第二章 草原の民(6)

    *多少の流血と、セクハラ漫才があります。



              6


 ひとびとが凍りつく。鳩の声だと判るまえに、雉は走り出していた。鷹(タパティ)も。

 鷹が見ると、タオと鷲も駆けだしていた。――鷲が、舌打ちをする。彼らは瞬く間に鷹をおいこしたので、彼女は、鷲の背中を追って走るかたちになった。


 明水めいすいのほとりに〈草原の民〉の黒い一団がいて、そのさらに周りを商隊の人々が、驚きおびえた表情でかこんでいた。

 鷲とタオの後について人々をかき分けつつ進んだ鷹は、鳩が、黒衣の男の一人に突きとばされるのを見た。

 雉が、滑らかな声をはりあげる。


「鳩! 何をする」

「鳩ちゃん!」


 鷹は、悲鳴をあげた。

 浅い川の流れのなかに、ニーナイ国の民らしき婦人と少女の姿があった。二人を庇い、オダが両腕をひろげている。男たちの一人が、剣をかざしていた。


「オダ!」


 鷲が叫び、鷹は、思わずかたく眼を閉じた。


 どぐっという鈍い音につづき、呻き声がした。

 鷹は恐るおそる瞼を開け、今後は逆に、眼をみひらくことになった。


「隼……!」

「隼さん!」

「……へっ」


 剣を振り下ろした男も、邪魔者が白い異相の女と気づき、眼をまるくした。

 隼は、オダと男の間にとび込み、鞘に収めたままの剣で、男の剣を受けとめた。力で圧しきられ、相手の刃先が自身の胸を傷つけるのに耐えて、歯をくいしばる。


「……さすがに、いてぇや……」


 苦痛に美しい顔を歪めながら呟くと、愕然としている男の剣をはねのけた。

 赤い糸のような血が、飛び散った。

 鷹は両手で口を覆い、悲鳴を呑んだ。雉が自分の外套を脱いで、横から男の剣に叩きつける。男は跳び退がった。よろめく隼をオダが支え、悲痛な声をあげた。


「隼さん!」

「愚か者!」


 鋭い声が、周囲を一喝した。トグリーニの男たちが、一斉に剣を下げる。

 タオが、怒りに声を震わせながら、たどたどしい言葉で叫んだ。


「*****、**、****! ……女子どもを相手に! なぶり殺すキか! きさま等、トグルの名を辱めるツモリか。退がれ!」


 男たちは、いそいで隼から離れ、跪いた。

 タオは前に進みでると、失血に白い肌をますます蒼白にしつつある隼を、茫然と見下ろした。


「ハヤブサ殿……大丈夫か?」

「退いてくれないか、タオ」


 鷲が、静かに声をかけた。沈痛な面持ちの彼を、タオは、ぼんやり振り向いた。


「俺は、あんたと戦いたくない」

「ワシ、殿。何故だ?」


 雉は鳩を助け起こすと、オダとともに隼を支えた。血の染みのひろがる彼女の胸に、上着をあてがう。柔和な翠色の瞳が草原の男たちを睨むのを見て、隼が囁いた。


「雉、やめておけ。ここにいる全員が、巻き添えを喰う」


 雉は、数度まばたきをして殺気を消すと、不安そうに彼女を顧みた。


 タオは、隼と雉を、オダと沙漠の民の母娘を、信じられない、といった表情で眺めた。長い黒髪を揺らし、ゆっくりかぶりを振る。


「……我らとニーナイ国の争い、お前達には、関係ナイ。何故、テングリが、下界に干渉する?」

「あんたを騙すつもりじゃなかった」


 鷲は、やや哀しげに応えた。


「けど……下界に干渉しないのが天人テングリなら。俺達は、天人なんかじゃないんだよ……」


 タオは、剣を握りしめたまま、彼を見詰めた。それから、再び隼を見る。隼は、片手で傷を押さえ、気丈に彼女を見返した。

 タオは眉根を寄せ、剣から手を離した。


「***……手当てを」


