第二章 草原の民(3)


            3


 タオ以外のトグリーニの男達の瞳は、鳩と同じように黒かった。

 タオは、その場にいた全員をざっと見渡すと、朱色の髪のエツイン=ゴルに声をかけた。すかさず、通訳が入る。


「……そなた、ナカツイ王国の者だな。チャガン・ウスへ何用か? ここが、我らの聖なる山〈カラ・ケルカン〉への入り口と、知って来たのか?」

「貴方がたの聖なる山、ですか。〈黒の山カーラ〉が?」


 エツインが訊き返すと、トグリーニの族長の妹の頬に、わらいが浮かんだ。彼女は、切れ長の眼に強い光をやどして言い返した。


聖山ケルカンの名は、尊ばれるべきものだ。軽々しく口にする者には、災いが訪れるぞ……。左様。キイ帝国の領内に位置するが、あまねく全ての国々の山であると同じく、我らにとっての聖地でもある。お前達が呼ぶ《星の子》とは、天人(テングリ)……我らの守り神でもある」


 エツイン=ゴルは、鷲と顔を見合わせてから、思い切って応えた。


「お察しの通り、我々はナカツイ王国の商人で、ニーナイ国の戦乱を避けて、〈黒の山カーラ〉へ参拝する者でございます。チャガン・ウスとは、あの村でございますか? このまま通過することを、お許し頂きたいのですが」

「商人か。ならば、我らも用がある。お前達の持つ品を見せてくれ。……それから、恐れずとも、チャガン・ウスへ立ち寄るがよい。我らは、カールヴァーン(隊商)に危害を加えるつもりはない」

「へえ。あんた、話が判るじゃないか。トグリーニってのは野盗の集団だと聴いていたが、そうでもないんだな」


 止める暇はなかった。


 鷲の台詞に、エツイン=ゴルは蒼ざめて黙り込んだが、通訳を聴いたタオは、声をあげて笑い出した。

 エツイン=ゴルは、呆気にとられた。

 鷲の方は、タオの反応を予想してでもいたように、腕組みをして彼女を見ていた。無表情に。


「……トグリーニでも、神を敬うことは知っているぞ。ルドガー(暴風神)よ」


 笑いの発作がおさまった後で、タオは鷲にこう言って、一礼してみせた。鷲の片方の眉が、ひょいと跳ねる。

 エツインは、はっと息を呑み、繰り返した。


「ルドガー?」

「左様。蛮族といえ、聖山ケルカンに住まう神の風体をもつ者にやいばを向ける程、畏れ知らずではない。我は、兄の命で聖山を守りに来ただけのこと。ナカツイ王国の者に用はない。ただし――」


 この時、彼女の表情が一変した。眉根を寄せ、エツイン=ゴルをぎろりと睨みつけた。


「――ただし。この隊の中に、ニーナイ国の者を見つけた場合、首を斬らせてもらう。それが、我のもう一つの使命ゆえ」

「成る程」


 エツイン=ゴルは震えあがったが、鷲は、不敵な表情で頷いた。

 

 会話を聴いていた鷹(タパティ)は、内心ほっとしていた。『良かった……オダを、隠しておいて』 

 隊のなかでニーナイ国の者はオダと鷹だが、オダは、一目でそうとばれてしまう。

 タオがこちらを見ているのに気づき、鷹はどきりとした。


「……ところで。そこにいる者は、我らと同じ〈草原の民〉ではないのか? どこの部族の者だ。戦ではぐれたか? 親の名を言ってみよ」

「わ、わたし……?」


 鷹が己を指差してうろたえていると、隼がさっと前に出て、視線を遮った。腰の剣に片手をあてている。

 タオは眼をまるく見開き、何事かを言いかけた。それを制する勢いで、隼は言い放った。


「この娘は、あたし達の仲間だ。病気だから、〈黒の山〉へ行って治してもらおうとしているんだ。構わないでくれ」


 通訳からこの言葉を聴いたタオは、納得したように頷いた。隼に近づき、早口で話しかける。大袈裟な身振りで、剣をもつ彼女の腕に触れ、また何か喋った。


「…………」


 通訳が話さないので、何と言っているのか、隼には分からない。眉間に皺をきざみ、身体をかたくして、自分と同年代にみえる草原の娘を見詰めた。

 タオは、新緑色の瞳を輝かせ、隼に微笑みかけた。話が通じていないのを気にする風はない。彼女を気に入ったようだった


「……さて。案内しよう。ついて来るがいい」


 ひとしきり勝手に喋ると、タオはくるりと踵を返した。

 

