第五章 太陽の少女

第五章 太陽の少女(1)


             1


 乾いた風の吹きぬける谷に、剣戟の音が響く。夕暮れの薄紫色の空に、短い掛け声がこだまする。何度目かの刺突をかわされた隼は、剣のきっ先を下げて息をついた。

 鷲は、片手に抜き身の剣を持ち、ゆらりと立っている。冷静な表情は変わらない。

 隼は、ふと苦笑を浮かべると、唇をむすび、身体の横に剣をかまえた(注1)。


 その様子を鷹は、マナと一緒にお茶を淹れながら眺めていた。雉は、チャパティ(薄焼きパン)を焼いている。オダと鳩は、天幕の準備をしていた。

 〈黒の山カーラ〉の巡礼路を、彼らは北へ向かって下っている。エツイン=ゴルからゆずり受けた二頭の馬と、一頭の毛長牛ヤク、クド(ユキヒョウに似た獣)も一緒だ。毛長牛は、《星の子》が乗るためのものだ。

 クドは、姿をあらわしたり隠したり、つかず離れずついて来ていた。食べ物は自分で調達しているらしい。


 ニーナイ国側から登ったときより、道はなだらかだ。しかし、峰を背に北へ向かうせいか、陽の暮れるのが早い。日差しが陰ると、凍るような寒さが押し寄せてくるので、すぐ野営の支度をしなければならなかった。


「出来たぞ。食事にしよう」


 夕食の準備がととのうと、雉が、鷲と隼に声をかけた。二人が剣を収めて戻ってくる。オダと鳩も、いそいそとやって来た。一行は火を囲んで車座になり、鷹は、マナと一緒にお茶をくばった。

 チャパティ(薄焼きパン)やツアンパ(麦焦がし)、干肉と青菜と豆のダル(スープ)など、質素だが温かな食事が始まった。


 食べおえて一息つくと、《星の子》の講義がはじまる。主に、オダ少年に教えるためだ。


「根本的な認識の違いから、説明しましょうか」


 牛酪バターを入れたお茶を飲んでほっと微笑んだ《星の子》だったが、喋る口調は、どこか辛辣だ。オダは、ごくりと唾をのんで身構える。

 ルツは、細い小枝を一本、目の前の地面に置いた。


「この枝の、先の方がエルゾ山脈、根本の方がタハト山脈とするわね。真ん中に〈黒の山カーラ〉がある」


 もう一本、ほぼ同じ太さと長さの枝を、すこし離して並べた。


「こちらが、タサム山脈とリバ山脈――〈草原の民〉は、天山テンシャンと呼ぶわ。オダ。あなた達にとって、国境はどちら?」


 少年は即答した。


「タサム=リバ山脈です。ニーナイ国のシェル城は、エルゾ山脈の北、タサム山脈の南にあります。リバ山脈の方は、キイ帝国と奴らの国境ですね。長城チャンチェンがあるはずです」


