第二章 草原の民(4)

   *暴力的な描写があります。ご注意ください。



           4


「そうですか。トグリーニ族の長の妹が、そんなことを」


 宴の後、エツイン=ゴルを含む一同は隼の天幕にあつまり、隠れていたオダと鳩に、今日の出来事を説明した。

『ニーナイ国の者を見つけた場合は斬首』 というタオの言葉を知ると、オダは、悔しげに唇を噛んだ。


「ああ。そんなわけだから、オダ。しばらく出歩くんじゃないぞ。食事は、鳩、お前が運べ」

「うん」

「判りました」


 鷲の指示に、鳩とオダは、揃って頷いた。

 酒を飲んではいたが、鷲は、酔ったり判断を狂わせたりする様子はなかった。片方の膝を立てて煙草を噛む表情は、真剣だ。

 エツイン=ゴルが、溜め息まじりに言う。


「〈草原の民〉が茶と胡椒を欲しているとは、知らなかったなあ」


 彼は、持っている胡椒の半分を、同じ重さの黄金と交換する契約を結んだ。トグリーニを恐れながらも、嬉しさを隠し切れない。

 雉が相槌をうった。


「奴ら、肉を食べるからだろうな。……おれ、考えを変える必要がありそうだ。ああいう連中だとは、思っていなかった」

「儂もだ。意外なほど信心深いし、文化的だ。もっと野蛮なやからと思っていたが、話もわかる」

「そうなんですか……」


 オダが沈んだ口調で呟くと、考え込んでいた鷲が、顔を上げた。まっすぐ少年を見据える。


「奇妙だとは思わないか、オダ」

「えっ?」


 鷲は、もぐもぐと煙草を噛みながら続けた。


「連中は、鉄器と銀を持っていた。商いに困っている様子はない。何故、ニーナイを襲う? 食糧が欲しければ、買えばいいのに。わざわざ毎年、襲撃を繰りかえす理由は何だ?」


 オダは「あ」という形に口を開けたが、答えられなかった。

 雉は、首をかしげた。


「タオは、なんと言っていた。血が沸く、か?」


 鷲は、皮肉っぽく唇を歪めた。


「本当だとすれば、随分、犠牲の大きな道楽だな……。戦えば、連中だって被害をこうむるんだ。ニーナイだけならともかく、キイ帝国相手に、それはないだろう」


 ぼそりと付け加えた。


「ヒルディア(王国)は、キイ帝国に滅ぼされたんだ」


 オダは、はっとして隼を見た。鷲と同郷の彼女は、硬い表情のまま頷いた。

 鷲は、顔に落ちてきた髪を掻きあげ、ゆるく苦笑した。


「統制された軍隊をもつ国に、気安く戦争をしかけるはずがない。……考えろよ、オダ。この世に、絶対の正義や悪なんて存在しない。連中には、連中の理由があるんだ。それが分かれば、お前の国を護る方法が、みつかるかもしれない」

「はい……」


 オダは頷いたが、釈然としない気持ちが、眉間に現れていた。

 雉も、不満気に口ごもった。


「それは、そうなんだろうがな……」

「隼。お前、どう思う?」


 鷲は、夕食前からずっと黙ったきりの隼に、話を向けた。


 隼は、鷲に呼びかけられても、すぐには面を上げなかった。やがて、曖昧に応えた。


「……信用できると思うよ。タオは――」


 オダとエツイン=ゴルを見て、疲れた口調で続けた。


「あの娘の言葉に、嘘はないと思う。オダを見つければ、迷わず首を刎ねるだろうな。言葉通りに。……ちょっと、正直過ぎて恐ろしい。要らない誤解をされたら、やっかいだ。……長居は無用だよ、エツイン。用が済み次第、〈黒の山カーラ〉へ向かおう」

「はあ」

「俺も、隼に賛成だ」


 鷹(タパティ)は、この時初めて、鷲の眼を恐ろしいと思った。物憂げな表情は、感情の動きを推し量らせない。細い眼が伏せられて白目勝ちになったのは、ぞっとするものがあった。

 鷲は、囁くように喋っていたが、息を殺して聴いていたオダ達には、怒鳴られるより迫力があった。


「キイ帝国の村人と、隊商の女子ども全員を、人質に取られている気分だ。エツイン、早く交渉をまとめてくれ。それと、隊の連中に、不用意にトグリーニと接しないよう言っておいてくれ。俺達は連中の捕虜じゃないが、下手をすると、それより性質たちの悪いことになりかねない」

