第二章 足のない小鳥(2)


            2


 どこからか、子どもの泣き声と、波の音が聞こえてくる。……ああ、また、あの夢を見ているんだな。分かっていても、隼は哀しかった。


(オネエチャン……オネエチャン!)


 眸が焼ける白い陽光のなか、緑の波がうち寄せる浜辺で。泣いている子どもは自分だ。痩せた身体に、すり切れた麻の衣を着て、ひどく、ひもじかったのを覚えている。

 そうだ。あの夏は不漁つづきで、村のどの家も、どの子どもも飢えていたのだ。


(助ケテ……オネエチャン!)

(待て、鬼っ子!)

(疫病神! 出て行け!)


 よたよたとおぼつかない足取りで逃げる少女(隼)を、村の子ども達が追いかけていた。小石が、貝殻が飛んできて、彼女の腕と背にぶつかる。

 赤褐色の髪に、濃い青の瞳、褐色の肌――日差しのつよ東国ヒルディアでは、人の色も濃いのがふつうだ。姉妹のような白い者は、実に目立った。

 不漁がつづき飢える苦しみを、彼等は、小さな異相の娘のせいにした。空きっ腹をかかえ、こけた頬に異様にかがやくひとみを持つ子ども達には、己より弱いものを労わる余裕など失われていた。


(オネエチャン!)


 隼は、襟首をつかまれて後ろへ引き倒され、悲鳴をあげた。たちまち、幾本もの腕と足が、彼女を殴り、蹴りあげる。

 大柄な少年が乗りかかり、首を締めた。


(お前のせいだ、鬼っ子!)

(お前なんか、死んでしまえばいいんだ!)


 助ケテ……オネエチャン! 

 悲鳴は声にならず、口のなかに塩辛い砂が流れこんで、隼は噎せた。首を締められ、視界が真紅に染まる。殴られたこめかみから血が噴き出し、気が遠くなりかけた。


(やめて!)


 甲高い声をあげ、疾風さながら飛んで来た少女が、少年にかじりついた。喉が、すっと軽くなる。

 急いで空気をむさぼる彼女の視界に、殴られても必死に妹をかばう、姉が見えた。


(マヤだ!)

(マヤ! 鬼っ子!)

(疫病神を、追い払え!)

(シュン、逃げなさい! お姉ちゃんはいいから、早く逃げなさい!)


 いくら気丈とはいえ、多勢に無勢だった。数人の悪童どもに袋叩きにされて、マヤ(鵙)は悲鳴をあげた。

 ようやく砂から這い出したシュン(隼)は、手近にいた少年の腕におもいきり噛みついた。


(痛ェー! 痛いよ、母ちゃん!)

(何すんだ、こいつ!)


 突きとばされて、小柄なシュンは、波の中に倒れこんだ。戻ってきて再び噛みついた。頭を殴られ、眼前に星が散る。口の中いっぱいに、潮と血の味が広がった。


(何やっているんだ、お前達!)


 よく通る男の声がして、子ども達の動きがぴたりと止まった。それから、慌てて逃げ出す。

 マヤは半ば砂に埋もれており、シュンは波打ち際にうち捨てられていた。そんな姉妹を、男は、急いで救い出した。


(あーあ、ひどいな。大丈夫か?)

(シュラ!)


 朱色あけいろの髪に褐色の肌をもつナカツイ国の男に、マヤはしがみつき、声をあげて泣き出した。シュラ、父の親友。――彼に、姉妹はいつも助けられた。

 泣きじゃくる姉を、シュンは呆然と見詰めていた。シュラはマヤと手を繋ぎ、彼女を促した。


(もう大丈夫だ。帰ろう、二人とも)


 漁で生計を立てているこの村では珍しいことではなかったが、姉妹の父ハンザは、サメに片脚を食べられて歩けなくなっていた。病弱で寝たきりだったこの父を、隼は、あまり覚えていない。

 覚えているのは。竹を組んで作られた粗末な小屋(それが親子の住まいだった)のなかで、壁の隙間からさしこむ黄色い日差しを背に、やはり粗末な寝台に身を起こして、彼女の頭に掌をのせて囁いた、父の言葉だ。


(駄目だよ、シュン。海へ近づいてはいけない。お前は、まだ小さいんだから……。お姉ちゃんとシュラの言うことを、よくきくんだよ)


 父は、己の命が永くはないと、知っていたのかもしれない。妻を産褥で亡くした原因の娘を忌むことなく、優しく、彼女の髪をかき撫でた。仕草にこめられたせつなさを、隼は覚えている。

