第五章 太陽の少女(2)


             2


 山を下り、赤褐色の砦の東側から入口へ近づいた彼らは、


「何者だ! お前達」


 数十本の剣と槍に囲まれて、立ち尽くす羽目になった。


 鷲の正面に立ったのは、がっしりした体格の中年の男だ。黄金色にきらめく赤毛は綺麗に切りそろえられ、首の後ろで一つに纏められている。鼻の下には、豊かな髭をたくわえていた。元の肌は黄色なのだろうが、陽に焼け、オダ同様の褐色になっている。

 生成りの綿衣の上に、鮮やかな青と黒に染め分けた革製の胸あてをつけ、長槍を提げた姿は、実に堂々としていたが……相手が鷲では、頭ひとつぶんの身長差があった。


 男も驚いたらしい。眼を大きくひらき、鷲を見上げた。


「剣をお収めなさい。セム・ギタ」


 ルツが、杖を手にすすみ出た。微笑をふくむ声に、男は角ばった顎をゆるませた。


「おお、これは失礼いたしました。お前達、退がれ。ここにおわすは、〈黒の山カーラ〉の《星の子》ぞ」


 流暢な南方の公用語だった。交易を行う都合上、あるていど身分あるものは、ニーナイ国とナカツイ国の言葉を操れるらしい。続いて、キイ国の言葉で命じる。

 警戒していた兵士達は、一斉に剣を下げ、或いは槍を立てて後ろに退がった。


 セム・ギタは、両手を大袈裟にひろげ、重々しい鉄甲つきの靴を履いた脚を折りまげた。恭しく一礼し、懐かしげにルツを仰ぎ見る。


「お久しぶりです、《星の子》。先刻、マナ様とクド(ユキヒョウに似た獣)がいらっしゃったので、何事かと思っていたのです。まさか、《星の子》ご自身が降臨なさるとは」

「先触れって、そういうことだったのか」


 雉が、呆れて呟いた。彼をちらりと顧みて、ルツはわらった。


「この者は、リー将軍家に代々つかえる家の者で、セム・ギタといいます。七年前、彼の父親が大病をわずらった際、兄弟五人で父を背負って〈黒の山カーラ〉へ連れて来た、孝行者ですよ」

「覚えていて下さったとは光栄です。お陰さまで、父は元気に暮しております」


 セム・ギタは、ごつい頬を紅らめ、また深々と頭を下げた。灰色がかった水色の瞳が、にっこりと微笑む。

 建物のなかへと案内されながら、ルツは単刀直入にきりだした。


「ギタ。彼等は、私以上の能力ちからを持つ、天人テングリです。リー・ディア将軍に話があって来ました。兄将軍は、どこにいますか?」

「《星の子》以上の能力をお持ちの……天人テングリ、ですか?」


 セム・ギタは怪訝そうに繰り返したが、その目に《星の子》のげんを疑う気配はまったくなかった。


「何事だ? ギタ。」


 彼らが広間に入ると、長めの金赤毛を首の後ろで編んだ青年が、数名の部下を従えて姿を現した。紺色の外套を肩にかけ、白い衣には、緋色の糸で模様が縫いとりされている。凛とした声とともに、クドが、のっそりやってきた。マナもいる。

 クドがごろごろと唸り声をあげてルツに近づき、彼女の足元にすり寄ったので、青年は、青い目をみひらいた。

 セム・ギタが、急いで片方の膝をつく。


殿との

「どこの国の者だ? 見慣れぬ風体だな」


 やはり、言葉に不自由はない。青年は、恐れ気もなく鷲に近づくと、頭のてっぺんから足の先まで、じろじろと眺め透かした。鷲も、かるく驚いた顔になる。


 まず、その若さが意外だった。

 色白で小柄な身体は、少年のようにすら見える。しかし、やはり武人らしく、二の腕や肩についた筋肉は立派だ。長剣を腰に提げ、すらりと立つ。青い瞳は、誇り高く煌めいていた。


