第四章 星の子(2)


     *素面でもふざけていました。スミマセン……。


            2


 前夜、彼らは石の神殿内に用意された部屋で、男女に別れて就寝した。翌日は、朝から清拭用のお湯を与えられ、着替えも用意されていた。

 隼より遅く起床した鷹は、身支度を終えると、昨日とは別の部屋に案内された。

 扉を開けると、話をしていた隼と鷲が、こちらを向いた。広い石造りの部屋だ。花鳥を織り込んだ色鮮やかな布の間仕切りがあり、椅子の上には、枕や掛け布が置かれている。窓は大きく、抜けるような青空が見えた。


 隼は卓子テーブルの端に寄りかかり、鷲は椅子に坐り、素足で片胡坐を組んでいた。


「お。見違えたな、鷹」


 鷲に褒められて、鷹は頬が熱くなるのを感じた。でも、真に見違えたのは隼だろうと思う。明るい日差しの下でみる彼女は本当に美しく、鷹は同性ながらうっとりした。


 隼は、淡い生成りの絹の上下に、純白の長衣チャパンを羽織り、その右袖を落としていた。腰には朱色の帯が垂れている。汚れを落とした白銀の髪は輝きをとり戻し、首の後ろで朱色の紐によってゆるく結わえられている。気だるげに長い脚を組んだ姿は、この上なく優美だ。

 鷹は、水色の同じ衣装を着ていたが、己が似合っている自信はなかった。

 鷲は、短い立ち襟の墨黒すみくろの上着に、裾を絞る形のゆったりした紺の脚衣ズボンを穿いている。銀灰色の髪に黒が映えていた。その上から、白い長衣チャパンの片袖を落とし、藍染の帯で腰を締めている。普段ぼさぼさの髪は藍の幅広の紐で一つにまとめられ、肩から胸元へ流れていた。


 鷹がぼんやりしていたので、鷲は、片方の眉をひょいと跳ねあげた。


「どうした。カッコいいだろ? 俺」

「……うん」

「おやおや」


 真正直にかえされてしまったので、鷲は眼を丸くしておどけ、肩をすくめた。隼が、苦嘲いする。

 鷹は、照れて項垂れた。困った……どんな顔をして彼に接すればいいのか判らない。何を話せばいいのか。

 鷲は、平然と言葉を継いだ。


「鷹。疲れたろう。まだ寝ていても、いいんだぜ」

「ん。うん」


 エツイン=ゴルが、見慣れた服装で部屋に入って来た。自分で着替えを用意していたらしい。片手を挙げ、陽気な声をかけた。


「早いな、お前達」


 エツインは鷲を見ると、大袈裟に驚いてみせた。


「ほほう! 別人ではないか」

「ぬかせ」


 エツイン=ゴルは、髭に埋もれた唇に、笑みを浮かべた。温かな眼差しを鷹に当て、


「二年前、こいつらと初めて会った頃、女達が騒ぐので、てっきり《雉》だと思っていた。《鷲》は、ナカツイ国の言葉も下手だったし、良く言って山男だったからな……。ところが、訊けば鷲の方がいいと言う。女子おなごの趣味は判らんと思っておったが、磨けばほれぼれする美形だな」

「あんたに言われても、嬉しくねえよ」

「そう照れるな、色男」


 舌打ちする鷲に、エツイン=ゴルは追い討ちをかけた。


「容姿といえど、親から貰った財産だ。大切にしろ。それと、女には気をつけろよ、鷲。奴等は、一度喰らいついたら離れない、地獄の果てまで憑いて来る、餓鬼アスラだからな」

「そんなもんかねえ」


 隼が、喉の奥でくっくっと声を転がした。鷲は、煙草を口に入れ、横目で彼女を見た。

 エツイン=ゴルは肩をすくめた。


「女が全て隼のようであればいいのだが。奴らは、男の手足に纏わりつく枷だ。これから、あの執念しゅうねぶかい女房の元へ帰らねばならぬと考えると、ぞっとする」

「そうか?」


 隼が、腹を抱えて笑いだした。肩を震わせ、目に涙を溜めている。鷹は、きょとんとしていた――何が、そんなに可笑しいのだろう?