 『姉と、仲良くするように』 それが、父の口癖だった。


(済まないな、シュラ。迷惑をかけて……。娘達を、頼む)

(気にするな)


 シュラは、しゃくりあげているマヤの細い腕に布を巻きながら、微笑んだ。シュンの名は、彼に因んだものだという。

 気丈だが、泣き虫だったマヤ。シュラが姉妹をみる時、蒼色の瞳には、夢みるような光が浮かんでいた。


(マヤは、よくシュンをかばったな。泣くんじゃない。もう、村に近づいちゃいけないよ)

(うん、ごめんなさい。だけど……シュンが、可哀想だ)


 そう言って、マヤはまた泣き出してしまう。

 妹は無口で無愛想で、何を考えているのか判らないと言われたが、マヤの方は情緒がゆたかで、よく笑い、泣いた。

 マヤは、ことある度にこう言った――『可哀想な、シュン』


(シュンは、お母さんを知らないの。生まれてすぐ、死んでしまったから。なのに、どうして皆、苛めるの? シュンのせいじゃないのに。あたし達がこんな姿をしているせい? 生まれてきちゃいけなかったの?)

(マヤ。シュンも、よく聴くんだ)


 シュラは、両方の腕に一人ずつ姉妹を抱き寄せた。彼の声は、二人の小さな胸に沁みるように響いた。


(この世に、生まれてきちゃいけない命なんてない。お前達の姿は、神様が与えて下さったものなんだ。天国からよく見えるように……。だから、嫌がっちゃいけないよ。村の人達を憎んでもいけない。彼等は、可哀想なんだから)

(かわいそう?)

(あの人達は、神様にはよく見えないんだ。だから、お前達を羨ましがって苛めるんだよ。許しておあげ。そして、いつも優しい気持ちでいるんだ。正直で、優しくさえあれば、いつだって神様が守ってくれるからね)

(じゃあ、シュラの方が可哀想なのね! こんなに優しいのに、神様には見えないんだもの)

(そうだよ)


 邪気のないマヤの台詞に、シュラは、かすむように微笑んでみせた。ハンザが、喉の奥で転がすような笑い声を立てる。――その光景が、光に透けるような気持ちが、隼はした。

 夢の中で、眼を細める。

 シュラ、ハンザ。二人のお陰で、彼女は、誰も心の底から憎まずに済んだ。村人の誰にも哀しみや恚りをぶつけることなく、生きてきた。

 神を除いて。


(シュラ……お父さん!)


 姉妹をかばって殺されてしまった、ハンザとシュラ。妹の手を引いて森の中に逃げ込んだマヤが、その夜、大声をあげて泣いたのを、シュンは見ていた。

 幼い妹の胸にしがみついていた、マヤ。


 神様は、どうして、あの二人を守ってくれなかったのだろう。

 隼は憎んだ。優しい姉を悲しませた神を。自分達に、こんな姿を与えた神を。

 それでも、雉を助けたとき、鵙はかれに言ったのだ。


(あたし達、神様から、いろいろなものを与えられているでしょう。生命も、この身体も、能力だって……。与えられたもののなかで、精一杯いきていれば、きっと、それ以上に幸せになれるはずよ)



とびを、連れていかないでくれ。鵙姉もずねえを……!』


 賊に追われて崖から落ちた鳶と鵙を探しながら、隼は、胸の中で叫んでいた。


『神よ! お前は既に、あらゆるものを、あたし達から奪い去ったではないか。母を、父を、シュラを……雉の家族を、鷲の故郷を。

 この上、何を奪おうというのだ。鷲から、鳶を奪うのか。宿したばかりの、小さな命を。

 鵙姉……!』


 雉の腕のなかの、血にまみれた姉を見た時、隼は、声にならない悲鳴をあげた。世界がぐらぐらと揺れ、彼女の裡で、何かが砕けた。

 雉が殴り、揺さぶってくれなかったら、己の生命すら放棄していただろう。


(どうして……!)


 隼の肩をつかみ、雉は訴えた。涙を流して……。それは、隼自身の心の声だった。泣けない彼女の慟哭だった。


(隼。どうして、鵙が死ななきゃならないんだ。俺に生きろと言ってくれた鵙が。どうして、殺されなくちゃならないんだ!

 返してくれ、あいつを。俺の命など、どうでもいい……俺の命と引き換えに、あいつを救けてくれ。隼!)