「……判った」


 口をぽかんと開けていたエツインは、真顔に戻って頷いた。

 鷲は、隼を振り向いた。


「隼は、鳩とオダを頼む。あの小娘の相手は、俺とエツインでしよう。雉は、鷹を頼む」

「判った」


 隼と雉が同時に頷き、ようやく鷲は表情を和らげた。立ち上がる。


「さて、そろそろ休むか。窮屈だろうが、オダ、我慢してくれよ。――しかし。悪い予感がするのは、どういうことだ……」

「鷲」


 天幕を出ながら言った鷲の台詞の後半は、独り言だった。ぺっと煙草を足元に吐き捨て(注*)、苦虫を噛みつぶす。

 雉が声をかけた。


「どうした? 苛々して」

「ああ。俺一人なら、考えすぎだと思うんだが……。気分が悪いぜ。何を見落としているのか――」


 鷲は、ふいにおし黙った。仲間の存在を忘れたように、早足で歩いていく。

 鷹は、漠然とした不安を抱いた。――この人がいれば大丈夫、と思いながら、当の鷲の態度が不可解だった。


             **


 翌日から、奇妙な共同生活が始まった。チャガン・ウス(キイ帝国の村)の住人は近づいてこなかったので、実際にトグリーニ達と関わっていたのは、カールヴァーン(隊商)だけだった。

 固有の言語を持ち、近隣の国々に悪魔のように噂される〈草原の民〉だが、ニーナイ国やナカツイ王国とも共通する神々を崇めている。ともすれは、その信仰は、オダ達より敬虔だ。

 〈黒の山カーラ〉に向かって、朝夕祈りを欠かさない。特に、テングリに対する崇拝は絶大なもので、白い人間――鷲と雉、隼に敬意を払うのも、神の化身アヴァ・ターラ天人テングリとみなす故のようだった。

 タオに『ルドガー』と呼ばれ、さすがの鷲も、困惑していた。

 嵐と光の神にして、山に棲む恐ろしい神。なだめなくてはならない家畜と医療の神ルドガーは、ナカツイ王国やミナスティア王国の一部では、最高神として崇められている。

 タオは、実に素朴な尊敬を鷲と隼に向けたので、二人は、調子がくるうと感じていた。


 南方の人間から見ると、彼らの風俗も変わっていた。

 黒ずくめの長衣デールは、羊毛や毛長牛ヤクの毛を織ったもので、飾りは殆どついていない。一方、靴や革帯ベルトには、鋼や黄金を使った美麗な細工が施されている。鹿や狼、虎といった動物の意匠だ。

 彼等の肌は黄色く、鷹(タパティ)と鳩と同じだが、髪と瞳は、二人より濃い色をしていた。藍色がかってさえみえる髪を、男女とも長く伸ばし、数本に編み分けている。毛皮の帽子をかぶり、外套を手放すことはない。

 彼等が集まると、無口で真っ黒な、異様な集団が出来あがった。

 対照的に、ユルテ(移動式住居)の内部には、色鮮やかな刺繍を施した布や、紋様を描いた柱が使われていて、美しかった。



 早朝。炊事用の水を明水めいすいで汲んできた鷹は、鷲が腕組みをして佇み、ユルテの群れを眺めているのを見つけた。霜を踏んでちかづき、無精髭を生やした横顔に、話しかける。


「おはようございます、鷲さん」

「おはよう、鷹。見ろよ、あれ」


 鷲は、腰まで垂らした豊かな銀髪を揺らし、顎で示した。草原の男たちが、剣技に励んでいる。傍らには、黒い旗が掲げられていた。

 鷲は、白い息とともに呟いた。


「……あんな連中を、敵にまわしたくはねえなあ」

「あの旗は、なに?」

「トグリーニの氏族旗だそうだ」


 巨大な旗には、黄金色の糸で、動物らしき図が描かれていた。鷹は眼を細め、見定めようとした。

 鷲は、既に調べていた。


「あれは、鷲獅子グリフィンとかいう、想像上の動物だ。ガルダ(鳥の神)に似ているな。連中にとっては、黄金の守り神なんだそうだ。……あの旗を見ただけで、キイ帝国の軍勢は、怖れをなして逃げ出すそうだぜ」