 鷲は、仲間をめつけている。

 エツイン=ゴルは、と深い溜め息をついた。


「やはり男は旅をしてこそ華だ。そう思わぬか? 一生を唯一人の女に縛られて生きねばならぬなど、苦痛でしかないぞ。鷲、結婚などするなよ。お前が生きながら墓にひきずり込まれるところなど、儂は見たくないからな」

「……気をつけるよ」


 鷲は、笑っていいのかどうか迷う顔で応じると、何故か、ちらっと鷹を見た。鷹は、ドキリとした。

 隼はもう、息も絶え絶えに笑っている。

 鷲は煙草を噛みながら、慰める口調で話しかけた。


「エツイン。明日、帰るのか?」

「子供たちが待っているからな。昼には発とうと思っている」

「早いな」

「ゆっくりしていては、名残が惜しくなる」


 エツイン=ゴルは、淋しげに哂った。


「別れは簡単な方がいい、また会えるように。お前達がトール(ナカツイ王国の首都)を訪ねることがあったら、是非、寄ってくれ」

「そうするよ」


 エツインが差し出した右手を、鷲は怪訝そうに見下ろしたものの、すぐに意味を理解して握り返した。

 彼の手をかたく握って振りながら、エツインは片目を閉じた。


「儂の隊の女達のなかに、お前の子を身篭っている者がいたら、その子も儂が預かっておくので、必ず迎えに来るように」

「…………!」


 鷲はせ、激しく咳きこんだ。隼が、遂に、声を上げて笑い出す。

 煙草を飲み込みかけてしまった鷲は、目に涙をため、恨めしげにエツインを見た。口元に、不敵なにやにや嘲いが浮かぶ。鷹が久しぶりに見る、たのしそうな笑顔だった。


「にぎやかだな」


 柔らかな声に振り向くと、雉がオダと一緒にやってくるところだった。オダは明るい浅黄色の、雉は、昨日と同じ濃い緑色の長衣を着ている。


「何の話をしていたんですか?」


 オダが、隼に見蕩れながら問う。隼は、優雅な姿に似合わぬ渋面をして答えた。


「オダはもう、意味が判るよな。鷲が、ここへ来るまでの間に、何人子どもを作っただろうって話だ」

「こ、子ども……ですか」


 雉が、意地の悪い声音で言う。


「多いだろうなあ。十人くらい、いるんじゃないか」

「そんなにか? おい」


 エツイン=ゴルが慌てたので、鷲は、うんざり言い返した。


「雉。俺を何だと思っているんだ。さかりのついた犬じゃあるまいし」

「犬並みだろ」

「言ったな。みさかい無く口説いてるんじゃないぞ、俺は。ひとを変態扱いしやがって」

「違うのか」

「……お前が言ったら、隼とエツインが信じちまうだろうが。俺の信用をどうしてくれる」


 オダは途方に暮れ、隼は、苦虫を噛み潰した。

 雉と鷲の掛け合いは、さらに続いた。


「だって、信じられないよなあ。お前、ごまかしているのと違うか?」

「俺は忙しかったんだ。女を口説いている暇なんてねえよ」


 エツイン=ゴルが溜息まじりに口を挟んだ。