『ごめん……ごめん、雉。鷲、許してくれ』

 雉に揺さぶられながら、隼は泣いていた。心のなかで。涙は、一滴も出なかった。

 己が神を呪ったのと同じ言葉を投げつけられ、隼の身体は、麻痺したように動かなかった。憎しみに、嘆きに、いかりに……晒されて、彼女は砕けたのだ。

 雉がしがみつき、赤子のように、むさぼるように、彼女を求めても。何も感じなかった。


 ……あっ。



 するどく息を吸いこんで、隼は目覚めた。呼吸があがり、びっしょり汗をかいている。

 彼女の額にかざした手をとめ、驚いて見下ろす、新緑色の瞳があった。


「トグルか」

「……大丈夫か、天人テングリ


 眼を閉じて肩で息をつく隼の耳に、いくぶん戸惑ったような男の声が聞こえた。

 隼は、ふかく息を吐き、呼吸を落ち着けようとした。


「うなされていたぞ。悪い夢でも見たか?」

「ああ。……タオは?」

「お前の着替えを、取りに行っている。……熱があるな。薬を飲むか?」


 隼の顔をすっぽり覆える掌が、彼女の額にはりついた髪を、そっと掻き上げた。ひやりとした指の感触が、心地よい。

 その感覚におぼえがあって、隼は眼を開けた。


「お前、ついていてくれたのか?」


 トグルは、黙って彼女から離れると、ユルテ(移動式住居)の壁際に置いてある戸棚へ歩いて行った。天窓から差しこむ月明かりの落す影に、彼は半分しずんで見えた。引出しを開けて、何やら、ごそごそ捜している。

 また煎じ薬だろうかと不安になりながら、隼は、不思議な気持ちになっていた。トグルが髪を掻きあげた感触が、夢の中で父が自分を撫でたものに、似て感じられたのだ。

 ……莫迦な、と思う。


 トグルは、探し当てたものを片手に持ち、もう片方の手に水を入れた器を持って、戻って来た。

 上体を起こした隼の掌に、トグルは、小さな黒い粒を三個のせた。寝台の傍らに置かれた灯火の明りを受けて、艶やかな黒髪が、ひろい肩を流れている。


「飲め。骨を折ると、熱が出るものだ。もう一度、眠るといい。……大丈夫だ。悪い夢は、もう見ない」


 低い声に含まれた労わりに気づいて隼が視線を上げると、彼は顔を背けて、水を入れた椀を差し出していた。

 隼は、少し気持ちが和らいだ。

 水を受け取ったものの、丸薬の飲み方など知らずに躊躇する彼女に、トグルがまた言った。


「噛まずに飲む。流し込め」


 それで、隼は思い切って粒を口の中に放りこみ、かたく眼を閉じて、水と一緒に飲みこんだ。次に眼を開けた時、彼女の顔には、まずいという表情があった。

 トグルは、微かに苦笑した。


「苦い薬ほど効くという。これで、熱もひくだろう」

「ありがとう」


 トグルは、空になった器を受け取ると、敷布の上に胡座を組んだ。懐中から細長い筒のような物を取りだし、咥えて、先端に火を点ける。

 珍しい。

 火を点けて吸う煙草を初めて見た隼は、薄紫色の煙が、ふうわりとたなびいて、青白い月光に溶けるように天窓へと消えてゆくのを、やや茫然と見送った。


「……長老会議をしていた、先刻まで」


 隼が眠ろうとしないので、気を遣ったのか。トグルは、彼女に横顔を向けたまま、ぼそぼそと話し始めた。


「長老会議?」

「お前は興味があるだろう、天人テングリ。ニーナイ国のことだ」


 真顔になる隼を、トグルは、眼だけでちらりと顧みた。夜にしずむ新緑の瞳が、深い翳を宿している。滑らかな声が、独り言のように続けた。


「面白い話が出た。天山テンシャン北の伏兵を呼び寄せ、秋が来る前にスー砦を陥とすべきだ、とか。シニュー(ニーナイ国のオアシス都市)へ向かい、焼き尽くせ、とか……。愉快だろう?」


 彼女が心持ち蒼ざめたので、トグルは、フッと息を抜いた。


「だが、こういう意見は少数派だ。既にシェル城(ニーナイ国の城塞)を陥とし、リー・ディア将軍の首級を手に入れた。一度、本営オルドウへ帰り、キイ帝国の出方を観るのも悪くない。俺を含め、多くはそう考えている」

