第四章 星の子(6)
6
翌朝、回復したイエ=オリを含む一行は、普段の衣服に着替え、旅装をととのえて集まった。今日から〈
〈
「一緒に来て下さるんですか?」
当然のような顔をしている鷲と隼に、オダが訊ねると、鷲は苦笑し、隼は唇をむすんだ。
「ニーナイが安全にならないうちは、帰れないだろ」
「あたしは、タオと約束した」
隼は、腰に剣を佩き、他人事のように言った。
「今度会ったら、決着をつける。逃げるわけにはいかない」
オダは不安げに彼らを見上げていたが、小さく 「ありがとうございます」 と呟いた。
鷹は混乱していた。あれから、鷲と話をしていない。とてもではないが、まともに顔を合わせられない。
昨夜、彼は、彼女に『諦めて欲しくない』と言ったが、今朝は違うかもしれない。今度こそ、ほんとうに呆れられ、愛想を尽かされたかもしれない。
怖い。自分は、彼らと一緒にいていいのだろうか……。問うことも出来ず、項垂れていた。
「仕度が出来ましたか? 皆さん」
マナがやって来て、変わらぬ落ち着いた声をかけた。出会った時と同じ濃紺の毛織りの
扉の隙間から、クド(ユキヒョウに似た獣)がするりと部屋に入って来る。足音をさせることなく長椅子へと走り、重ねた枕の上に跳び乗った。
《星の子》は、ナカツイ王国の商人に声をかけた。
「彼等を連れてきて下さって有難う、エツイン=ゴル。オダ、あなたの国は救かりますよ」
「本当ですか?」
思わず声をあげ、少年はうろたえた。《星の子》は、みる者を魅了する艶やかな微笑をうかべた。
「私も、あなたと一緒にスー砦へ行きましょう」
「え? でも――」
中立を保たなければならないと、言っていたのに。オダは口ごもり、鷲は片方の眉を軽くもち上げた。
エツイン=ゴルが、代表して訊ねた。
「宜しいのですか? 山を降りられても」
《星の子》は、微笑みながら頷いた。
「エツイン=ゴル。あなたに頼みがあります」
「何でしょう?」
「手紙を届けて欲しいのです」
《星の子》は、懐から白い物をとりだした。珍しいキイ国製の紙だ。エツインは、こわごわ受けとった。
「ラオスに居る、リー・ヴィニガ女将軍に宛てたものです」
聴いている鷲の眼が、すうっと細くなった。胸の前で腕組みをしている彼に、《星の子》は、やや憂いを含んだ眼差しを向けた。
「あの娘に、兄将軍の命数が尽きると教えてやらなければなりません。私が介入する以上、そうしなければ不公平というものでしょう」
オダが息を呑み、エツイン=ゴルは眼をまるくして手紙を観た。
《星の子》は、少年に頷いてみせた。
「リー家の兵力では、トグリーニに敵いません。また、キイ帝国のオン大公家とミナスティア王家の間には、〈草原の民〉の侵攻に対し、邪魔をしないという盟約があります。その同盟に背いて、戦うのです」
「え?」
少年の動揺にかまわず、《星の子》は続けた。
「リー将軍が命を落とせば、トグル・ディオ・バガトル(トグリーニ族長)は、ニーナイ国への侵攻を続けられなくなります。妹(タオ)を援けるために引き返して来るはず……。女将軍(リー・ヴィニガ)に、砦に来てもらわなければ」
ニーナイ国を救うためにリー将軍が死ぬと聴いて、オダは蒼ざめた。
鷲は、ゆらりと重心を右脚へ移した。同じ方向へ首を傾げ、
「それは、予知か?」
《星の子》は、肯いた。注意ぶかく聴いている一同に、説明する。
「私の予知は、時の流れに顔を突っ込んで、手さぐりで事象をとりだすようなもの。未来は刻一刻と変化するから、変わり得ない、大きな事柄しか掬えない。――途中経過は分からない。結末しか
緊張した面持ちのエツイン=ゴルに、あわく微笑んだ。
「エツイン=ゴル、あなたは当分死なないと分かっているけれど……。もし、私が 『あなたはナカツイ王国に還ったら死ぬ』 と予言したら、どうするかしら?」
「帰国を遅らせるでしょうなあ。ミナスティア王国を目指すかもしれません」
エツイン=ゴルは、指先で口髭をこすりながら答えた。《星の子》は、即座にうなずいた。
「では、あなたは途中で雪崩れに巻き込まれて死ぬでしょう。盗賊に襲われるかもしれないし、川の氾濫に呑まれるかもしれない……。どうあれ、死という未来からは逃れられない。そういう予知なのよ」
商人のふくよかな頬がひきつったので、《星の子》はくすりと哂い、付け加えた。
「今のは例えだから、安心して。あなたは、無事に家に帰れるわ」
「判りました」
エツイン=ゴルは溜息をつくと、手紙を懐にしまった。衣の上から片手でそれをおさえ、一礼する。
「このような大事を私めにお命じ下さり、光栄です。必ず、女将軍にお渡しします」
「本人に手渡す必要はありませんよ。衛士に私からだと言えば、届けてくれます。……オダ。これは遠謀などではありません」
唇を噛んでいる少年に、《星の子》は、優しく言った。
「トグリーニ族があなたの国へ攻め入った時から、こうなると決まっていました。あなたも私も、運命の駒に過ぎないのですから、気に病むことはありません」
