第二章 草原の民(5)
5
三日目の夜。エツイン=ゴルに明日は出発すると言われ、ようやく隊商の面々の緊張が融けた。どうやら大した混乱もなくこの地を去れそうだと感じたのだ。
しかし。深夜。眠っていた鷹(タパティ)は、肩を揺さぶられて眼を覚ました。
「は、隼?」
「シッ……誰かいる」
隼は、片膝を立てて入り口に向かい、左手に剣を掴んでいた。闇の向こうを見据え、聞き耳を立てている。
鷹は、緊張して息を殺した。
「…………!」
隼が、舌打ちと同時に身を翻し、鷹を突き飛ばすようにしながら剣を抜いた。星明りにきらりと刃が光るのと、黒い影が飛び込んで来るのが、同時だった。
「ひっ!」
人影が悲鳴を呑む。隼は、倒れた鷹を背にかばい、忌々しげに舌打ちした。
「……なんだ、お前か。おどかすなよ」
入り口とは違う方向から、聴き慣れた声が応えた。暗闇に眼が
「いきなり斬りつける奴があるか。乱暴だな。起こしちまったのは悪かったよ。けど、夜中でないと出来ない話なんだ」
「……だろうな。オダを連れて来たところを見ると」
あやうく斬られそうになったのは、オダだった。鳩も目覚め、目元をこすっている。
隼は、剣を鞘に収めて苦笑した。
「しかし、お前だけは敵にまわしたくないぜ、鷲」
鷲は、
「単刀直入に言う。オダが、ここに、ニーナイ国の人間が隠れているのを見つけちまった」
「え?」
問い返した隼の顔が、みる間に苦しげに歪んだ。
オダが、申し訳なさそうに項垂れる。
「ごめんなさい。動くなって、言われていたのに。けど――」
怒られるのを覚悟して頭を下げる少年を、隼は、硬い表情で見た。
鷲は肩をすくめ、仕様のない、と言うようにオダの頭を撫でた。
「まあ、俺も迂闊だった。動くな、と言われれば、かえって動きたくなるもんな」
「鷲さん……」
オダは顔を上げた。隼が、真顔に戻って問う。
「何人だ?」
「二人です」
「男? 女?」
「母娘です。娘は、僕と同い歳くらい。〈
隼は、鷲に向き直った。
「お前、いつから気付いていた?」
「昨日だ。オダがその親子に会ったのが、一昨日」
「どうして、もっと早く教えないんだよ」
「あいつがくっついてんのに、そんなこと言えるかよ」
「それもそうか……」
『あいつ』 とは、トグリーニの族長の妹のことだ。彼女は鷲と隼を気に入り、何かと話をしたがった。
鷲は胡座を組み、腕組みもして、オダを見た。
「で? 俺に、どうしろと?」
「彼女達を、助けて下さい」
オダの真っ直ぐな瞳に見詰められて、鷲は、力のぬけた苦嗤いを浮かべた。その目はむしろ、困惑している。
少年は、両手をつかんばかりに頭を下げた。
「お願いです! 二人を〈
「……そう言われてもなあ」
鷲は、ぼりぼり頭を掻いた。
「二人を連れて行けば、今度は、エツイン達が危険になるんだぜ」
「足手纏いだってことは分かります。〈黒の山〉へ連れて行くだけでいいんです。その後は、僕が
「じっとしていた方がいいと思うんだが、俺は」
「鷲さん」
「下手に連れだす方が、危険じゃないか? 母親が足を怪我しているのなら、見つかっても逃げられないってことだぜ?」
「分かっています。でも――」
「お前は、解ってないよ」
反論しようとしたオダの台詞を、隼が遮った。静かだが有無を言わせない口調に、少年は黙り込んだ。
隼は、諭すように続けた。
「自分の立場を考えろ。お前には、〈黒の山〉に登って《星の子》に会う使命がある。あたし達は、エツインに雇われている。危険に曝すわけにはいかないだろ」
「でも……」
「お兄ちゃん」
堪りかねた鳩が口を開いた。途端に、鷲の表情が、困りきったものになる。
「オダを天幕から連れ出しちゃったのは、はとなの。お願い。力を貸してあげて」
「鳩。あのなあ~」
「鷲さん」
鷹まで喋りだしたものだから、彼は、すっかり弱って頭を掻きむしった。う~と、喉の奥でうめく。
隼は、苦笑した。
ぼりぼりぼり、と頭を掻き、鷲はぼやいた。
「……無理だよ、実際」
オダは、泣き出しそうになった。
「今さら、小細工の弄しようがない。隠して連れ出すしかないんだ」
「あたしがやるよ」
隼が静かに口を挟んだので、全員の視線が彼女に集まった。
「元はと言えば、オダから目を離しちまった、あたしの責任だ。護衛は、あたしがするよ」
隼は、やや照れくさそうに言った。鷲の眼が、細くなる。
「本気か? お前」
「本気だよ。置いて行っても、みつかれば殺されちまう。なら、少々危険でも、やってみるべきだろう。鷲。勝手をするが、許してくれ」
鷲は、隼を観た。オダにちらりと視線をはしらせ、溜め息まじりに肩をすくめた。
「……わかった。任せる」
少年の空色の瞳が、ぱっと輝いた。