「噂にきく天人テングリとは、このような者か? ギタ」

「〈黒の山カーラ〉におわす《星の子》、ルツ様でいらっしゃいます」

「ふむ」


 リー将軍は、好奇に満ちた眼差しで、一行を眺めた。

 ルツは、クドの背を片手で撫で、優雅に一礼した。将軍の視線が、彼女に向く。


なんじが名高い《星の子》か」

「リー・ディア将軍には、ご機嫌うるわしく」

「あまり麗しくはないぞ」


 青年は、歯をみせて嗤った。


「朝寝をクドに叩き起こされては、な。きもが冷えたぞ」

「それは失礼をいたしました」


 ルツの頬にも、不敵な微笑が浮かんだ。


「突然お邪魔をしては申し訳ないと思ったのですが、却ってお気に障ったようですね。申し訳ありません。キイ帝国の鬼将軍にも、恐ろしいものがあったとみえます」

「なに?」


 青年将軍のひとみに光がひらめき、セム・ギタに息を呑ませた。それから彼は、試みに気づき、にやりと唇を歪めた。


「美しい顔をして、恐れを知らぬ者よ。気に入った。噂では、かなりの高齢にもかかわらず若さを保っているのは、不老不死の法を心得ているからと聞くが。まことか?」

「衛生長寿の道はあり。されど、不老不死の法はなし」


 ルツは単調に答えた。瞼が伏せられ、声から感情が消える。

 リー・ディア将軍は、訝しげに首を傾げた。


「だが、汝はそのように生き続けているではないか」

「《星の子》は、この世とあの世の境界に、幻のように漂う者。生きているのではございません。ブテスワラ(幽霊と悪鬼の王、ルドガー神の別名)のおわす〈黒の山カーラ〉でしか、在りえぬ者でございます。羨ましがるなど、なさいますな」

「……分かった」


 若い将軍は、戸惑い気味にうなずいた。


「辛いことを訊いたようだ。許してくれ。われはただ、都に年老いた母を残しているので、母の為に何か出来ぬかと思ったのだ」


 ルツはうすく微笑んだが、オダは項垂れた。


 鷲は胸の前で腕をくみ、重心を左脚にかけた。交渉はルツに任せているので、無言のままだ。実際、口を挟む余地はない。《星の子》がどう話を運ぶつもりなのか、彼らは息をひそめて見守った。


 リー・ディア将軍は、外套をひるがえして踵を返し、上座へと向かった。歩きながら言う。


「今上帝の招きを拒み、〈黒の山カーラ〉で暮している《星の子》が、何故、この粗末な砦を訪れた? 見れば、ニーナイ国の子どももいるようだが」

「将軍に忠告と、お願いがあって参りました」


 ルツの言葉をうけてオダが口を開きかけたが、鷲が、掌で制した。彼女に任せろと、首を振る。

 将軍は、彼らの身振りが気になったようだ。金箔とギョクに飾られた豪華な椅子に腰を下ろして頬杖をつきながら、《星の子》と鷲を見比べた。結局、ルツへ問う。


「何だ」

「その前に、お訊ねします。〈草原の民〉は、昨年からタサム山脈を越え、ニーナイ国へ侵攻をくり返しています。今また、トグルート部(トグリーニのキイ帝国での呼び名)の第十七代盟主トグル・ディオ・バガトルは、万の騎兵を率いてシェル城を陥とし、周辺の民を吸収してしまいました。彼らがタサム山脈を越えるのを、なにゆえ貴国は、手をこまねいて観ておられるのですか?」

「《星の子》は、国境の守り神でもあったな」


 容赦のない指摘を受けて、将軍は、苦虫を噛み潰した。セム・ギタと顔を見合わせ、言いにくそうに応えた。


「我が説明せずとも、知っているであろう。ミナスティア王国が、ニーナイ国の領土を狙っているのだ。ペナ川からリブ=リサ川流域の交易路を。ミナスティア王家と我が国のオン大公家とは、姻戚だ。お陰で、手を出せぬ」


 また新しい情報だった。オダの目がまるくなった。

 ルツは涼しい口調で続けた。


「貴方はよろしいのですか? リー将軍」

「よい訳がない」


 将軍は、忌々しげに舌打ちした。


「オン大公家が根拠地は江南である故、痛くも痒くもなかろうが……。トグルートは我が宿敵だ。ただでさえ、当代のトグル(ディオ・バガトル)は強い」


 セム・ギタが同情顔で主人を見遣り、ルツは、鷲を見上げた。鷲は腕組みをしたまま、片方の眉をもち上げる。

 リー・ディア将軍は、じっとしていられなくなったらしい。椅子から立ち上がると、彼らの前を左右へ往復し始めた。


黒狗くろいぬ(トグル・ディオ・バガトルのこと)め。ニーナイ国の次は、我らを討つつもりであろう。オン大公の謀略に違いない。我ら四将軍を駆逐し、事実上、国の支配者たらんとする……。そうであろう? 《星の子》」