「そういうもの……なんですか」
オダは、釈然としない様子で呟いた。《星の子》は微笑んだが、鷹はその笑みを
決して外れない未来を
鷲も、似たようなことを考えたのかもしれない。腰にしがみついている少女の頭を撫でながら、やや苦い口調で話しかけた。
「ルツ。鷹の記憶は、仕方がないと解った。鳩のことは、分からないか? 故郷はどこか」
《星の子》は二人に向き直った。
彼女は鳩をみて、かるく眼を細めた。
「タハト山脈より南で生まれた、黒髪の子……」
呟き、何故かその目が鷹を見た。鷹は息を詰めたが、《星の子》は、考えをめぐらせているだけのようだった。鷲を見上げ、息をつく。
「……私より、彼らに訊く方がいいかもしれないわ。〈草原の民〉に」
鷲は、返事の代わりに、一方の眉を持ち上げた。
《星の子》は、ゆっくり首を横に振った。
「私は、こちらへ来てたかが四十年だけれど、〈草原の民〉には、五百年以上の歴史がある。
「混血ということは?」
「あり得ないわ」
《星の子》は、きっぱり断言した。
隼は、首を傾げた。
「タオが、そんなご大層なことを識っているようには見えなかったけど」
「あの
《星の子》は、悪戯好きな近所の子どもの噂をするように笑った。
「本当に重要なことは、口頭で伝えているのよ。歴代の氏族長と、
「どうして」
「私たち、これから彼らに喧嘩を売りに行くのよ」
さらりと言われて、隼は苦い顔になった。「そういえば、そうだった」と独りごつ。
鷹は、鷲の上着を掴んでいる鳩が、思い詰めた表情をしていることが気になった。少女は、小声で言った。
「どこへも行かないよ、はと……。お兄ちゃんと、一緒にいる」
それは本当にかすかな呟きだったので、聴いたのは近くに居た者だけだったろう。鷹は、胸を衝かれた心地がした。
鷲は無言で、少女の肩をぽんぽんと叩くと、片手を彼女の頭に載せた。柔らかな黒髪を、くしゃっと掻き撫でる。
《星の子》は微笑を呑むと、滑らかな声でエツインを促した。
「では、お願いしますよ、エツイン=ゴル。幸運を祈ります」
「有難うございます」
エツイン=ゴルは、仲間とともに《星の子》に深々と頭を下げると、歩き出した。鷲たちに、軽く手を挙げて挨拶する。鷲は、右手を振り返した。
イエ=オリが、突然、雉にがばと抱きついた。
「ありがとうな、ケイ、本当に……。トール(ナカツイ王国の首都)に来てくれよ。一緒に飲もう」
「……ああ。気をつけて」
雉は驚いて瞬きをくり返したが、ぎこちなく笑うと、イエ=オリの肩を叩き、手を握って応えた。カールヴァーン(隊商)の仲間たちが部屋を出ていくのを見送り、しばしの間、考える。
やがて、雉は、《星の子》に向き直った。
「ルツ。一緒に来るのなら、教えてくれないか」
《星の子》は、ゆっくりと瞬きをした。彼の気持ちを知っているかのように、黙って待つ。
雉は、イエ=オリに握られた己が掌を見下ろした。
「……せっかく使えるようになったんだ。おれは、おれの
《星の子》は、ふわりと微笑んだ。どこか満足げな微笑みだった。
「あなたには薬理の知識がすでにあるから、難しくはないわ。そうね……解剖と免疫学の知識は、あった方がいいかしら。衛生学、内科診断学、医動物学、感染症学は、おさえておかないと――」
ぶつぶつと呪文を唱えはじめた《星の子》を、雉をはじめ一同は、ぞっとしない面持ちで眺めた。マナが、咳ばらいをする。我に返った《星の子》は、挑むように雉をみた。
「熱心な生徒は歓迎よ。私に教えられることなら、喜んで」
「……よろしく」
自分はいったい何を教えられることになるのだろうと、俄に不安を露わにしながら、雉は頷いた。
《星の子》は面を上げ、一同を見渡すと――鷲に向け、晴れやかに言った。
「〈
鷲は無言で、表情を変えずに彼女を見下ろした。《星の子》は、オダに頷いてみせた。
「行きましょう。トグリーニの軍がシニュー(ニーナイ国のオアシス都市)へ着く前に、状況を変える役目が、私たちにはあるのよ」
「はい」
オダは、決意をこめて応えた。
《星の子》が身を翻し、部屋を出る。オダと、隼が続いた。鳩はちょっと躊躇する様子だったが、鷲に促され、雉と並んで歩きだした。
鷲は、荷物の入った袋を肩に掛け、鷹を待っていた。戸惑う彼女に、身振りで先に行くよう促す。鷹は緊張したが、彼の瞳は穏やかだった。
マナにも促され、鷹は、ぎくしゃくと足を踏みだした。鷲が隣に並ぶ。声をかけることはなかったが、その気配は優しい……。
最後に、クドがのっそり身を起こし、両の前脚をつっぱって大きく伸びをした。鋭い牙をむき出して、欠伸をする。扉を開けて待っているマナの足元をすり抜けると、やはり音をたてることなく、人間たちの後を追って行った。
~第五章へ~
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