「鷲さん」
「明日の朝、俺が、タオの注意を惹いておく。見付かったら、その時は――」
隼は、にやっと唇の隅をつり上げた。鷲は、不安げに口ごもった。
「俺が出ない方が、いいと思う。思うが……大丈夫か?」
「出来るだけのことは、するよ」
片目を閉じる、隼。鷲は、低くひくく、囁いた。
「死ぬなよ」
「縁起でもない」
隼の自信ありげな態度は変わらなかったが、鷲は、凛とした表情の裏を探るように見詰めていた。やがて、オダを促して天幕を去る。
オダは、改めて深々と隼に頭を下げると、来た時同様、無言で外へ出て行った。
隼は、鳩の頭を撫でて微笑んだ。
「さて。明日は早い。休めるうちに休んでおこう」
*
白い息をはく駱駝の背に、色とりどりの背おおいの布をかけ、鞍を据え、畳んだ天幕を荷車につむカールヴァーン(隊商)の人々の顔には、目的地への期待が表れていた。
雉と一緒に天幕を片付け、食器の包みを荷台に載せながら、鷹(タパティ)は、辺りを見渡した。トグリーニ族の男たちは、少し離れて隊商を見守って(見張って)いる。
出発の支度をはじめる人々の動きにまぎれ、隼とオダは、暗いうちに出掛けて行った。
雉は、荷物を積み終えると、怪訝そうに視線を巡らせた。
「《鷹》ちゃん、隼を見なかったかい? オダも。あの二人、まだ食べていないだろう?」
彼は昨夜の話の経緯を知らないのだ。朝食代わりの干果を受けとり、説明しようとした鷹は、視界の端に鷲を見つけ、思わず息を呑んだ。
現れた朝の日差しに長身を曝し、鷲は、悠然と立っていた。顎が動いていて、煙草を噛んでいるのだと判る。外套の上を流れる銀髪が、光にふちどられ、翼のように輝いている。タオと通訳をまじえて話をしている非現実なそのすがたに、一瞬、鷹は見蕩れかけた。
雉は、彼女のようすに気づいた。干し葡萄をかじりながら、鷹と仲間を交互に眺め、さらりと訊ねた。
「それで。きみ、いつ、あいつに
「…………?!」
鷹は、呼吸すら忘れて、まじまじと雉を
雉は、からかう風でも莫迦にする風でもない――いたって真面目な表情で、首を傾げた。
「あれ。違った? だってきみ、あいつのことしか観ていないでしょう、ずっと」
「なっ……だっ、えっ……ええ?」
何を? などと、ごまかす余裕はなく、顔から火が出る心地がして、鷹は喘いだ。心情としては悲鳴をあげているところだが、か細い声がやっと出ただけだった。両手を頬にあてる彼女を、雉は、不思議そうに眺めた。
「……もしかして。自分で気づいていなかった、とか」
鷹は答えることが出来なかった。その場にうずくまりそうになるのを堪え、眼を閉じる。今にも涙があふれだしそうだ……。ややあって、殆ど息だけで囁いた。
「気づいた、んですか? 鷲さんも?」
「いや。あいつは、全然」
雉は、少女のように繊細なつくりの顔を、横に振った。口調も態度も、あくまで真摯だ。
「今は、別のことで頭がいっぱいだからね……。だから、手伝った方がいいのかどうか、考えていたんだけど」
「手伝う?」
鷹は、悲鳴をあげそこなった。乾いた唇からは、かすれた吐息が漏れただけだった。顔は、身体もすでに、燃えるように熱くなっている。どくどくという拍動が、耳の奥に響いていた。
「…………」
一方、雉は、奇妙に冷めた眼差しを彼女に当てていた。まるで、哀れんでいるような……彼女を気の毒に思い、同情を示したいが、その方法がわからないとでも言いたげな、沈黙ののち、口を開いた。
しかし、彼は何も言えなかった。
朝の澄んだ空気を、少女の悲鳴が切り裂いた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
鳩:「お兄ちゃんに、しっつもーん!」
鷲:「はいよ」(既にうんざりしている。)
鳩:「どうして髪を長く伸ばしているんですか?」
鷲:「切るのが面倒だから」
鳩:「えー……。実は羽根になっていて、空を飛べるとか。逆に、切ったら力が抜けちゃって、戦えなくなるとか」
鷲:「そんな設定はない」
鳩:「しつもん、その二~」
鷲:「何だよ、まだあるのか?」
鳩:「どうして、しょっちゅう髭を生やしているんですか?」
鷲:「剃るのが面倒だから……てか、刀で剃ると痛いんだよ。作者が『電気シェーバー』をくれないから」
鳩:「えー、つまんない。何かないの? 髭が生えている間は火を吹けるとか。抜いて投げたら、針になって敵を攻撃できるとか、ちっちゃいお兄ちゃんの分身が、たくさん出来るとか」
鷲:「お前はいったい、俺をどういうバケモノにしたいんだ?」
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