「口説くのが忙しかったのか」


 鷲は、がっくり肩を落とした。


「エツイン……」

「いや、若いなあ。結構、結構」


 鷲、反撃開始。 腕を組み、しろい歯をむき出した。


「お前はどうなんだよ、雉」

「おれ?」

「お前は暇をもて余していたはずだぜ、俺と違って。どうなんだよ」

「いやあ。おれは、その」

「その――何だよ。後で本当に子どもが産まれて、俺のせいにされたんじゃ堪らないからな。吐けよ」

「おれはそんなこと、してないよ」

「嘘つけ」

「本当だってば、信じてくれよ。おれには、お前だけだよ。浮気なんかしてないからさ」


 鷹は、ぎょっとして眼をみひらいた。雉がこういうことを言うから鷲が調子に乗るのだと、彼女にも解りかけていた。

 鷲は、数秒、言い返す言葉を考えた。


「……あ、そう。けど、俺は浮気するぜ。お前一人なんて、冗談じゃない」

「十日に一回で、いいから」

「一回三十バクル(両、銀約四十グラム)なら、やらせてやる」

「お前……金までとるか?」

「文句があるのか? 俺の身体に。三十なら、安い方だぜ」

「判ったよ。ただし、ひと月だけだ。悪かったら、捨てるからな」

「いいぜ。前金で払えよ」

「九十バクルだな、耳を揃えて払ってやる」

「違う、五ヤストゥクと二十(二百七十両。ヤストゥクは錠で、五十両のこと)(注*)」

「何で?」

「一回三十。お前、一晩に何回する? まさか一度じゃ済まないだろう? 一晩三回として九十、ひと月二百七十だろうが」

「そんなに出来るかよ、おれが」

「何を仰います。若者が」

「いい加減にしろ!」


 延々と値段交渉を続ける二人を、隼が遮った。エツインとオダの呆れ果てた視線を浴び、二人はおし黙った。

 隼は、彼等をじっとり睨めつけた。


「朝っぱらから。どうしてこう、下品なんだ。鷲、お前、オダに恥ずかしいと思わないわけ。雉も」

「はい」

「反省します」

「嘘をつけ」


 神妙なふりをする男達を、隼は、一言で斬り捨てた。それから、笑いだす。明るい声が天井に響き、エツインと鷹の頬を、綻ばせた。

 当惑しているオダに、雉は、ふわりと微笑みかけた。微笑だけなら、天女もかくやな神々しさだ。鷲は、また頭を掻いた。

 鷹は、少しほっとして彼等を眺めた。


 扉が控えめに叩かれた。エツイン=ゴルが返事をする前に、鳩が白い衣の袖をひるがえして駆けて来た。


「お兄ちゃん!」


 昨夜は雷とルツに怯えていた鳩だが、今朝は笑顔に戻っていた。いつも通り、鷲のもとへ跳ねてきて、しがみつく。


「よく眠れましたか、皆様。おはようございます」


 マナが、変わらぬ美しい姿を現し、丁寧に挨拶をした。全員、礼を返す。改めて、ここが聖地だと思い出す。演技ではなく、鷲と雉の顔が神妙になった。莫迦なことを言っていた自分達が、恥ずかしくなったらしい。