 事前の知識のない鷲たちにも、キイ帝国が一枚岩ではないことが窺える話だった。


 リー将軍が往復する度、鉄製の甲当てのついた靴がガシャガシャ音をたて、鳩は怯えて鷲の背に身をかくした。雉が、そっと少女の手を握る。鷹は息をころし、胸の前で両手を組んで鷲の背を見詰めた。

 マナは、静かにルツの後ろに控えている。


「私は、それを忠告に参ったのです」


 ルツは、天山山脈の氷河のごとく冷静だった。


「御存知でようございました。今トグルートを野放しにされては、春を待たず、将軍は、彼等と大公による挟撃を受けるでしょう。この機を逃してはなりません」

「そして、奴等と全面戦争に突入しろというのか」


 将軍は足を止め、ルツを顧みた。若く整った顔に浮かんだわらいは、ぞっとするほど酷薄だ。佇むルツに、声をひそめて言った。


「《星の子》、我らは莫迦ではないぞ。リバ山脈の北に、トグルートの本隊が――約十万の騎兵がいることくらい承知している」

「そこで、今度はお願いです」


 ルツは嫣然と微笑んだ。将軍の恫喝をそよ風ほどにも感じていない態度に、青年は鼻白んだ。


「砦の西に、〈草原の民〉が来ていることはご存知ですね?」

「ああ」

「あれは巡礼者ではありません。タオ・イルティシ・ゴアの率いる、トグルートの斥候です」


 リー・ディア将軍が息を呑み、セム・ギタの瞳がきらりと光った……ように、観えた。

 ルツは、オダの肩に片手を置き、澄まして続けた。


「勇敢なニーナイ国の少年が、救けを求めて来ました。彼らの所為で、巡礼が滞っています」


 将軍と目が会ったオダは、おずおずと一礼した。

 リー将軍は少年の動作を見てはいなかった。さっと身を翻し、セム・ギタを従えて椅子へ戻る。深い息を吐きながら腰を下ろすと、肘置きに頬杖をつき、どことなく楽しそうに参謀を見遣った。


「どうする、ギタ。口実が、向こうからやって来たぞ」


 セム・ギタは当惑顔になった。若い将軍は、にやりと嘲った。


「《星の子》。この忠義者は、我に諦めさせようと躍起になっていたのだ。トグル・ディオ・バガトルと盟約を結んではどうかと」


 その手があったかと、鷲の片方の眉が、ひょいと跳ねた。隼が、すうっと眼を細める。

 将軍は、投げ出すように脚を組み、背もたれに身を預けた。自嘲気味に唇の隅を吊り上げる。


「窮したりとは言え、我に出来るはずがない。だが、牝狗めすいぬ(タオのこと)が居るとなれば、話は変わる……。タオ・イルティシ・ゴアを生け捕れば、その兄(トグル)にも、オン大公にも顔が立つ」


 セム・ギタは眉尻を下げて黙っていたが、ルツは哂い、わずかに杖を掲げた。


「《星の子》の杖は、貴方と共にありましょう、将軍」

「うむ、期待しておるぞ。それに……天人テングリと言ったか? お前」

ジオウだ」


 鷲は、キイ帝国の言葉でみじかく答えた。目は嘲っていない。上機嫌な将軍に向けた眼差しは、冷淡なほど静かだ。


「素性は知らぬが、お前はまるで、ルドガー神のようだ。戦列に加わってもらいたいが、どうか?」


 鷲の代わりに、ルツが答えた。


「そのつもりでお連れしたのです、将軍」


 毅然と言ってのける《星の子》は、本当に、運命の女神のようだった。鷹には、そう見えた。


「彼等の能力は、戦場で、十二分にお役に立てることでございましょう」

「うむ。ギタ、お前に任せるぞ。よきに計らえ。《星の子》の扱いも、お前の方が心得ておるだろう。それから、その少年を、丁重に持て成してやれ。ニーナイ国の公使として遇するのだ」