 《星の子》は、音のない溜息をついた。


「それが、あなた達の認識……キイ帝国も。〈草原の民〉の守るいにしえの取り決めでは、ニーナイ国との境はエルゾ山脈、キイ帝国とはタハト山脈、なのよ」


 オダは、一瞬、反論したそうな素振りをしたが、それに耐え、じっと《星の子》を見詰めた。

 鷲と隼も、集中して聴いている。


「彼ら(草原の民)にとっては、あなた達の方こそ侵略者なのよ」

「僕らは、軍隊をもっていません」


 少年は、硬い口調でこたえた。膝の上に置いた手を、握りしめながら。


「武器がないとまでは言いませんが、戦い慣れているわけではありません。〈草原の民〉の家を壊し、家畜を殺して土地を奪ったわけでは、ない、はずです」

「……武器を手に攻めるだけが、侵略ではないのよ」


 ルツは、抑揚を抑えた声で続けた。


「むしろ、戦いとは関係のない人々が 暮らしていることこそ、脅威になる場合がある」

「だからと言って、」


 オダは、自分を抑えようと息を吸い込んだが、上手くいかなかった。喘ぐように言葉を継ぐ。


「街を壊し、畑に火を放っていいという理屈はないでしょう。無抵抗の人々を殺害し、女性や子ども達をさらう――そこに、どんな正義があるというんですか」

「彼らの遣り方が正しいと、言うつもりはないわ」


 ルツは瞼を伏せ、すっと背を起こした。優しくはあるが、決して情に流されない理知的な口調だ。


「でも、オダ。あなた達が正しいわけではない……。考えて欲しいのよ、次世代を担うあなたには。彼らの事情を理解しなければ、争いは永遠に終わらないわ」


 少年は、唇を噛んで項垂れたが、答えられなかった。

 鷲も以前、似たようなことを言っていたと思いだし、鷹は彼を見遣った。鷲は、無精髭の生えかけた顎に指をあてて考えている。地面に置かれた二本の枝を眺めながら、訊ねた。


「あんたが仲裁するわけにいかないのか? ルツ。いにしえの……とやらを決めた当時は、この辺りは平和だったんだろ?」


 《星の子》は、ゆっくり首を横に振った。


「私は、それほど大きな権限を与えられていないのよ。〈黒の山カーラ〉はただの聖地で、そこに居るだけ……。なにより、私は当事者ではないわ。誰と誰が戦おうと、痛くも痒くもない。そんな者が言うことを、〈草原の民〉もキイ帝国も、認めてはくれない」


 魂を吸いこみそうな黒い瞳に、少年を映した。


「ニーナイ国を守るのは、ニーナイの民でなければ……。人間の感情は、鏡のようなもの。敵意を向ければ、相手も敵意を返してくるのよ」

「それは、解ります。でも……」


 オダの声は、苦悩に濁った。

 ルツは溜息をついた。沈黙が降りる。少年には重すぎる課題だと、誰もが認識していた。


 ふと、隼が口を開いた。剣を抜き、革砥かわとを使って砥ぎながら。


「ルツ。リー将軍ってのは、どんな奴だ? 知っているんだろう?」


 話題が換わり、空気が変わった。オダが、ほっと息をつく。

 ルツは、幽かに苦笑した。


「私が直接知っているのは、父親の方だけど……。キイ帝国の国境を護る、四将軍のひとり。妹とともに、西域を守護しているわ。トグリーニ族とは、因縁のふかい兄妹よ」

「因縁?」


 隼は、柳眉をかるくひそめ、《星の子》を顧みた。ルツは、干した桃の実を口へはこび、記憶をたどる口調になった。


「十年くらい前だったかしら。今のリー・ディア将軍の祖父のリー・タイク将軍が、当時のトグリーニ族長トロゴルチン・バヤンを殺したの。タァハル部族と共謀してバヤンを捕らえ、ルーズトリア(キイ帝国の首都)へ運び、遺体をばらばらにして河へ投げ捨てた」


 鳩が悲鳴を呑み、雉は顔をしかめた。隼と鷲は、表情を変えていない。

 ルツは平然と、牛酪バター茶をひとくち飲んでつづけた。


「トロゴルチン・バヤンは部族の盟主でもあったから、大騒ぎになったわ。トグリーニ部族の中で、内乱が始まったの。勿論、リー・タイク将軍は、それを狙っていたのだけどね……。バヤンの息子のメルゲン・バガトルが殺されて、さらに息子のディオが、後を継いだわ。現在の族長トグル・ディオ・バガトルよ」


 マナが、鳩にお茶と干果を手渡し、少女はすこし落ち着いた。オダは、頬をこわばらせている。

 ルツは、彼らの表情を確かめて続けた。


「部族の内乱を収めたディオは、復讐を開始した。リー・タイクを殺し、その息子も殺したので、孫のリー・ディアが将軍になった……。つまり、トグリーニ族とリー将軍家は、互いに仇同士なのよ。不倶戴天のね」


 隼は、剣を研ぐ手をとめ、首を傾げた。


「タァハル族は、トグリーニ族と同じ〈草原の民〉じゃなかったっけ?」

「そうよ、西方のね。部族が違うの」


 ルツは肩をすくめた。やりきれない、と言うように。


「〈草原の民〉は父系氏族制で、血縁のある氏族が集まって部族をつくる社会よ。大きな部族は三つ、西からタァハル部族、トグリーニ部族、ハル・クアラ部族。各々がいがみ合ったり、同盟を結んだりしているわ。キイ帝国は、いつもそこに干渉するの。彼らが強くなり過ぎないように」


 言葉を切ってしばし考え、ルツは、独り言のようにつぶやいた。


「彼らは似ているわ……トグル兄妹と、リー兄妹。境遇も、年齢も……。ただ、性格は全く違う。そこが、リー・ディアの弱点になるのでしょうね」


 オダは蒼ざめ、隼は、鷲と顔を見合わせた。『リー・ディア将軍が死ぬ』 という彼女の予知を、思い出したのだ。

 ルツはお茶を飲み干すと、宵闇の彼方に視線をむけ、そのまま、しばらく考え込んだ。



 日が沈むと、辺りは濃紺の天鵞絨ビロードのようにしなやかな闇に包まれた。白い息をはく子ども達を天幕へ追いやり、ルツは、今度は雉に講義をはじめた。能力ちからをうまく使うために必要な知識だ。