 エツイン=ゴルは、再度、鷲と顔を見合わせると、タオの後について歩き出した。隊列が、ゆっくり前進を始める。トグリーニ達は、馬の手綱を引き、隊商の両側に並んで歩いた。鷹たちは、監視されているように感じた。

 隼は、鷹の腕をつかみ、耳元で囁いた。


「気をつけて、鷹。独りになるんじゃないぜ。何をされるか、判ったもんじゃないからな」


 鷹は、頬をこわばらせて彼女を見た。隼は、真顔で頷き返した。


「いくら友好的でも、連中の感覚は、あたし達とは違う。気を許しちゃあいけない。……あたしは、オダと鳩を守る。あんたは、鷲の側を離れるな。気まずいかもしれないが、あいつと一緒にいれば、安心だから」

「うん。判ったわ、隼……」


 鷹は頷き、トグリーニの男達を、こわごわ見た。彼等は無表情の仮面をかぶり、黙々と歩きつづけていた。


「隼、鷹。キイ国の人間だ」


 鷲が、ふいに顎で示した。対岸の日干し煉瓦造りの家々の陰から、どうなることかと様子を伺っている、村人たちが見えた。

 沙漠の民の緋色とも、ナカツイ国の民の朱色がかった赤毛とも違う。鈍くかがやくあかがね色の髪と、黄色の肌を持つ人々だ。恐ろしそうに、こちらを眺めている。

 怯えたウサギのような彼等を見て、鷹は、ますます不安になった。

 鷲は、無精髭にうもれた唇を、フッとゆがめた。隼は、無表情だ。――二人に身を寄せて歩きながら、鷹は、片手で胸をおさえた。


               *


 カールヴァーン(隊商)は、トグリーニ族のユルテ(移動式住居)が並ぶ場所の近くに、野営することになった。彼らの態度は友好的だったが、商人たちの緊張は、少しもゆるまなかった。

 タオは、エツイン=ゴル、鷲、隼、雉、鷹(タパティ)、数人のナカツイ王国の商人たち――を、夕食に招待した。〈草原の民〉には、旅人をもてなす習慣があるのだと言う。

 男たちは、彼等が連れて来た羊をほふり、瞬く間に酒宴の仕度をととのえた。


「……ユルテ、なかでは、オマエ達、安心できないダロウから、な」


 タオは、感心して観ているエツイン=ゴル達に、自らたどたどしい公用語をつかって話しかけ、陽気に笑った。

 総勢五十数名のトグリーニが駐屯していたが、女性は、彼女一人だけだった。その若い娘のひと声で、いかつい男達が黙々とはたらく。一つひとつの動作に無駄はなく、訓練され尽くしたもののように見えた。


「キイ帝国が、恐れるわけだ……」


 エツイン=ゴルは呟いた。鷲は黙っていた。


 乾燥させた毛長牛ヤクの糞と薪を使って火が焚かれ、それを囲むかたちで、絨毯が敷かれた。初めてのことなので恐る恐るそこに座ったエツイン達は、短く刈られた毛長牛ヤクの毛が、思ったより柔らかいものであると知った。

 お酒も出された。馬乳酒クミスを蒸留してつくられたという透明な液体を、彼らは手にとったが、なかなか飲む気になれなかった。

 殺したばかりの羊の肉をはじめ数多くの料理が並べられたが、彼らは、タオに勧められるまで、ナンばかりをちぎって食べていた。


 タオと通訳は、よく喋った。


「……我らは、東はキイ帝国のルーズトリア(首都)から、北は氷の森まで、移動しつつ戦ってきた。未だ、クド山脈の南へ入ったことはない。ナカツイ王国とは、どのような地であるのか? ワシ殿やハヤブサ殿のような姿をした者が、多く住むのか?」


 タオは、エツイン=ゴルに質問を繰り返した。ナカツイ王国とミナスティア王国の国土の広さから、気候、民族、宗教、食べ物に至るまで。そうして、南方の豊かな農作物や海の幸のことを聴くと、溜め息をついた。


