第四章 星の子

第四章 星の子(1)


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 エツイン=ゴルとナカツイ王国の商人たちが、あたふたと跪いた。オダも、一拍遅れて膝をつく。鳩は、ますます鷲にしがみついた。


「どうかしましたか?」


 《星の子》は、軽く首を傾げた。銀の鈴をふる声が、心地よく響く。しかし、誰も答えられなかった。

 鷲が、掠れた声で訊ねた。


「あんたが、《星の子》か。本当に?」

『そうです』


 彼女は口を閉じ、念話ねんわで応えた。エツイン=ゴルとオダが、額を床にこすりつける。

 彼女は、鷲を真っすぐ見た。


『そう呼ばれているのは、私です。証拠を見せろと言われても、困るけれど。ここでは、ルツで結構。そう呼んで頂戴』


 鷲は、頭痛がするかのように顔をしかめ、彼女から視線を逸らした。


「……分かったから、普通に話してくれ。俺は、こいつが苦手だ……」


 ルツは、フフッとわらった。どことなく、悪戯めいた笑みだった。

 彼女は、跪くエツイン達に近づくと、腰をかがめた。


「どうぞ、面をあげて下さい。私は、あなた方にそんなことをされるような者ではありません」

「は、はい?」


 商人たちがおそるおそる見上げると、ルツは、にこりと微笑んだ。それから身を起こし、改めて一行を眺めた。


「到着したばかりで、疲れているでしょう。食事にしましょうよ。せっかくのお料理が、冷めてしまうわ」


 そう言うと、ルツは、長椅子に陣取っているクド(ユキヒョウに似た獣)の隣に、平然と腰を下ろした。

 マナが、となり合う小部屋から椅子を運んでくる。オダと雉が手伝った。まだ寝台から動けないイエ=オリのために、仲間の商人たちがお茶と料理を運んだ。

 一行は、戸惑い気味に顔を見合わせつつ、椅子に坐った。鷲はルツの向かいだが、鳩が引っ張るために、彼女から最も離れていた。少女は彼の上着の裾を腰帯ベルトからすっかり引き出してしまったので、鷲は、片手でそれを直さなければならなかった。

 オダが、澄まし顔でお茶を飲んでいる《星の子》に、おずおずと話かけた。


「はじめまして。僕、わ、わたしはニーナイ国のラーダ(神官)の息子で、オダと言います。あの……《星の子》は、マナさんの娘さん、ですか?」


 ルツはぱっと面を輝かせたが、マナが訂正した。


「いえ。私が、ルツの娘です」


 ルツは、陶器の器を手にしたまま、ぷくっと頬を膨らませた。


「せっかく誤解してくれたのに……」

「冗談はやめて下さい。誤解だと分っていて、何が嬉しいのですか。母様かあさま、孫がもう嫁入りしようというのに、ですよ」


 わざとらしく拗ねる《星の子》に、一同は当惑した。マナは軽く息を吐くと、説明した。


「母は、この地へ降臨してから、歳をとっていないのです。私は、母の年齢を追い越しました。間もなく、私の子ども達が追いつきます」


 ルツとマナ以外の全員の視線が、《星の子》に集中する。オダは、ごくりと唾を飲んだ。


「降臨? ……時が、止まっている? そんなことがあるのですか」

「だから、《星の子》と呼ばれるの」


 マナに代わり、ルツが答えた。眼を半ば伏せ、桃色の唇の端を、うすく歪めている。


「確かに、私は、そらから墜ちて来たのよ……。老いない理由は、分からないわ。そうね――」


 他人事のように言うと、片手を伸ばし、クドの頭を撫でた。猛獣の顎を掻いて注意を惹くと、しつこい仕草で前脚を弄び……爪で、掌を傷つけた。一瞬、頬をひきつらせる。

 息を呑むオダの眼前に、ルツは、血のにじむ掌をさし出した。その傷口が、白く輝き……血がとまり、瞬く間に消えるのを、一同は凝然と見守った。

 鳩が、ぶるりと身をふるわせて、鷲の腕にしがみつく。鷲は眉間に皺を刻んでいるものの、表情は変えていない。

 傷の消えた己の掌を眺め、ルツは続けた。


「斬れども斬れず、突けども死なない――私のことを、『生ける屍』と言う人もいるわ。『中宇バルドに在る者(注*)』とも」


 怯えている鳩に、微笑みかける。


「私たちの能力は、己の生命エネルギーを変換して物理空間に働きかけるものだから、若返りは不可能……。これは、私の能力ちからではないのよ。おそらく、時空の位相が少しずれているのでしょう」