 鷹に先に休むよう促し、鷲と隼も、興味津々で話を聴いている。

 マナと鳩とともに天幕に入りながら、鷹は、彼らの様子を窺った。《星の子》の話を自分も聴きたいが、理解できないかもしれない。何より、彼らの邪魔をしてはいけない、と思う……。


「気になりますか?」


 マナが囁く。彼女は、毛布にくるんだ鳩の身体を優しくたたき、少女を寝かしつけていた。母親らしい気遣いをみせる彼女に、鳩も気をゆるしている。安心できるのだろう。

 マナは、謎めいた微笑みをみせた。


「ルツにとって鷲殿は、孫のようなものですよ」

「え……孫、ですか?」


 内心ドキリとしながら鷹が問うと、マナは肯いた。


「ちょうど、そのくらいの年齢差です。久しぶりに 『そっくりさん』 に会えて、喜んでいるだけですよ。大丈夫……彼は、あなたのことを想っています」


 鼓動が速くなってきた。鷹は、自分の胸を手でおさえ、息を殺した。鳩は、たしかに眠っているらしい。

 マナは、珍しく、ふふと声を出して哂った。


「あなたと、この子達の安全をどう確保するか、悩んでいます。その為に、私は来たのですけれど。あなた達に危険が及ぶようなことになれば、私が、〈黒の山カーラ〉へ連れて帰ります」


 そういう意味かと息を継いだ鷹だったが、マナは、不意うちの如く言ってのけた。


「無口なのは、本気になったから。男って、そういうものですよ……」



               *



 などという遣り取りを行いながら巡礼路を下り、スー砦の観える場所にたどり着いたのは、神殿を発って四日目の朝だった。


 荒涼とした大地に横たわる、二匹の龍――タサム=リバと、エルゾ=タハトの山並みが、南北から迫って腹をぶつける。キイ帝国とニーナイ国をむすぶ交易路が通る谷間に、石をつんで造られた四角い砦が建っていた。周囲をかこむ防壁から、長城が、リバ山脈へと伸びている。雪におおわれた尾根つたいに、点々と烽火台ほうかだい(注2)が並んでいた。

 西も東も、草木は殆ど生えていない。耕作を放棄された赤褐色と黄灰色の土地が、どこまでも続いている。

 砦をみおろして佇む彼らのなかから、マナがすすみ出た。母親(ルツ)に一礼し、


「先触れをいたしましょう」

「お願いするわ」


 ルツが頷くと、マナは面をあげ、ひゅっと歯を鳴らした。クド(ユキヒョウに似た獣)がまた影のごとく現れ、駆けてくる。ルツの足元に身をすりよせてから、マナに顎を撫でられて喉を鳴らした。

 マナは、緊張している子どもたちに柔和な微笑みを向けると、長杖を手に踵を返した。クドが並んで歩きだす。そのすがたが陽炎のごとく揺らめき、ひとまばたきの間に、かき消えた。


「それほど遠くへ行けるわけではないけれど、」


 明るいところでマナが跳ぶのを観るのは初めてだ。驚いている一同に、ルツは説明した。


「目に観えるところや、良く知っている場所へなら、移動できるの。跳ぶと言うより、置き換えね。移動先にある空気と、自分の身体を入れ替えている、という感じかしら」


 雉は、彼女の言葉を理解しようと首を傾げた。隼は横を向き、敢えて聞き流している。

 ルツは鷲を見上げ、西の方角をゆびさした。


「……来ているわよ。観える?」


 そちらを見遣った一行は、タハト山脈の雪峰がせまる低い丘陵のふもとに、小さな黒い影がいくつか散っているのを見つけた。人の手をこばむ風景のなか、誰かがこぼした墨のようだ。

 鷲は呟いた。


「タオ、か?」


 ルツは肯いた。


「〈草原の民〉が〈黒の山カーラ〉へ向かう巡礼路なの。平素は、キイ帝国は手を出さないわ。トグリーニが来ていると知れば、変わるでしょうね」


 鷲は、無言で彼女を見た。ルツは、頭巾で長い髪をおおった。


「行きましょう。そろそろ、迎える準備をしてくれているはずよ」







―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

(注1)横に剣を構える: 一般的な『剣道』では、上段か下段の構えが基本で、身体の横に構えることはしない。隼、鷲の剣術は、実戦重視。

(注2)烽火台: 敵の襲来を報せる狼煙を焚くための、兵士の詰め所


*リー将軍家とトグリーニ族の抗争については、外伝 『狼の唄の伝説』 をご参照下さい。


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