 マナは、料理を手にした女たちを連れていた。卓上に並べられる朝食を眺め、エツイン=ゴルは、感心して首を振った。


「儂はいよいよ、お前達の正体を知りたくなったぞ。鷲。どう見ても、これは、並みの巡礼者の扱いではない」

「俺は、今日あたり、《星の子》の盛大な人違いだったというオチになるんじゃないかと、びくびくしているんだが」


 鷲が肩をすくめてこう言ったので、マナはくすりとわらった。給仕の女達を下がらせながら、


「人違いではありませんよ。《星の子》は、あなた方に会える日を待っていたのです。それこそ、あなた方が産まれる前から」


 真顔になる鷲と隼に、頭を下げた。


「昨日は失礼をしました。ヒルディアの習慣について、知らないわけではないのですが。読心どくしんも、驚かれたことと思います」

「いや、その……びっくりはしたけど」


 隼は口ごもり、同意を求めて鷲を見遣ったが、鷲は硬い表情を崩さなかった。

 マナは、申し訳なさそうに続けた。


「ルツは、呼吸をするごとく、相手の思考の表層を読みとれるのです。記憶をたどって過去を知ることも……。あなた方に会えて、嬉しかったのでしょう」


 隼と雉は、返答に困って顔を見合わせた。鷲は、ぼそりと言った。


「……それは、生きづらそうだな」


 彼が応えてくれたので、マナは安堵した風だった。


「考えを読まれるより、読む方が辛いだろう。知りたくないことも知る羽目になる」

「ええ。《星の子》にとっても、ここは聖地なのです。不老な所為もありますが、彼女は、己を守るためにここに居ます」

「あんたは? 娘なんだろ。同じことが出来るのか?」


 鷲の口調と表情が緩んだので、マナはかすかに微笑んだ。


「私は、方が得意です。先日、雉殿とイエ=オリ殿を運んだように。それと、念動……手を触れずにモノを動かします。念話は少しだけ」


 絶句する一同を見て、


「得手不得手があるのですよ。ルツは、念話と読心、治癒……それから予知、を行います」

「予知……」


 エツイン=ゴルが、心底おどろいた声でくり返す。マナは生真面目に頷いた。


「先ほど、イエ=オリ殿の傷の手当てをしました。これから数人、巡礼の病者の治療を行う予定です。その後、ニーナイ国について予知をしたい、と言っていました。皆さまにお目にかかれるのは、夕方と思います」

「そんなにいろいろやって、平気なのか?」


 雉が口を挟んだので、一同の視線が彼に集中した。雉は、ややどぎまぎと付け加えた。


「ほら……能力は生命の力、なんだろう? そう言っていたと思うんだけど」

「そうです。体力と同じで、消耗します」


 マナは、優しく微笑んだ。


「ルツを案じて下さり、ありがとうございます。きちんと休憩を入れますから、大丈夫。一度に大きな能力を使うと、生命を落とすことになりかねませんから、雉殿もお気をつけ下さい」

「えっ、おれ? いや。ええと……」


 仲間あつかいされて、雉は狼狽した。両の掌をマナに向けて首を振ったが、それも失礼だと気づき、項垂れる。

 特別な能力を持たない隼は、鷲と顔を見合わせたが、二人とも言葉がみつからなかった。


 ふと、マナは隼に向き直った。


「隼殿には、御礼を申し上げたいと思っていました。シュラを、私の養父ちちを弔って下さいましたね。ヒルディアで」

「え?」


 隼は絶句し、それから、さあっと蒼ざめた。


「あんた、シュラの……?」

「血の繋がりは、ありません。年齢も近い。でも、父のような人です」


 マナは、にこりと微笑んだ。


「母(ルツ)を支え、私を育ててくれました。私が成長してからは、諸国を巡り歩き、留守がちでしたが……。隼殿、ご姉妹の話は、養父から伺っています。一度、お会いしたかった」


 何の話だろうと、仲間たちが顧みる。隼は、小声で応えた。


「……シュラがいなければ、親父とあたし達は、飢え死んでいた。〈黒の山カーラ〉を目指せと教えてくれたのも、シュラだ。礼を言うのは、あたしの方だ」


 マナは無言で、まぶしげに眼を細めた。一同をぐるりと眺め、改めて一礼した。


「では。またお声をかけますので、それまでお寛ぎ下さい。神殿内は、どこを観て下さっても構いません。何なら、〈黒の山カーラ〉を巡礼なさっても」


 〈黒の山カーラ〉の頂をめぐる巡礼。どうやらこれは、彼女流の冗談らしい。エツイン=ゴルがふるふると首を横に振ると、マナは哂って部屋を出て行った。





―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

(注*)ヤストゥク: 中世中央~南アジア圏で流通した銀の単位。スティル(銭、約四グラム)、バクル(両、約四十グラム)、ヤストゥク(錠、約二キログラム)。五十両=一錠。ヤストゥク銀塊が斧や枕の形に似ていたことから、モンゴル語ではスケ(斧)、ペルシャ語圏ではバーリッシュ(枕)とも呼ばれた。

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