第五章 太陽の少女(3)


   *暴力的な描写があります。ご注意下さい。


             3


 始まりは、のどかだった。


 リー・ディア将軍は、トグリーニ族の長の妹タオ・イルティシ・ゴアを 『生け捕りにしろ』 と命じた。翌朝、セム・ギタ率いる百人(うち半数が歩兵だ)が、まず仕掛けることになった。

 隼は、セム・ギタが、気のりしない口調でつぶやくのを聴いた。


「本当の巡礼者がいた場合、逃がさなくてはなりませんね」


 将軍の側近は、綺麗にととのえた口髭を片手でこすり、困惑顔で続けた。


「どうも、私はその……婦女子を追いまわして捕らえるというのは、気がすすまぬのですが」


 隼が 「なに?」 と眉をひそめたので、セム・ギタは申し訳なさそうに頭を掻いた。傍の鷲が笑いをかみ殺し、隼をさらに不機嫌にさせた。

 リー・ディア将軍は、鷹揚にたしなめた。


「ギタ。その言葉、我が妹には聞かせられぬぞ。トグルートの牝狗めすいぬにとっても、不本意であろう」

「は。申し訳ありません」


 セム・ギタは頬をひきしめ、鉄製の兜をかぶり直した。小さな鉄片(小札こざね)を連ねた胴着を革の胸あての上にまとい、大腿から膝にかけても鉄製の防具で覆っている。かなりの重量なはずだが、動きのなめらかさが損なわれないのは流石だった。


 隼は、重い鎧を嫌がった。「着ただけで潰される」 というのがそのげんだ。心配する鷲とセム・ギタに説得され、革鎧だけは身に着けた。ここまで連れて来た馬に乗り、セム・ギタとともに先に出る。

 鷲は、リー・ディア将軍と、砦で状況を見守ることになった。



 ルツが、雉と鷹と、子ども達を連れて来た。鷲たちがいる防壁の上に出て、リー・ディア将軍に会釈をする。若き将軍は、上機嫌で応じた。

 マナはクド(ユキヒョウに似た獣)を連れていない。騒がしさを嫌う獣は、どこかに隠れてしまったらしい。


 砦の外は、来たとき同様、よく晴れている。高く澄んだ空には、刷毛で刷いたような薄い雲がたなびいている。常に谷間を吹きぬける西風は、灼けた砂のにおいがした。雪をいただく二本の山脈に挟まれた荒野には、ゆるやかな凹凸があり、小さな灰色の点々がうごめいていた。牧民の連れている羊の群れだ。

 鷹は、オダが元気のない声で雉に話しかけるのを聞いた。


「雉さん。僕は、間違っているんでしょうか。父たちを助けたいのに、トグリーニ族と戦いたくないんです」


 鷹は思わず振り向いた。雉は、途方に暮れた表情で少年を見ていた。

 鷲たちは、彼らの会話に気づいた風はない。

 オダは、悔しげに唇を噛んだ。


「僕たちは、卑怯者です。故郷を守りたいと言いながら、自分の手を汚さず、リー将軍とトグリーニ族を戦わせようとしている」

「オダ」

「でも、僕は本当に、キイ帝国の人を死なせたくないんです。トグリーニ族も……。鷲さんに、人を殺して欲しくない。リー将軍にも、隼さんにも。人が傷つくのは嫌なんです」

「誰だって、人を殺したくなんかないよ」


 雉は、溜息まじりに囁いた。


「それが普通だろう……。けど、オダ。世の中には、いろんな奴がいる。いろんな価値観があって、立場がある。その、どれもが正しいとは言えないけれど、どれも間違いだとも言えないんだ」

「絶対の正義や悪なんて、存在しない――から?」


 オダは、いつかの鷲の言葉をつぶやいた。雉は苦笑した。


「判らないよ、おれには。でも、お前は間違っていないと思う、オダ」


 オダは、置き去りにされた子どものように項垂れた。

 雉は、眉を曇らせた。


「戦争なんて、どんな理由をつけたって、ただの殺し合いだ。けれど、そうと判っていても、戦わなきゃいけないときがある。おれ達は生身の人間で、たぶん、理想だけで生きていくには弱すぎるんだ」

「…………」

「だから……お前の考えが、本当の正義でも。今は、それを鷲に要求しないでやって欲しい。隼に。そんなことより、今のお前の気持ちをしっかり覚えておくことの方が大事だと、おれは思う」