「海か! 我らには、想像が出来ぬ。どこまでも水だけがある所など。……我らの知る世界は、沙漠と、山と、草原のみだ。我らはそこを、家畜を連れて移動する。戦に明け暮れ、休まることなどない。羨ましいな」

「……だから、ニーナイ国を攻めるのか?」


 こういうきわどい質問をするのは、鷲。その度に、エツイン=ゴルは、寿命が縮まりそうな顔をした。

 タオは、よほど気を許したのか、鷲を気に入ったのか――苦笑まじりに応えた。


「〈草原の民〉は、複数の部族に分かれている」


 彼女に勧められてアルヒという酒を口に含んだ鷲は、眼をまるくした。

 タオは彼を愉快そうに眺め、穏やかに続けた。


われが幼い頃には、部族間の争いが絶えず、キイ帝国や他部族からの攻撃に、たびたび脅かされた。ひとたび侵略されれば、男どもは殺され、女たちは攫われて、一族は散り散りになったものだ。……他国から民を守るために部族を統一したのが、我が祖父だ。お陰で、キイ帝国も他部族も、我らに手出しはしなくなったが……部族が大きくなり、人が増えれば、それを養わなくてはならない。家畜と食糧が必要だ。北の痩せた土地では、夏の間だけで越冬に充分な穀物を得ることは難しい。その為に、南の地を襲うのだが――」


 タオは、やや自嘲気味に苦笑した。


「始めは、そうであったのだろう。冬には雪と氷に閉ざされる草原で、皆が生き延びる為……それが、本来の目的であったはずだ。しかし、おそらく、それだけではない」


 彼女は、エツインと鷲を見て、不適な嘲みを浮かべた。アルヒ(酒)の入った杯を掲げ、唄うように言う。


「何年もかけて武器をととのえ、騎馬を集め、軍を鍛えるのは、我らの血が騒ぐからだ。安住より、戦いを求める祖先の血が――沸き立って、獲物を求めて彷徨うからだ。お前達には、解らぬかもしれないがな」


 エツイン=ゴルは神妙な顔になったが、鷲は、さして感銘を受けた風はなかった。


「トグリーニの本隊は、どこに居る?」


 平然とナンを口に運ぶ彼を、タオは、面白そうに見た。


「……ルドガー殿は、戦に興味がおありと見える」

「…………」

「良かろう、隠す必要はない。……トグリーニとは、南方の民がつけた名だ。我ら自身は、トグル……トグルート、と言う。我が兄の率いる本隊は、総勢一万……未だ、シェル(ニーナイ国の街)に留まっている。しかし、今日にでも、エルゾ山を越えるであろうな」

「まだ、エルゾ山を越えていない? 何故だ?」


 鷲の問いに、タオは唇を歪めた。


「捕らえたニーナイ国の捕虜どもを、各氏族に分配する作業が、滞ってでもいるのだろう。いつものことだ……。我らは、よく天災さながら移動すると言われるが、いったん馬から降りた男どもは、なかなか他へ行こうとはしない。その代わり、馬に乗れば、一夜のうちに千キリア(注*)は動くがな。……これで、返事になっているか?」


 鷲は、彼女の言葉の裏の意味を察し、嫌味たっぷりに応じた。


「ああ。要するに、ぐーたらになるってことだな」

「鷲!」


 エツイン=ゴルが焦って声をあげる。タオは、通訳を聞くと、たのしげに呵々かかと笑った。


「面白い男だ。覚えておくぞ。……ときに、エツイン殿。貴殿は、どのような物を商っているのだ? 我らは、四・五頭の駱駝と絹、それから是非、胡椒と茶を手に入れたいと思っているのだが、いか程になるだろうか。こちらは、駱駝と同数の馬、鉄器、銀。胡椒は同じ重さの黄金でもってあがないたいと考えているが……いかがかな?」


 この申し出に、エツイン=ゴルは驚くと同時に喜び、数日滞在して彼等と交渉をすることになった。

 鷲は商売には関心を示さなかったので、後の話は、専らエツイン=ゴルとタオの間で進められた。






―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

(注*)キリア: この世界の長さの単位。だいたい1キリア=860メートルくらいの設定です。

 タオの話には誇張があります。替え馬がない限り、一晩で860キロメートルも移動は出来ません。


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