「かしこまりました」


 セム・ギタが頭を下げる。将軍は立ち上がると、来た時とおなじく快活な足取りで部屋を出て行った。

 後に残されたセム・ギタは、未だ戸惑う風だったが……やがて心を決め、彼らに向き直った。


「どうぞ、皆様。砦をご案内させて頂きます」



               *


「鷲さん!」


 スー砦は、南北を峻厳な山脈に挟まれた天然の要害だ。東西の沙漠へのびる道は砦内を通過しており、ここを抜けないと、どちらへも行けない。

 セム・ギタにひととおり建物の案内を受けた一行は、二階の一室に案内された。赤茶けた石造りの部屋だ。四角い窓には、透かし彫りの木の扉が嵌っている以外に、装飾はない。


 セム・ギタが退出した途端、オダは、泣きそうな声を上げた。

 窓際に立って外を眺めていた隼が、舌打ちした。


「うるさいぞ、オダ。外に聞こえたらどうする」

「だって、隼さん」


 隼は、じろりと少年を一瞥すると、窓の外へ視線を戻した。

 オダは、雉の上着の袖をつかんだ。


「雉さん。本当に、死んでしまうんですか? あの人」

「おれに言われてもなあ……」

「リー将軍が死なない限り、ニーナイ国を助けられないんですか?」


 雉はよわって隼を見遣ったが、彼女は外を眺め、会話を拒否している。

 ルツはクドの顎を撫でながら、悲しげにオダを見た。少年の顔が歪んだ。


「……方法なら、あるぜ」


 壁に寄りかかって考えこんでいた鷲が、ぼそりと呟いた。オダは、はっと振り返り、縋るように彼を見上げた。

 鷲は、胸の前で腕をくみ、ややぼんやりと天井を眺めていた。


「持久戦にせず、リー・ディアを殺さず、トグリーニと将軍家を戦争にもちこむ方法……。あることは、ある。なあ、隼」

「宗旨がえする気かよ、鷲」


 隼は、陰鬱な苦笑をうかべた。

 鷲は、しずんだ表情のルツに話しかけた。


「敵でない奴を死なせるのは、寝覚めが悪い。ルツ。俺がリー・ディア将軍を斬るのは、やめておく。タオがあいつを斬るのは、勝手だが」


 ルツは、長い睫毛を上下させて瞬きをし、鷲を見返した。

 オダは、鷲がリー将軍を斬るつもりだったと知り、息を呑んだ。彼は少年の反応には頓着せず、隼に告げた。


「タオを斬らなきゃならないな、隼」

「そいつは、あたしに任せてくれ」


 隼が、静かに囁く。

 ルツは、血の気のうせたしろい瞼を伏せた。

 隼は、決意をこめてくり返した。


「タオは、あたしの敵だ」


 鷲は、ひとつ頷いた。


「雉とルツは砦に居て、負傷者の手当てをしてくれ。鷹と鳩は、その手伝い。オダも、ここにいろ」

「でも、鷲さん」


 ルツは頷いたが、オダは不満そうだった。鷲は、ふっと嘲った。


「ニーナイ国の公使が、戦う必要はないだろう?」

「僕は――」

「オダ」


 隼は、細い銀の髪をかき上げ、じろりと紺碧色の瞳を動かした。目にも唇にも、笑いはない。


「前みたいに、ちょろちょろされたら困る。ここにいろ」


 以前、ニーナイ国の母子を助けようとしてオダを庇った隼は、傷を負っている。少年は、しょんぼり肩を落とした。鳩が、慰めるように歩み寄る。

 ルツが、すうっと眼を細めた。立ち上がり、隼に何事かを言いかける。


 しかし、その時、扉を叩いて、セム・ギタが顔をのぞかせた。


「ルツ様。鷲殿も、評議の場においで頂けますか?」


 鷲は、にやりと唇を歪めると、長身を揺らして歩き出した。彼が動くたびにセム・ギタが眼を丸くするのを、面白そうに見下ろす。腰の長剣を確かめ、部屋を出る。

 隼が続いた。ルツは、他の者に部屋にいるよう言い置いて行った。

 残された鷹と雉、鳩とオダ、マナは、互いの顔を見合わせたものの、待つ以外に出来ることはなにもなかった。





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