて、ぎょっとした。
「きゃ!」
鷲は、鷹を地面におろすと、『何をそんなにうろたえているんだ』 と言いたげに見下ろした。
「あ、ありがとう……」
鷹は、両手を自分の頬にあて、熱を抑えた。鷲は片方の眉をもち上げ、何事かを言いかけた。
「どうかなさいましたか? 皆さん」
セム・ギタが、馬を止めている彼等の様子をみに、引き返して来た。鷲は口を閉じ、この日 何度目かの苦笑を浮かべた。
雉は、馬車を御しているオダに声をかけている。少年も、視界の悪さに辟易していた。
スー砦を出てから二日間というもの、鷲は、鷹に何かを言いかけては止めるという仕草を繰り返していた。馬上でも、食事の際も。その度に、
口数も減っているのだが、飄々とした態度は変わらなかった。
「よく馬に乗っていられるなあ、ギタ」
鷲は、鞍の上に腕を組んでのせ、ギタに応えた。
「俺、砂で何も見えない。後ろにいる連中のことを、考えてやってくれ」
「確かに……ついて来ていませんね」
ギタは、手庇をして隊列の後方を透かし見ると、申し訳なさそうに答えた。
鷲は、ぺっと、口に入った砂を吐き捨てた。
「酷いところだな。ニーナイ国のタール沙漠も酷かったが、こんなに始終 風が吹きまくるなんてことは、なかった」
「遊牧民の言葉で、
砂にまみれていても、ルツの声は涼やかだ。星を宿した夏の夜空のような瞳が、彼等を眺めた。
「でも、今日は無理をしないで、休んだ方がよさそうね」
「姫に、伝えて参ります」
セム・ギタは《星の子》の言葉に頷き、馬首をめぐらせた。隊列の先へと駆け去る姿を、すぐに黄砂がおおい隠す。
鳩が腕を伸ばし、鷲は、小柄な身体を抱き上げた。風を避け、馬車の陰に少女を下ろす。鳩は、鷹と微笑みを交わした。
「あとどのくらいこんな道が続く? ルツ」
「何事もなければ、八日。それで、やっとカザ(邑の名)へ着く。そこから、ラーヌルク河畔のトゥードゥ(邑の名)まで、また五日。さらにルーズトリア(キイ帝国の首都)まで、五日かかるわ……。徒歩でこの人数なのだから、仕様がないわね。気長でいた方がいいわよ、鷲」
「気の抜ける話だなあ」
鷲は溜息をつき、ぶるぶる鼻を鳴らす馬の首を撫でてやった。鹿毛の額には、白い星型の紋がある。
「八日も、こんな殺風景な景色が続くのかよ。大公も、どうせなら、迎えの兵くらい寄越せってんだ」
乱暴な言い草に、鷹はやや動揺した。ルツの眼は笑っていた。長身の鷲を、子どもを見るように眺める。
「無理に波乱を期待するべきではないわ。心配しなくても、大公は、私達を放っておきはしない。カザへ着けば、動きがあるでしょう」
「そう願いたいな。でないと、打つ手がない。これ以上、
愚痴る鷲を、鷹は見詰めた。やはり、と思う。自分が気づくことを、彼が気づかないはずがない。
雉のことだ。
人一倍、トグリーニ族に捕らわれた隼を心配していた雉は、彼女が自ら人質になると申し出たと聞き、衝撃を受けていた。これまで以上に、情緒不安定になっている。
鷹は、無理もないと思った。察していた。
雉は隼が好きなのだ、と。
鷲は、馬の背に寄りかかり、鞍上に頬杖をついた。ルツは、微笑んで彼を宥めた。
「もともと、あなた自身が考え込む性格なのだから、仕方がないのでは? 類は友を呼ぶと言うわよ」
「……俺は、あいつみたいに、誰彼かまわず気を遣わせはしねえよ」
鷲は、むっつりと応じた。足下の鳩を、ちらりと見て、
「それくらいの気は遣っているつもりだ。悩むなとは言わねえが、突発的に黙り込まれると、困るんだ……」