               *



 約五十の騎馬とほぼ同数の歩兵は、砦の西門から出発した。遮るもののない平原を、彼らは真っすぐ西へ進み、なだらかな丘の麓で、数人の牧民に遭遇した。

 まさか、武装したキイ帝国の兵士がいきなり現れるとは思っていなかったらしい。馬と数頭の羊を連れた〈草原の民〉の男達は、逃げる素振りも戦う素振りもみせず、セム・ギタたちに捕らえられた。

 かなり小さな姿ではあったが、彼らの様子は、防壁の上からよく観えた。


 セム・ギタは、本気でタオの仲間と巡礼者を区別するつもりらしい。あやしいと判断した者を部下に任せ、次に現れた牧民を追いかける。すぐにつかまえ素性を問いただすが、そうしている間に、先刻とらえた男がひょいと逃げ出したので、歩兵があたふたと後を追った。

 そんなことを二、三度くり返すうち、状況は、寸劇の様相を呈してきた。


 徒歩の遊牧民がするり、するりと逃げる。帽子を手でおさえ、腰をかがめたいかにも恐縮した態度で。その仕草が滑稽なせいか、砦で見物している兵士たちのなかから、笑い声があがった。ひとりを捕らえればまた一人、次から次へと〈草原の民〉が現れるので、セム・ギタは休むひまがない。


 ベエッ、エエエッと羊が啼き、怯えた馬が走り出す。

 囃したてる声、手を叩いて叱咤する声があがった。


 リー・ディア将軍は、苦笑した。


「何をしておるのだ、ギタは。早く牝狗をみつけぬか」


 キイ帝国の騎兵たちと遊牧民の羊と馬が右往左往するうちに、砂埃が舞いはじめた。黄褐色の砂煙が風にあおられ、人馬の動きを霞ませる。

 男たちの笑声が響くなか、鷹は、鷲の表情が徐々に厳しくなっていることに気づいた。


「鷲さん?」


 鷲は、セム・ギタたちを眺めながら、低く答えた。


「おかしい。チャガン・ウス(キイ帝国の村)で会った時、タオ達は、せいぜい五十人だった。馬も、あんなに多くなかったはずだ」

「え……?」


 鷹は、背筋が寒くなった。

 鷲は、《星の子》を顧みた。ルツは、真顔で頷いた。


「五十人……。お転婆な妹のために、ディオ(族長、タオの兄)が選んだ精鋭ね」

「あんたは――」


 鷲は、鋭く息を吸いこんだ。その時、リー・ディア将軍の怒声が、防壁に響いた。


「ええい、観ておれん! われが行く。百騎、ついて来い!」


 鬨の声をあげて、男達が動きだす。構わず、鷲はルツに詰め寄った。


「あんた、リーに何を吹き込んだ?」


 ルツは、哀し気にかれを見た。


「……大したことは言っていないし、私が話したところで、何も変わらないわ」


 《星の子》は、くらい口調でつづけた。


「ひとは、繰りかえす生物。十年、百年、千年……似たようなことを繰りかえして来たわ。戦っては敗け、敗けると解っていて戦う。裏切られると理解して信じ、破られることを承知で誓い、別れると知っていて愛し……。死ぬと判っていて、生きるのよ」

「誰の台詞だ」


 鷲は、ぎりりと奥歯を噛み鳴らした。唸るように言う。


?」


 《星の子》は、ただ黙って、黒曜石の瞳にかれを映した。

 鷲は、彼女の返事を待たなかった。片手に長剣をつかみ、身をひるがえす。防具は身に着けていない。長い脚で、防壁の石段を三段ずつとばして駆け降りる。

 折しも、門を開け、リー・ディア将軍が出撃するところだった。


「借りるぞ!」


 鷲は、手近なところにいた馬に跨り、手綱を引いた。



 隼とセム・ギタも、異変に気づいていた。


 まわりには黄色い砂煙がたちこめ、敵と味方のすがたを隠している。〈草原の民〉を追う騎馬と逃げる馬蹄の音が、大地に響く。味方を呼ぶ男たちの声に、時折、短い悲鳴が重なった。