 ルツは、自分の言葉が彼らに理解されていないのを察し、くすりと哂った。夜空の瞳で雉をみて、囁く。


「ケイ(雉の本名)には、解るわね」


 雉は、居心地悪そうに身じろぎをした。ルツは、声の大きさを元に戻した。


「他に、違いはないのよ。空腹や熱は感じるし、痛みや疲労もあるわ。他人ひとの心の痛みには、鈍くなっているけれど」

母様かあさま


 マナが、眉根を寄せて窘める。しかし、ルツは笑っただけだった。

 また遠雷が鳴った。雨風が、木戸を叩く音がする。戸外にいては凍死しかねないが、部屋のなかは暖かい。

 マナが、鳩のためにお茶とチャパティ(薄焼きパン)と、干した果物を持ってきてくれた。鳩は、鷲の上着を握りしめていた手をようやく離し、それらを受け取った。

 年長者のエツイン=ゴルが、あわてて言った。


「これは。自己紹介もせず、失礼を」

「構いませんよ、エツイン=ゴル。知っています」


 ルツは、ゆったりと微笑んだ。名乗る前に呼ばれたナカツイ国の商人は、青い目をみひらいた。

 牛酪バターの入ったお茶の器を持ちながら、《星の子》は、ひとりひとり彼らの名を呼んでみせ、最後には、敢えてこう言った。


「シュン(隼の本名)と、ロウ(鷲の本名)。それに、あなたは……《鷹》と、呼べばいいのね」


 隼がギクリとし、鷲の眼がわずかに大きくなった。鷹は、思いがけず二人の真の名を知るとともに――東方ヒルディアの民の名を人前で呼ぶことは、もしかして、かなり失礼なのかもしれない、と思った。明らかに、二人の雰囲気が硬化したのだ。警戒している……敵意をふくむ沈黙に、鷹は、背筋がざわめいた。