「鷲さん」


 鷹が真面目な口調で呼びかけたので、鷲は、彼女に向き直った。鷹は、身体の前に桶を提げ、足元に視線を落として続けた。


「あの……ごめんなさい。わたし達、知らなくて……そのう、ヒルディアのこと――」

「へっ?」


 ヒルディア王国がキイ帝国に滅ぼされたのであれば、鷲たちにとって、キイ帝国は仇だ。手段がないとは言え、かの国に援軍を依頼しようというオダたちの目的は、彼らには不本意なのではなかろうか。

 鷹はそう考えたのだが、鷲は、心底意外だったらしく、瞬きをくり返した。彼女の手から水の入った桶を受け取ろうと手を伸ばしたが、身振りで拒まれてしまう。手もち無沙汰になった右手をぱたぱたと振り、やっと気がついた。


「……別に。遠い国だからな」


 苦笑する。腕を下ろして視線をそらすと、雉と話をしていた隼が、こちらにやって来るところだった。

 鷲は、片方の脚に重心を移し、穏やかな表情で鷹を見た。


「それにもう、昔のことだ。俺が、オダくらいの……。鳩は、まだ赤ん坊だった」

「そうなんですか」

「ああ」


 隼が到着した。何の話をしているのかと、二人の顔を見比べる。

 鷲は、懐かしむ口調で続けた。


「俺たちが住んでいたのは、国境の山ン中だったから、キイ帝国の攻撃をもろに受けた。確か、王族は捕まって、ルーズトリア(キイ帝国の首都)へ連れて行かれたんじゃなかったかな」

「あたしの村までは、来なかったよ」


 鷲が確認するように言ったので、隼が応えた。鷹に、肯いてみせる。


「あたしは、ヒルディアの南――海沿いに住んでいたんだ」

「そう……」


 鷲は、肩をすくめた。


「王族がいなくなって、国でなくなっても、民が消えたわけじゃない。今も、あそこには人が住んでいる。他国との交易や、公的な遣り取りが出来なくなっているだけだ」


 それでニーナイ国へ情報が届いていないのだと、鷹は理解した。鷲は、顔をあげ、対岸の村を眺めた。


「俺がキイ帝国を信用していないのは確かだが、今さら、どうこう思っているわけじゃない。まして、あの村の住人には、関係のない話だ」

「軍隊も、〈草原の民〉も――」


 隼がけだるい口調で言いながら、腕を伸ばし、鷹の提げている桶の把手をつかんだ。遠慮する彼女には構わず、水桶を持ち上げる。その隼に、鷲が、改めて手を伸ばした。


「――力で他人をどうにかしようとする奴らを、あたし達は、信用なんてしない。せいぜい、利用させてもらう」

「そういうことだな」


 隼は遠慮なく桶を鷲におしつけたので、鷲は、くつくつ笑いだした。軽々と桶を提げ、踵をかえす。鷹は慌てたが、温かい若葉色の瞳と目が合うと、頬が火照るのを感じた。

 天幕へと戻りながら、隼は、草原の男たちを眺めた。


「奴らの剣は、戦うための剣だ。人を殺すための戦い、だ。あたし達とは、根本が違う。……鷲」

「……ああ、そうだな」


 鷲は足を止め、隼と同じ方向を見詰めた。左手が、腰の剣の柄にかかる。

 タオが、同族の男と言い争っていた。四、五人の男たちが周りを囲んでいる。彼女の足元に、ひれ伏すように跪いている者もいる。言葉は判らなかったが、深刻な雰囲気は伝わった。