「…………」

「お前と賭けをする必要はなさそうだ。兵士たちは、家族を本営オルドゥに置いてきているからな……。俺達は、遊牧民だ。羊の種付けと、冬営の準備も気にかかる」


 煙管キセルを吸う精悍な横顔を、隼は見詰めた。一瞬、彼女にも、遠いみどりの地平が見えるような気がしたのだ。――見えた、ような。トグルの目に。

 隼は囁いた。


「お前もか?」


 トグルは隼を振り向いた。静かな眼差しに戸惑いながら、彼女は訊ねた。


「お前も、家族の許へ帰りたいと?」

「……俺の家族は、タオだけだ」


 トグルは、かすかに唇を歪めた。


「親父は、オルタイト族に殺された。母は、五年前に病で死んだ。……俺に妻はいない。俺の知る限り、子もいない」

「…………」

「しかし、奴等の気持ちは判るつもりだ。問題は、リー・ヴィニガがどう出るか、だが」


 口の中で呟いて考えかけたトグルだったが、ふいに、隼を見た。


天人テングリ。お前の家族は、どこに居る?」


 隼は、そっと溜め息をついた。


「隼だ。そう、呼んでくれ」

「ハヤブサ?」

天人テングリと呼ばれるのは嫌いだ……。あたしは、ただの、隼だ」


 トグルが首をかしげたので、隼は、自嘲気味にわらった。


「あたしにも、家族はいない。両親は、小さい頃に死んでしまった。姉がいたが、殺された」


 トグルの眼が、すっと細くなった。


「異なことを……。騰吃利蒙古孔テングリモツコク(仙人のこと)を、殺すのか?」

「あたしは、ヒルディア(王国)の出身だ。あたしの国では、こんな姿をした人間は、化け物なんだ」


 隼は、殆ど息だけで囁いた。


「鷲と雉も、故郷を追われた人間だ。あたし達に、帰るところはない。仲間だけだ」

「……スマン。何と言ったらいいか」


 ――勇者バガトルと呼ばれ、豪胆と勇武をもって鳴り、近隣諸国にも他部族にも恐れられている、トグリーニ族の長。

 寡黙で無表情な彼の顔に、困惑と同情が揺れたので、隼は苦笑した。

 今ひとつ捉えどころのない男だが、やはり、悪い奴ではないらしい。


 折れた肋骨を庇うために大きな声は出せなかったが、隼は、感謝をこめた。


「気にしないでくれ。訊かれて嫌なわけじゃない。……あたしにとっては、仲間が全てだ。それ以外のことで、傷つきはしない」


 しかし、トグルは眉を曇らせていた。日焼けした狼を思わせるかおから、内心をうかがい知ることは出来ない。表情を変えず、再び問うた。


「スー砦にいる仲間は、血縁ではないわけか」

「ルツに言わせると、あたし達は、《古老》という者なんだそうだ。この姿に意味があると言われた。血や民族は、関係がない」

「よく判らんな……俺には」


 牙のような白い歯をのぞかせたのは、苦笑のつもりらしかった。


「草原の部族は、血縁関係で成り立っている。そうでない仲間はいない。……お前達は、友情だけで、ともに生きていけるのか。故郷がなくとも、己を己として生きられるのか。よく判らんが……羨ましいな」


 トグルが壁に向かって小さく舌打ちをしたのを、彼女は訝しんだ。


「何故だ? お前には、お前の民がいる。羨む立場に居るのは、あたし達の方だろう?」

「……俺の母は、二度、ケレ氏族に略奪された」


 しばらく躊躇していたが、トグルは、隼に横顔を向けたまま呟いた。


「母は、オルクト氏族の長の娘だった。俺の父に嫁してすぐ、ケレ氏族に奪われた。父が母を奪い返し、直後に生まれたのが俺だ。父はケレ氏族をたおせなかったので、再び襲撃されて、母は奪われた。最終的に、父が母を奪い返し、生まれたのがタオだ」

「…………」

「俺達は二人とも、父の子なのか判らない。どちらにも似ていないのが、俺とタオのこの眼だ」


 隼は、息を殺した。トグルは、左手の長い指で己の額を押さえた。


「父とケレ氏族の長は、盟友アンダだった。それでも、この体たらくだ……。俺は族長になるために育てられた。だが、タオは――」


 突然、トグルは黙った。喋り過ぎたと思ったらしい。表情が消え、じろりと隼を見遣った。いかりと見まごう強い光が、眸に宿る。

 ひそめた声が、かすかに揺れた。


「珍しいことではない。草原の女は、一度や二度は、獲ったり獲られたりしているからな……。お前のように、自力で身を守った女は初めてだ。ハヤブサ。それは、お前の誇りか? 己が己であることの。お前の夫に対する忠誠は、それによって支えられているわけか」