鷲の声が小さくなったので、一同が彼の視線の先を追うと、噂の当人が、馬の手綱を引いて戻って来た。オダと並んで歩いている。砂の幕の向こうに、追いついて来た兵士達のすがたがあった。
鷲は苦虫を噛み潰したが、雉には何も言わなかった。またルツに話しかける。
「この先、リー将軍家はどうなると思う? ギタ達は」
「私は予知をしていないけれど、それでいいのかしら?」
ルツは、愉快そうに瞳をきらめかせた。鷲は、肩をすくめて促した。
「穏当なところで、領地と兵権を没収のうえ、追放……ね。キイ帝国では、家督は男性の長子が継ぐものとされているわ。リー・ヴィニガ姫が将軍職にあるのは、いざという時に婿養子をとって家名を継ぐためだけれど……オン大公は認めないでしょう」
「やはり、そうくるか」
「セム・ギタは、責任を負って自害。兄将軍の首級を差しだして
鷲は、眉間にふかく皺をきざんだ。鷹と鳩も、言葉がない。ニーナイ国を救おうとした影響が、こんな風に拡がるとは、予想の範囲外だった。
鷹は、鷲を案じた。リー姫将軍とトグリーニ族を和解させたいと、彼は言っていたが、そんなことが出来るのだろうか。
鷲は、唸るように呟いた。
「いずれにせよ、リー・ヴィニガ達に、居場所はない、か」
「オン大公のキイ帝国には、ね」
ルツも声を抑え、慎重に応じた。切れ長の黒い双眸に、冴えた光が宿っている。
「大公は、皇帝ではないわ。そこに不満を抱いている人々はいるのよ……」
鷲は、彼女を見詰めた。ルツは、かすかに頷いてみせた。
セム・ギタが、再び前方からやって来た。
「もう少し進めば、チュルチェンという村に着きます。そこで、遅れた者を待ちましょう」
青馬(黒馬)の首をめぐらせて言う、セム・ギタの金の髪にも髭にも、白く砂が積もっていた。
鷲は、面倒そうに、馬を引いて歩きはじめた。
*
南にタハト山脈の雪峰を臨む砂漠の村は、緑の木々に囲まれた泉といい、日干し煉瓦造りの家々といい、ニーナイ国の村に雰囲気が似ていたので、鷹とオダは喜んだ。サクサウール(塩木)とカラ・ブルガス(灌木)の茂みが、砂漠の風を遮っている。住人は、無論、キイ帝国の人々だ。
既に、リー将軍家の所領にはいっている。村人達は、こころよく一行を迎えた。
〈
髪や衣類についた砂を払い落として、ようやく一息ついた夕暮れ。村
ナンには
サクサウール(塩木)の根元には、野生のキジ(注*)が群れを成していて、村人達は、普段は捕まえたり食べたりしないというその鳥を、姫将軍の為に
鳩は、虹色の羽根をもらって喜んだが、雉は、自分の綽名となった鳥を、複雑な表情で食べた。
この地方の人々は、鳥を神の使いと信じていて、滅多なことでは殺さないという。鷲は、元は〈草原の民〉の信仰だったというその話に、興味を示した。
「遠い昔は、ここも、遊牧民の土地だったのです」
セム・ギタが、訛りのつよい村長の話を訳して説明した。
「クド山脈ふもとの高原まで、ハル・クアラ部族やトグルート部族の支配地でした。当時のリー将軍が、連中を北へ追い払い、
「
「
村長に代わって、姫将軍が応える。砦では薄手の優雅な衣装を纏っていた彼女は、今は羊毛を織って作られた長衣を羽織っている。
「狼煙台のことか?」
「リバ山脈(天山山脈)の尾根沿いに、烽火台と
「ふうん」
「〈草原の民〉との衝突は、常に長城周辺で起きています」
主人の後を、セム・ギタが継いだ。鷲は、
姫将軍は、豪華な火焔色の髪をゆらして、首を左右に振った。
「
香草茶を手にした《星の子》が、もの言いたげな眼差しを彼女にあてたが、結局なにも言わずに瞼を伏せた。