 雉が、仲間のもとへ小走りにやって来た。


「鷲」

「あれは何だ?」

「それが……」


 鷲は、木桶を足元に置いた。雉は、鷹のてまえ言い淀んだが、そんな場合ではないと思い直し、声をひそめた。


「チャガン・ウス(村)の女を、手めにした奴がいたらしい。それが見つかって、騒いでいるんだ」

「手篭めぇ?」


 鷹は、隼の顔を見た。彼女は顔色ひとつ変えず、会話を聴いている。

 鷲は、眉根を寄せて舌打ちした。


「そんなのは、連中の十八番おはこじゃないのかよ。何を今さら騒ぐことがあるんだ?」

「それが、そうでもないらしい。エツイン=ゴルが聴いたところによると――」

「****、******!」


 雉の台詞は、跪いた男の声に遮られた。タオに頭を下げ、どうやら許しを請うているらしい。切羽詰まった響きに、彼らは思わずそちらを見た。


「……***」


 タオは、腕組みをして男を見下ろし、何事かを告げていた。口調はいたって静かだ。

 男が懇願する――頭を、地面にすりつけんばかりにして。

 タオが話は終わったとばかり手を振ると、周囲の男たちが動いた。一人が中心の男の肩を押さえ、もう一人が、その右腕を伸ばす。

 タオは、すらりと剣を抜き放つと、いきなり、躊躇いもなく、男の右手首に叩きつけた。

 どすっという鈍い音がして、血しぶきと共に、男の右手は宙を舞った。言葉は判らなくても、悲鳴は判る。


 鷹は、世界がぐらりと揺れたような気がした。


「鷹……大丈夫か?」


 隼が、貧血を起こしかけた鷹の肩をささえ、揺さぶった。それで、彼女は自分で立つことが出来たが、地面にどくどくとあふれ出る鮮やかな血を見ると、今度は吐き気がしてきた。

 隼では支えきれないと判断した鷲は、片腕で鷹をだき寄せ、自分の肩に彼女の顔をおし当てた。鷹は、鷲の片胸に顔をうめ、こみ上げて来たものを何とか喉で留めた。地底から響くような低い声を、耳元で聞く。


「しっかりしろ。吐いてもいいから、振り返るなよ。見るんじゃない」


 鷹は、口の中を酸っぱいもので一杯にしながら、頷いた。胸が破れそうにドキドキしたが、しばらくじっとしていたら、何とかなった。


「***、*****」


 タオが命じる声に続いて、ずるずると、引き摺る音がした。

 鷹はぞっとした。――あの男を、引き摺っているのだ。鷲の肩ごしに、ちらりとそれが見えたので、あわてて固く眼を閉じる。鷲は、彼女の背を、軽く叩いた。


「……ワシ、殿。キジ殿も、そこにいたのか」


 腕の力が緩んだので、おそるおそる鷹が振りかえると、タオが、こちらにやって来ていた。黒い衣装には、返り血を目立たなくする効果があると思い至り、鷹は蒼ざめた。

 タオは、苦虫を噛み潰したような鷲と雉の顔を、気まずそうに見上げた。通訳が話す。


「朝から見苦しいものを見せてしまったな。許してくれ」

「……何も、あそこまでしなくても」

「そう思われるか?」


 控えめに抗議する雉を、タオは遮った。凛とした口調だった。


「ナカツイ王国でも、同様の裁きになると聞いているぞ……。むしろ、手ぬるいくらいだ。兄ならば、首を刎ねていよう。聖山ケルカンの麓ゆえ、同胞を殺すわけにはいかぬから、あれで許してやったのだ。手当てを命じておいたから、死ぬことはない。帰ってから、兄が処分を決める」

「意外だな。強姦・殺戮さつりくは、〈草原の民〉の十八番だと聞いていたぜ」


 鷲が、痛烈な皮肉で応酬する。タオは、悲しげにおもてを曇らせた。


「それは、戦に勝ったときの話だ。我らは、キイ帝国に戦をしかけるつもりはない。今、口実を与えるわけにはいかぬ……。それに、族長の命に背いた者を見逃したとあっては、他の者への示しがつかない。見せしめでも、厳罰を与えねば、軍としてやってはゆけぬのだ。……気分を悪くさせて済まなかった。許してくれ」


 そう言うと、タオは、男達を従えて、ユルテの方へ去って行った。彼女が外套を翻すと、生臭い血の匂いが、ぷんと匂った。

 通訳が、斬りおとされた右手を途中で拾い、皮袋に入れた。銀貨や金などとともに、被害者のもとへ届けるらしい。


「鷲」


 雉が、不安げに鷲を見た。鷲は、ぎりっと奥歯を噛みならし、彼らの背を見送りながら、濁った声で呟いた。


「……成る程。連中は、正直すぎる。だが、その正直さは、他を傷つけずにはいかないものだ。やってくれる――」


 鷹は、彼の腕にしがみついた。

 彼らはしばらく、そこに茫然と立ち尽くしていた。







―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

(注*)煙草を足元に吐き捨てる: タバコの葉に石灰などを包み、直接噛んで嗜好する噛み煙草は、南~東南アジア圏、アメリカ合衆国などに普及しています。唾液には大量のニコチンが含まれるので、嚥下せずに吐き出します。しかし、舌がんや喉頭がんのリスクがあり、公衆衛生的にも問題があるので、最近は廃れ気味です。良い子は真似しないで下さい。




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