 二人のトグリーニの男が、戸惑いながら隼に近づいた。しかし、雉に身振りで拒絶され、結局、タオの許しを得て下がった。

 タオは鷲に向き直り、彼の後方でおろおろしているエツイン=ゴルと、隊商の人々を眺めた。通訳が話す。


「早々に、立ち去るがよい。ケルカン(聖山)の麓ゆえ、これ以上の流血は無用……。ニーナイ国の者を逃がすわけにはゆかぬが、兄には、天人が連れて行ったと言っておこう」

「礼を言う、タオ」


 鷲の口元に、ようやく苦笑が浮かんだ。

 タオは嘲う気分になれないらしく、しずんだ眼差しを彼に返した。


「……お前達とは、また会うことになりそうだな。その時には、兄が、決着をつけるだろう」

「ああ。楽しみにしてるぜ」


 隼は、かみしめた歯の隙間から呻き声を漏らした。鳩とオダが、心配そうに屈みこんでいる。ニーナイ国の母娘も。

 その様子を痛ましげに見たタオは、一度は踵を返しかけたものの、取り乱しているオダに、どうしても何か言いたくなったらしい。くるりと身体の向きをかえた。


「オイ、そこの小僧!」


 オダは、びっくりして面を上げた。タオは、忌々しげに吐き捨てた。


「キサマ、覚えておけよ。我らがテングリを傷つけた罪は重いゾ。今度会ったラ、キサマの首は、キットこの私が刎ねる故、覚悟しておけ!」


 気色ばむ少年を、隼が、片方の腕を伸ばして制する。彼女は苦笑していた。

 タオは、隼に対しては態度を一変させ、穏やかに言った。


「ハヤブサ、殿。また、お目にカカリタイ。部下の非礼を、許してくれ」

「ああ。……気にするな」


 深い息を吐き、雉に肩を借りながら、隼は片目を閉じてみせた。


「多分、また、会えるだろう。……その時は、ハンデなしで、勝負、しようぜ」

「喜んで」


 タオは微笑み、軽く一礼すると、部下達に向かって手を振った。


「***! *******。***!」


 これを合図として、男達は一斉に立ち上がった。遠巻きに見守っていた商人達が道を開けるなか、足早に去って行く。

 タオは、雉と鷹、鷲に、今いちど丁寧に礼をすると、仲間の後を追って行った。


 半ば呆れ、半ば安堵してタオを見送った一同は、隼がぐらりとよろめいたので、急いで駆け寄った。鳩とオダは、涙ぐんでいる。

 鷲が、雉に支えられて腰を下ろす彼女の顔を、心配そうに覗き込んだ。


「大丈夫か、隼」

「かすっただけだよ」


 隼は、斬られた上着ごしに自分の傷を見遣り、唇をゆがめた。鷲は、溜息をついた。


「野郎相手に、お前の力ではり負けるから、受けをとるなって言っただろう」

「次は肝に銘じておくよ……。斬るわけにいかなかったんだ」


 鷲は、再度、嘆息した。


「……済まない、隼。お前に任せちまったばっかりに」


 隼は、血の気のうせた面を横に振った。


「奴等は、あたしが女だから、手を退いたんだ。お前が出ていたら、これでは済まなかっただろう」


 この台詞に、鷲は、もの言いたげな沈黙で応えたが――手を伸ばし、オダの頭を撫でた。


               *


「いやはや、一時はどうなるかと思ったぞ」


 天幕を全て片付け、カールヴァーン(隊商)をいつでも出発できる状態にしてから、エツイン=ゴルは、隼たちの所へやって来た。

 隼は、頑として雉の手を拒んだので、雉は、助けた母娘のうち母親の脚の傷の治療に向かった。鷹と鳩の見守るなか、隼は、自分で胸の傷を手当てした。深手でなかったのは幸いだが、彼女の透き通るようなしろくなめらかな肌に ひとすじ紅い創が入ったのを、鷹は痛々しく思った。