 歩兵が斬られたことに、隼は気づいた。逃げてばかりだった〈草原の民〉の男たちが、いつの間にか馬に乗り、兵士の首をかき斬ったのだ。ふたりめ、さんにんめ……砂の霧のなかで迷ううちに、歩兵が犠牲になっている。


 弓弦ゆづるの鳴る音に、どさりと倒れる音が続いた。囲まれている。

 隼は、ぞっとした。うなじの毛を逆立てながらみると、セム・ギタも、頬を強張らせている。


「隼殿、ここは危険だ。貴殿は下がって――」

「いたぞ、タオだ!」


 馬のいななきと、男の声が響いた。打たれたようにそちらを向く二人の前に、砂煙を割いて馬群が跳びだしてきた。

 黒衣に毛皮の帽子、手に手に弓や剣をもち、長い辮髪をなびかせた男達が騎乗している。先頭をいく者の姿に、見覚えがある。

 隼は、かっと身体が熱くなるのを感じた。


「タオ!」



「何をしている、ギタ! 追え!」


 リー・ディア将軍が叫んだ。


 新手の味方の登場に、砂塵に翻弄されていた部隊が、息を吹きかえす。逃走をはじめる〈草原の民〉を、我先に追い始めた。

 タオを含む騎馬の一団は、南を目指して疾駆する。態勢をたて直すセム・ギタの軍から、身軽な隼をのせた馬が先頭へはしりでた。リー・ディアたちが、東から追いすがる。

 遅れて来た鷲が、懸命に叫んでいる。


「隼! リー、追うな! 罠だ!」


 しかし、その声は男たちの喚声にまぎれ、隼の耳には届かなかった。彼女は剣を抜き、声を限りに叫んだ。


「タオ! あたしは、ここにいるぞ!」


 作戦の首尾を確かめようと振りむいた草原の娘の瞳に、陽光を反射して煌めく白銀の髪が映った。忘れ得ぬ、氷の精霊を想わせる冷たい容貌すがたの奥に、燃える焔のごとき闘志を秘めた女だ。伝説の聖湖マノサロワールのように深い紺碧の瞳が、みえた気がした。


「ハヤブサ殿?」


 タオは呟き、手綱を引いた。馬の速度が落ち、部下が呼びかける。


「タオ様?」

「何故、天人テングリが」


 タオは呆然と自問しかけ、状況を思い出した。大急ぎで行く手を確かめ、今度こそ馬首をめぐらせようとした。


! ――天人テングリ! ハヤブサ殿!」



 日が翳った。


 数千の弓弦から一斉に矢が放たれる様子は、水鳥の大群が舞いあがるさまに似ていた。一瞬、蒼天を蔽い、日差しを遮る。次いで、獲物を狙って滑空する猛禽の翼さながら、風を切り、うなり声をたてて降下する。

 天を支配する大神が、地上を這いまわる蟻の群れを叩きつぶそうとするかのように。ずらり並んだ鉄の鏃は、一塊となってキイ帝国の人馬に襲いかかり、無造作に貫いた。


 隼を。


 追手の先頭を駆けていた彼女の馬は、十数本の矢に射貫かれ、もんどりをうって倒れた。隼は、鞍から投げ出され、声もなく地面に叩きつけられた。

 リー・ディア将軍も落馬した。セム・ギタも。


 密集していたキイ帝国の兵士の殆どが、矢の斉射を浴びた。馬はほぼ全て倒れ、放り出された者、下敷きになった者がもがいている。歩兵も無事では済まなかった。血と、驚きと苦痛と、恐怖のうめきが地表に渦巻いた。

 そのなかで、


「ハヤブサ殿!」


 タオは、金切り声をあげた。狂乱して泣きながら、部下の制止の手をふり払い、引き返そうとする。


『タオ? ……隼?』


 鷲も、腕と大腿を射られて落馬していたが、かろうじて立ち上がった。ぐらぐらする頭を片手で支え、よろめく足を踏みしめる。その耳に、地平線に黒い陽炎さながら現れた騎馬軍がおしよせる地響きと、誰かの喚きが聞こえた。