「あたしは独身だよ。お前と同じだ」


『どうも、十八歳で独り身というのは、ここではき遅れにされちまうらしい』

 トグルの眼が普段の三割増しひらいたので、隼は苦笑した。


「家族はいない、夫なんか、ましていない。タオといいお前といい、余計なお世話だ。物のように扱われるのが、嫌だっただけだ」


 トグルの新緑色の瞳が隼を見詰め、そのまま動かなくなった。隼が居心地わるくなりかけた頃、彼は呟いた。


「……面白い奴だ」


 隼は、またかと溜め息を呑んだ。トグルは、暗い口調で言った。


「情けをかけられて生き延びたくないというお前のげんも、実際に観ていなければ、信じられなかったろうな……。お前ほど、いさぎよい者ばかりではないぞ。捨て置けばよかったのか」


 なんの話かと、隼は、怪訝に思って彼を見た。


「遊牧民同士の戦いと違い、定住民のまちを攻める際、俺達は、攻城機(投石機)を使う。重騎兵をもって蹴散らし、火炎瓶ナフサを使って焼きはらう。さっさと降伏してくれれば良いが、相手も必死なのでな……大抵、破壊しつくすことになる」


 ニーナイ国の話をしているのだと気づき、隼は息を殺した。

 トグルは、他人事のように続けた。


「男どもは死に、畑や家は壊され……残るのは、弱き者ばかりだ。老人、子ども、女たち。奴らは俺達の敵ではないが、本国から救援などこない故、放っておけば、数日で飢えて死ぬ。季節によっては、ひと晩で凍死する」


 トグルは目だけで隼を見遣ったが、すぐに逸らした。仮面のごとき無表情に、一瞬、くらい嗤いがよぎった。


「そうしたのは俺達なのだから、偽善くさい真似などせず、放置するべきか。親を亡くして泣いている子どもには、とどめを刺せ、と……俺が命じて、出来る兵士がどれだけいるか。出来たとして、それは、どんな男だろうな」

「…………」

「五年前に母が死ぬまでは、俺もいろいろ考えた。だが、今では、どうでもよくなった」


 トグルは、煙管キセルをかるく叩き、たまった灰を炉のなかへ落とした。


「生かせる者は生かす。俺達のところで暮らす術を見出し、生き延びる者はいる。自死するのも、心を病みつつ生き永らえるのも……こちらの寝首を掻いて復讐するのも、奴らの自由だ。近頃は、そう思う」


 煙管に煙草を詰めなおし、火を点ける。紫の煙をくゆらせ、トグルは言った。


「お前のような者は稀有けうだ、ハヤブサ。俺には、母を含め、あの女達が何を考えているのか分からない。分かりたくもないがな……」


 隼は、トグルの言葉を、内心で愕然としながら聴いていた。

 〈草原の民〉のそうした行為については、何度も聴かされてはいたのだ。族長である彼の口から語られると、重い現実が喉を塞いだ。

 だが、ずいぶん、印象が違う――。


 タオの言葉が、脳裡に浮かんだ。

『兄上は、弱い女が嫌いなのだ』

 淋しげな横顔を思い出し、あれは、こういうことかと考えた。


 隼は、溜め息まじりに囁いた。


「お前は、戦に敗れたことがあるのか? トグル」


 トグルは、整った眉をかすかにひそめた。


「お前が見てきたのは、敗れた女達だろう。ならば、判るまい。……他人の目に見えることが、本人にとってもそうとは限らない」


 隼は、額にかかる前髪を掻き上げた。脳裏に、鷲の顔が浮かぶ。鷹と鳩、オダ。鳶の、鵙の微笑が。

 そして、雉……。


 隼は、己の声を、他人のもののように聴いた。


「その女達の生き方を否定したら、あたしは、自分が生きていることも否定しなければならない。だから、言い訳をしているだけだ」

「……どういう意味だ?」


 トグルは問い返したが、隼は、うまく答えられる自信がなかった。彼女は首を横に振り、枕に頭をあずけた。

 そんな隼を、トグルは、じっと見詰めていた。







―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

タオ: 「兄上。病人のいる部屋で煙草を吸うのは、マナー違反だぞ」

トグル:「(はっ)……スマナイ」

隼:  「大丈夫だよ。煙は全部、天窓へ流れたから」

タオ: 「いや。ハヤブサ殿が赦しても、私が赦さない。だいたい兄上は、女性に対する気遣いというものがな――(がみがみと続く)」

トグル:「…………(落ち込んでいる)」

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