姫将軍はフッと嗤い、頬をひきしめた。
「しかし、我等をこのまま見過ごすつもりはあるまい。大公家との盟約もある。ワシ殿、ギタ。良い策はないか?」
セム・ギタはむずかしげに眉根を寄せたが、鷲は苦笑した。
「俺は、あいつに一杯くわされた。少々、相手を甘く見ていたらしい」
怪訝そうな姫将軍に、鷲は頭を振ってみせた。
「俺が奴なら、今のお前を殺すことに、何の魅力も感じない」
「……我には、その価値もないと?」
「大公の出方が気になるってことだよ」
姫将軍の暗い声に、鷲は肩をすくめ、椅子の背にもたれた。
「いじけるなよ、お姫様。俺なら、大公家との婚約など、屁とも思わんね。お前を討ち、将軍家の兵士を奴に与えてかえり討ちに遭うなんざ、真っ平だ。――俺がトグリーニの族長なら、大公の出方を待つ。それからでも手遅れにならないだけの優位は、確保してある。大公がこちらにどんな策を打って来るかを、心配した方がいい」
「そんなものかのう」
セム・ギタは、鷲の言葉に、逐一真顔で頷いていた。そのさまを観たリー姫将軍は、不満げに呟いた。彼女には待つしか方法がないわけだから、無理もない。
鷲は唇を歪めた。
「向こうには、隼が居る」
「ハヤブサ殿?」
「トグリーニがお前を追撃しようとしていれば、あいつは、相討ち覚悟で族長の首を
「そうなのか?」
姫将軍は、セム・ギタを顧みた。兄将軍の参謀だった男は、しかつめらしくうなずいた。隼に会ったことのない姫将軍は、信じられないという風に首を振った。
鷲は、気負うことなく続けた。
「ああ。タオの話を聴いたろう。なあ、オダ。……雉」
オダは、雉の様子を気にしながら、とまどい気味に肯いた。
雉は、空になった木の椀に視線を落とし、さっきからずっと固まっていた。会話にまったく注意を払っていない。
鷲は、もう一度、呼んだ。
「雉」
力をこめて呼ばれ、初めて、彼は面を上げた。
「ん? なんだ」
「何だ、じゃねえよ」
舌打ちする、鷲。皆に注目されていると気づき、雉は狼狽した。
「どうしたんだ、皆。おれ、何かしたか?」
「……ボケ」
視線を彷徨わせる彼に、鷲は言い捨てた。
「大ボケ。なあにが、『どうしたんだ、皆』 だ」
「うわ、酷いなあ。おれが何したって言うんだよ」
「阿呆。何もしていないから言ってるんだ。死にそうな顔で黙り込むな、間抜け」
「おれ、そんな顔していたか?」
「……はあ」
鷲は、大袈裟に溜め息をついた。
「駄目だ、こりゃ。ちょっと来い、雉。お前とは、話し合う必要がある」
「ええ? だって、まだ」
食事の途中だった雉は、鷲に腕を引かれ、抵抗を試みた。しかし、一蹴されてしまう。
「悪いな、ギタ、お姫様。席を外す。こいつと愛を語らって来る」
「おい、鷲」
「大丈夫だって、優しくするから。早くしないと、縛り上げて天井から吊るすぞ。……世話を焼かせるなよな、相棒」
鷲流の下品な冗談に、意味のわかる者は、顔を見合わせて苦笑した。その時は、まだ、冗談を言っていられると思っていたのだ。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(注*)野生のキジ: コウライキジ、高麗雉(Phasianus colchicus)、ユーラシア大陸に広く分布するキジで、首に白い輪状の模様があるために、クビワキジとも呼ばれる。日本のキジは亜種。
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