 ルツは(わざとだと、鷹にも理解できた)、挑戦的に唇の端を吊り上げると、お茶を飲み干した。

 エツイン=ゴルは、感嘆をこめて言った。


「いや、驚きました。私たちのここへ来た目的も、お見通しなのですか?」

「だいたいのところは」


 身振りで食事を促して、ルツは応じた。


「あなたの目的は達せられたわね、エツイン=ゴル。明日、イエ=オリの管を抜去します。傷口を塞いだら、動いていいわよ。明後日には、山を下りられるでしょう」

「ありがとうございます。助かりました」


 ルツは、眼を細めて続けた。


「表につないだ二頭の馬は、草原のものね。あれは、置いて行って頂戴。タハト山脈より南へは行けない。決まりなの」

「馬もですか?」


 思わず声をあげたオダに、ルツは肯いた。理由の説明はなかったが、黒い瞳は真摯だった。

 エツイン=ゴルは、気前よく承諾した。


「御礼と思えば、安いものです。お使い下さい」

「ありがとう」


 オダは、膝の上にのせた両の拳に力をこめ、意を決して問いかけた。


「僕らの願いも、ご存知ですか?」


 ルツは首を傾けたが、表情は変えなかった。沈黙に促され、少年は唾を飲みこんだ。


「ニーナイ国は、〈草原の民〉による襲撃を受けています。去年はタァハル族に、今年はトグリーニ族に……。先日、エルゾ山脈の北にあるシェル城が落とされました」

「聞いているわ」


 ルツは、わずかに唇を歪め、囁いた。


「彼らも、生きていかなければならないから……」

「お願いです。ニーナイ国を救うため、御力をお貸しください」


 少年は、晴れた空色の瞳で彼女を見詰めた。


「スー砦に駐屯するリー将軍に、お取次ぎを。キイ帝国に、援軍を依頼したいのです。」


 これを聴くと、《星の子》はしばし瞑目し、考えた。静かな表情は変わらなかったが、やがて呟いた声には、憐みの響きがあった。


「人材がないとはいえ、ラーダ(神官)も酷なこと……。子どもに、こんな役目を与えるなんて」

「数え十四になります。子どもではない、と思っています」

「そう?」


 気を張る少年に、ルツはうすく微笑んだ。ひとみは、全く笑っていない。


「では、承知しているのね。ニーナイ国を守るために、リー将軍にトグリーニ族と戦ってもらう。その結果、何千人のキイ帝国の若者が、死ぬことになるのかを」

「……え?」


 オダは絶句し、眼をみひらいた。日焼けした頬から、血の気がひいていく。

 干し肉をかじりながら会話を聴いていた隼が、ななめ後方から少年に声をかけた。


「ラーダは知っていたと思うよ、オダ。援軍を頼む、意味を」

「でっ、だって。では――」


 少年は動揺した。隼を振り返り、鷲を見て、改めて《星の子》に訴える。


「――祖国が滅ぼされるのを、黙って観ていろと仰るんですか?」

「あら。ディオ(トグリーニ族長)は、ニーナイ国を滅ぼすつもりはないはずよ。そんなことをしても、益がないわ」

「嵐のようなものだから、通り過ぎるのを待て、と? その間に、どれだけの人が殺されてしまうと。」

「……どこで掛け違えてしまったのか、私には判らないけれど」


 ルツは眼をすがめ、なだめる口調で言った。


「トグリーニ族は、いにしえの取り決めに従っているだけと思うわ。タァハル族もそう。エルゾ山脈以北、タハト山脈より北は、彼らの領域、という。ニーナイ国は緩衝地帯なのよ、ミナスティア王国にとっては」

「……どういう意味ですか?」


 オダは混乱し、眉間に皺を刻んだ。ルツは嘆息し、自分の代わりに説明してくれる者を求めて周囲を見渡したが、誰もいないと悟ると、肩をすくめた。


「キイ帝国とミナスティア王国の間には、盟約があるのよ。〈草原の民〉のニーナイ国への侵略に対し、手を出さない、という」

「なんですと?」


 一同がざわめいた。オダは言葉をなくし、代わりにエツイン=ゴルが訊き返す。《星の子》は、気の毒そうにうなずいた。


「遊牧民が生存を賭けて襲撃を繰り返すのを、容認しているの。邪魔をすれば、次に攻められるのは、自分たちだから……。リー将軍が挙兵すれば、国の盟約に背くことになる」


 オダは項垂れ、唇を噛んだ。ルツは眉を曇らせ、厳然と言った。


「〈黒の山カーラ〉は中立……。ここが聖地でいられるのは、四か国――草原とキイ帝国、ナカツイ王国、ニーナイ国――が境を接する、それぞれの信仰上の要地で、巡礼と情報が集まるから。キイ帝国の皇帝、ナカツイ王家、〈草原の民〉の族長たちすら、ここを訪れるわ。《星の子》は、中立を保たなければならないのよ」


 眼を閉じてことばを続けながら、口調は、彼女自身へ言い聞かせるものへと変化していた。


「見知らぬ他人のために生命をして戦うのは、困難。……己のため、ならば。自分たちの生存と安全が懸かっていると知れば、戦うかしら――」

「母様」


 マナが囁きかけ、ルツは、詞を切って瞼を開けた。少年から鷲へと視線を移し、疲れた微笑みを浮かべた。


「――続きは、明日にしましょう。巡礼と病者の手当てを済ませたら、声をかけるわ。それまでに、覚悟を決めておいて頂戴」


 そう言うと、マナの手をかりて立ち、部屋を出て行った。クドが、音をさせずに後を追っていく。

 残された一同は、顔を見合わせたものの、新たに得た情報の理解に、戸惑っていた。





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(注*)バルド(中宇、中間生): 輪廻転生の思想において、人間の死から転生までの間にある、四十九日間のことを言う。生者と死者の間に位置し、この期間の行いによって、転生先が決まるとされる。


 *ルツの降臨に関しては、外伝『天上の花』をご参照下さい。





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