 鳩は、隼の左腕にしがみつき、ずっと洟をすすっている。

 衣をととのえた隼は、エツインに苦笑をみせた。


「どこに行っていたんだよ、エツイン。見ものは全部、終わっちまったぜ」

「《隼》、お陰で助かったぞ。トグリーニは、本当に儂らを見逃してくれそうだ」


 タオは部下に命じてくれたらしく、あれから全く、草原の民は近づいて来なかった。彼らのユルテ(移動式住居)周辺に集まり、状況を見守っている。

 鷲が、煙草を噛みながら戻ってきて、隊長に訊ねた。


「あの二人を連れて行くことは出来そうか? エツイン」


 ナカツイ国の商人は、二重顎をゆらし、鷹揚に頷いた。


「ああ、大丈夫だ」


 抱きついて離れようとしない少女の髪を撫でてやりながら、隼は口を挟んだ。


「荷車を一台、用意してやってくれ。母親の名前は、アイラ。娘は、サヤ。母親の方が酷いけど、二人とも、脚を傷めているんだ。それに、ろくに食べていなかったらしい」

「今、食事を摂らせている」


 エツインの返事を聴いて、隼は頬を緩めた。


「恩に着るよ」

「それはこちらの台詞だ。あの女族長がお前を気に入っていたから、見逃してもらえたのだからな」

「タオがどうして気に入ってくれたのか、あたしには、ぜんぜん理由が解らないんだけどね……」


 隼は肩をすくめ、傷の痛みに顔をしかめた。


「隼さん」


 オダが、坐っている隼の前に進み出て、片方の膝をついた。項垂れて、今にも泣き出しそうな顔を伏せる。


「申し訳ありません。僕のせいで……。悔しいけど、あの女族長の言うとおりです。自分では何も出来ないのに、僕は――」

「オダ」

 隼は、腕組みをしている鷲と視線を交わし、少年の台詞を遮った。


「自己嫌悪は、それくらいでやめときな。時間の無駄だ。……お前には、やらなきゃならないことが出来ただろ?」

「え?」

「鷲。オダを頼む」


 きょとんとする少年に、鷲は、いつものにやにや嘲いを見せた。重心を左脚に移し、唇の隅をつり上げる。


「次にタオに会ったら、借りを返さなきゃならないだろ。隼の、借りを、な。俺がしごいてやるから、覚悟しろよ」

「…………!」


 今にも雨が降りそうだった空色の瞳が、喜びに輝いた。隼は、鳩がしがみついていない方の腕を伸ばし、少年の髪をくしゃくしゃにした。オダは笑った――眼尻に涙を浮かべて。

 鷲は、隊列の前方を眺め、ひとつ大きな伸びをした。


「そろそろ行くとしようぜ、エツイン。隼を乗せるから、荷車か驢馬を貸してくれ」

「いいよ、そんなもん」

「いや、いかんぞ、隼。安静にしていないと」


 エツイン=ゴルの意見に、鷲はやや大袈裟に相槌をうった。


「一日くらい、大人しくしていろよ。お前、途中で倒れたら――」


 台詞が途中で止まり、鷲の口がぽかんと開いた。怪訝に思った一同が、彼の視線の先を見ると、トグリーニの男が一人、荷車を牽いた馬を連れて来ていた。荷台には、革袋がいくつか載っている。

 男は、丁寧に頭を下げた。


「……タオ・イルティシ・ゴアより、天人テングリへ餞別です。道中お気をつけて。再会を楽しみにしている、との伝言です」

「せんべつって」


 隼は当惑して鷲を見上げ、鷲は肩をすくめた。エツイン=ゴルが、声をあげて笑った。


「いいではないか、貰っておけ。ついでに、こいつに隼を乗せて行こう」

「おいっ」

「それがいい。使者殿、有り難く頂戴すると、タオに伝えてくれ。……また会おう」

「ハイ」

「ちょっと待て。あたしは嫌だぞっ。駱駝に乗って行く。オダ、あたしの駱駝は?」


 一礼して、使者は戻って行った。エツイン=ゴルは、波打つように腹を揺らした。


「駱駝では、〈黒の山カーラ〉には登れぬからな。トグリーニの馬と交換した。奴等の馬は立派だぞ、隼」

「なら、馬に乗る。あたしは嫌だぞ、荷車なんて」


 鷲が、無精髭におおわれた唇をゆがめ、人の悪い笑みを浮かべた。


「馬は数が少ないんだ、つべこべ言うな。それとも、抱き上げて運んでやろうか?」

「だっ……!」


 聞いていた鷹は驚いたが、隼の反応を観て、さらに驚いた。絶句した彼女は、文字通り、耳たぶまで真っ赤になったのだ。切れ長の眼と口を同時に開き、溺れた魚さながら、ぱくぱくと動かす。

 鷲は、からかう口調で追い打ちをかけた。


「出血して、それ以上 貧乳になったらどうするんだよ。大人しくしてろ」

「ひっ、ひんにゅうとか言うな」

「悪い。洗濯板だったか?」

「せんっ……だっ……おまっ……!」


 隼は、完全に言葉をうしない、奇妙な声をあげて沈黙するに至った。声をあげようとして、傷の痛みに息が止まってしまう。結局、促されるまま、渋々荷台によじ登った。

 鷲は、積んである革袋に触れて、中身を確かめた。


「タオは、サクア(葡萄酒)をくれたらしいぞ。こっちは乾酪チーズだ。隼、お前、何か食べていろよ」

「……判ったよ」

「そんじゃ、出発」


 鷲が声をかけ、カールヴァーン(隊商)は動き出した。殆どの者は、徒歩だ。馬の手綱を鷲がとり、その後ろを、鷹と鳩がついて行く。

 エツイン=ゴルは前を行き、オダと雉は後方、ニーナイ国の母娘を乗せた荷車につき添った。


 駱駝と驢馬の牽く荷車、馬車を交えた人の列は、明水を渡る橋にさしかかった。丸太を組んだ橋脚は、石を積んで補強してある。木の板を並べただけの狭い橋は、彼らが踏むと派手に軋んだ。慎重に渡りながら、一行は、来た道を振り向いた。

 遠ざかるニーナイ国側の岸には、ユルテの群れを背に、見送ってくれているらしい黒衣の集団がいた。あの中に、タオもいるのだろう。改めてみれば、行く手には、キイ帝国の日干し煉瓦造りの家が並び、こちらの様子を伺っているチャガン・ウスの村人の姿がある。


 隊商は、タハト山脈に足を踏み入れた。





~第三章へ~

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