「次が、来るぞ!」


 つられて天を仰いだ鷲の目に、再び陽を隠す矢の雲がみえた。『まずいな――』 ぼんやりと、思う。このままでは、全滅だ。

 しかし、如何ともしがたい。

 来るべき衝撃にみがまえることも出来ず、立ち尽くす。彼の脳裡に、涼やかな声が響いた。


『撃ちなさい、ロウ』


 《星の子》の冷徹な声は、ただひとことを告げて消えた。直後、かれの頭の中で、陶器の割れるような音がした。

 視界が白く染まる。瞼の裏が焼きつく。鷲は呼吸を止めた。

 瞬間、あの日――己の潰したひとの血にまみれていた、仲間のすがたが浮かんだ。

 鷲は頭をかかえ、掠れた声で叫んだ。


「逃げろ、はやく……!」


 戦場の中心に突如あらわれた光芒は、またたく間に強さを増し、一気に膨れ上がった。同時に湧きおこった風が、厚い空気の壁となって地上をなぎ払う。

 負傷してうめいていた人馬も、寄せていた敵も、空を蔽う矢の雨も。一様に叩かれ、うち払われ、容赦なく吹き飛ばされた。


 突風は、見えない津波のごとく砦の防壁にぶつかり、谷に轟音を響かせた。観ていた者たちは耳を塞ぎ、頭をかばって身を伏せた。矢だけでなく、血濡れた兵士の衣の切れ端や、壊れた馬具が飛んでくる。続いて、バラバラと音をたて、小石が降って来た。


 防壁の上にいた鷹たちは、急いで壁の陰にうずくまった。マナが鳩を抱きしめる。

 ルツの頬を小石がかすめ、うすい線状の傷をつくったが、淡く輝いて消えた。


 やがて光と風がおさまると、気が抜けたような静けさが辺りを支配した。舞い上がっていた砂煙がゆっくりと晴れるにつれ、戦場の有様が見えてくる。我に返った兵士たちが、砦を駆けだしていく。

 鷹たちは身を起こしたが、何が起きたか分からなかった。しばらく呆然としていると、倒れている兵士と馬たちが観え、戦闘が終わっていることが察せられた。

 リー・ディア将軍はどうなったのか、鷲と隼は無事なのか……。不安が胸に湧きおこる。


 ルツはそっと嘆息した。マナが小声で問う。


「ルドガーのいかづち、ですか?」


 その声に、鷹たちは、一斉に《星の子》を顧みた。ルツは眼を伏せ、苦い口調で答えた。


天人テングリの炎、とも言うわね。咄嗟に自分で抑えたから、威力は半分よ。いちばん無害な、光と風に変換した。それでも、被害は免れない」

お兄ちゃん?」


 鳩がふるえる声で囁き、マナを仰ぎ見る。マナは、少女の頭を優しく撫でた。

 雉は、すっかり血の気を失っていた。凝然と《星の子》を見詰め、戦場と、交互に視線をはしらせる。もの問いたげな彼に、ルツは説明した。


「私の元いた世界では、生まれながらのテレパス――精神感応能力者は、幼いうちに隔離するの。自分で能力を制御できるようになるまでは。そうしないと、周囲の人間の雑多な感情や思考が常に流れこんで、悪影響を受けてしまう。ひどい心の傷を負い、最悪の場合、自我が崩壊してしまうから」


 ちらりと防壁の外を見て、また悲し気に続けた。


「ロウ(鷲)は、そんな配慮を受けられなかった。だから、自分で能力ちからを抑えたの。あなた(雉)に会ってからは、特にね。暴発するとどうなるか、知ってしまったから」


 雉は口を開き、なにか言おうとしたが言えず、口を閉じた。ルツは首を傾げ、囁いた。


「知っていたのでしょう? ケイ(雉)。鷲は、能力ちからを使っていたわ。いつも、ほんの少し……。私は、制限装置リミッターを外しただけ。これが、彼の本来の能力よ」


 雉は、西の彼方を見遣った。朱に染まった地平に仲間たちの姿を探し、その想いの在処ありかを己の記憶のなかに求める。

 ルツは、再び嘆息した。


「トグリーニの矢を払うだけで良かったのに。一度にこんな能力ちからを使ったら、当分、動けないわよ……。マナ、迎えに行ってくれる?」

「分りました」


 マナは頷き、長杖を掲げた。そうして、かき消すように消えた。

 ルツは、鳩から雉、鷹、オダに視線をめぐらせた。


「私たちも行きましょう。出来るだけのことをしなければね」


 ニーナイ国の少年は、悲痛な面持ちで頷いた。





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